第4話

アシヤは屋根付きのコーチ馬車が用意されていることに驚いた。これまで遠征用に馬車を使うことはあったが、必ず一頭立てのギグだったし、なんなら馬一頭に騎乗していくことがほとんどだった。

都では馬も貴重な資源である。二頭立てで屋根のある馬車など、豪族がバカンスで使う以外に聞いたことがない。

御者の方は御者の方で詳細な事情を知らなかったらしく、アシヤが拘束された男を丁重に連れて現れると目を丸くした。

お互い相手に対して「本当に乗るんですか?」「本当に乗せるんですか?」という疑念で見つめあったが、手配書を見て間違いないことを確認した。

余程金を積まれていたのか、あるいは都トップのお達しだからか、懐疑心を抱きながらも御者は馬車を走らせてくれた。

走り出した馬車は草原の中の土の道を東へと向かっていく。


ウッドユールの四方には草原が広がっている。背の高い樹木が生い茂らないのは、定期的に都の人々が整備しているからだ。大きな理由は獣の潜む場所を無くすためで、そこで刈られた木材は資源として使われる。

周囲には農作地が広がっていて、都に集まるように農村が点在している。それはマナ様の恩恵によってオドの獣が出没しない地域を求めた人々が集まってきた結果だった。


都の石壁が離れていくのを馬車の窓から眺めつつ、アシヤは座席に座りなおした。

正直なところ、都から離れた方が気が抜ける。

対面式に座席が設置された馬車で、正面には拘束された男が座っている。ぐったりと後ろにもたれかかっていて、寝ているようにも見えた。

この馬車は都でも上等な方だがさほど広くはない。膝がつくくらいの距離で自分より数センチでかい男と座っているのだからやや窮屈にも感じた。


(凄い状況だな)


アシヤは顎に手を当て目を閉じて思案する。


(しかし、外してあげたいな。あの拘束。特に目と口)


都の汚染された者への対処は厳格だ。特に彼は殺人未遂をしているというから、厳重に拘束されているのは、それが真実なら順当と言えた。サルビア女史が訳の分からない汚染された犯罪者の拘束を無暗に外してほしくないと考えるのも察することができる。

しかし実際に目と鼻の先でそうされている人を見れば、苦しそうで痛々しく見える。

おまけに都から第二保護区まで馬車で一日半はかかる見込みだ。その間ずっとこの状態は無理があるのではないか。ご飯を食べたりトイレに行ったりもするだろうし。

とはいえ彼が本当に凶悪な犯罪者だった場合、拘束を外してすぐに逃げられ都に舞い戻られたりしたら流石にバツが悪いが。今は抑止力ソロ団長もいないらしいし。


「………なあ、起きてるか?」


男は壁にもたれていた頭を僅かに持ち上げてアシヤの方を向いた。こういう動作はいやに素直だった。


「知ってるかもしれないけど、この馬車は第二保護区に向かっているんだ」


男はピクリと反応を示したが、その表情は当然伺い知れない。


「このまま半日くらい東へ行った先に農村がある筈なんだ。そこを越えた先で拘束を解くよ。だからちょっと我慢しててくれ」


男は初めて「んん」と唸り声を発した。それが否定なのか肯定なのかアシヤには分からなかった。いや、拘束を解くと言われて否定するはずもない。

男は唸った後、それ以上の反応を見せず大人しく座席に座っている。

アシヤは視線を窓の外に向けた。畑と、ぽつぽつと立ち並ぶ家が見えた。

キャベツや人参などの野菜が間隔を広く開けて植えられている。背の高いものが植えられるのは都近郊の中でも一部の地域だけだ。例えオドを浄化しているといっても皆獣が恐ろしいのだ。


アシヤは馬車に揺られながら、過去の記憶を思い出していた。

5年前、都に連れてこられた日。その時もこんな風に立派な馬車に乗っていた。

アシヤの正面には、紅い鎧を纏った若い衛兵が座っていた。彼とどんな会話をしたかはあまり覚えていない。アシヤは終始俯いていたので会話は無かったかもしれない。

馬車の窓に暗い幌がかかっていたことは覚えている。


あの時と今の状況は何もかもが対照的だ。


あの時の馬車は都に向かっていた。今は都からどんどん離れている。

かつて同乗していた相手は都の栄光とも言えた。対して今の同乗相手は死刑囚である。


死刑囚カド。


アシヤは男の様子を窺い見た。生きているのか不安になるほどに大人しく座っている。呼吸をする度に上下する胸元で生存していることが確認できる。


どうして捕まったのか。

誰を殺そうとしたのか。


おかしな指令だった。でも構わない。

アシヤは逆らわずに従うだけだ。

そういえば管理官が言っていたあれば結局何だったんだろう。


『彼は君を攻撃することは断じて無いだろう』


馬車は速度を落とさず農地の間を走り抜ける。アシヤが囚人に約束した地点はまだまだ先だった。





********





アシヤと囚人が東門を出た数刻後、ウッドユールの西門には武装した衛兵部隊が到着していた。

既に起き出していた人々は、勇姿を目にして歓声を上げた。


「ソロ団長だ!」

「ソロ!ようやく帰ってきたか!」


紅い革鎧を身に纏い先頭を歩くガタイの良い男は無骨な相貌を崩すと、ビシッと敬礼した。


「ああ!戻ってきたぞウッドユール!変わりなく何よりだ!」


都に響き渡るような大声に、辺りの人々は続々と顔を覗かせる。すぐさま衛兵団の周りには人だかりができた。


「おいハドリー、お前団長の足手纏いになったんじゃないだろうな?」

「いつの話をしてるんだよ。俺はもう一人前だよ」

「本当かな?」

「今回は長かったな。どこまで行ってたんだ?」

「西に出た賊を討伐してきた!」

「大変だったねぇ、怪我はないかい?」

「ねぇねぇソロ、何人倒したの!?」

「………分からない!」


ソロは腕を組んで首を傾げながら豪胆に言い放った。取りついていた子供は不満そうな顔をした。


「だが人々の安全は守ってきたとも!それは保証する!」


その言葉に、都の人々は笑顔になる。


「そういえば豊食祭はまだなのか?」

「ああ、今みんな準備してるところだよ。と言っても勝手にやってるだけだけどな」

「あれは、いつだったかな?」


子供が意気揚々と手を挙げて答えた。


「1週間後だよ!」

「おお、まだそれくらいあるのか」

「どれだけ楽しみにしてるんだよ」

「やっぱりまだ子供だなぁハドリーは」

「皆そうだろうが!」


頼もしい衛兵団たちの帰還に都は俄に活気づいていた。





ウッドユールの移民区画を東西に分断する中央通りでは、ソロ団長帰還の報せを聞いた子供達が彼を迎えようと駆け出していた。その傍らで、祭り用に用意されたテーブル席に暗い面持ちで着席している2人の男が居た。


「くそっ!!」


ダン!とテーブルに拳が叩きつけられ、その音に通りがかった子供達はびくりとして立ち止まった。


「おい、子供がびびってるって」

「………だからなんだ?」


衛兵が子供の方を見遣る。当人はただ見ただけのつもりだが、怒りと嫌悪に満ちた表情に子供達は怯えて足がすくんだ。その様子に対面するもう1人の衛兵は呆れたように首を振った。


「良い加減にしろよ。まだ朝のことを気にしてるのか?」

「………アシヤ、あいつ移民以下の………のくせに」

「………でもさ、あいつが化物の対処をしてくれてるんだろ?遠くまで遠征して。俺はそこまで邪険にしなくてもって思うけどね」

「クリフ、黙れ!」


衛兵が荒げた声に子供達は益々震え上がる。


はあいつの仕業か?それともあの囚人か?囚人をあいつが手なずけたのか?」

「おい、あまりそのことを大きな声で話すな」

「ちょっと!何してんだい!」


テーブル席の奥から扉がバン!と開き、中から女が現れた。ふくよかで人の良さそうな顔をぷりぷりと怒らせている。衛兵たちと子供たちを交互に見ると、後頭に結んだお団子状の髪がゆらゆら揺れた。女が子供たちに目配せすると、子供たちは慌てて駆け出した。


「あんた達が揃って意気消沈して歩いてくるから休んでいくかい?って言ったんだ。それが子供に八つ当たりして、恥ずかしくないのかい!?」


衛兵の1人は申し訳なさそうに頭を下げたが、もう1人は顔を真っ赤にして立ち上がった。


「なんだい!子供の次はか弱い女かい!」

「おいニカ、良い加減にしろ」


ニカと呼ばれた男は歯軋りしながら女に詰め寄った。自分より上背のある武装した男に威圧されて、女は震えながらも睨み返した。


「俺をどうしてそんな目で見る?移民風情が。誰が都を守ってやってると思ってる?――あのガキじゃない、俺たち衛兵だ!」

「ニカ!」


いきり立つニカの胸を、女の後ろから伸びてきた腕が抑えて押し退けた。ニカは後ずさって、一瞬何が起きたか分からず呆けた顔をした。


「騒がしいと思えば、人の母親に何してんすか」

「テニー」


開きっぱなしだった扉の奥からテニーが母を庇うように現れた。

ニカは先ほどまでの熱を持った怒りではなく、真っ白な感覚に支配された。怒りを超えたニカの純粋な殺意の視線がテニーを捉えていた。テニーは震えながら母親を庇うように前に出た。テニーの母は息子を逃がしたかったが、体が動かない。クリフは咄嗟にニカの前に飛び出して彼を止めようとした。


「冷静になれ。お前どうかしてるぞ」

「どけクリフ!」


ニカは怒りに任せてクリフを殴り飛ばした。クリフは吹っ飛んで、家の前に並んでいたテーブルの一つに突っ込んだ。


「っ………」


テニーが構えると、ニカは衝動的にその拳を向けた。テニーの母は声にならない悲鳴を上げた。

鍛えた衛兵の拳がテニーの頬を殴り飛ばそうとしたまさにその時、辺り一帯に男の声が響き渡った。


「ニカ・ダラム!!」


寸でのところでニカの拳は静止した。テニーは目と鼻の先でニカの顔色が徐々に青褪めていくのを目にした。テニーは自分の背中が冷や汗でぐっしょりと濡れていることに今更気がついた。緊迫した空気の中にいたことと、今自分が安堵の中にいることを自覚する。


「何をしているんだ!君は!」


そこにはソロ団長が腕を組んで立っていた。遥か後方では、先ほど逃げた子供たちが不安げに離れた家の陰から覗いている。テニーは彼らが団長を呼んできてくれたのだと察した。


「ソロ、団長………どうして、帰還、されて」

「ああ、ついさっきだ!どうして君はクリフを殴りつけ、テニーに殴りかかっているんだ!」

「………」


ニカは先ほどまでとは打って変わって体は縮こまり顔面蒼白になっていた。

テニーの母が、座り込んでいたクリフの元へ駆け寄って助け起こす。


「すみません………テーブルの足が」

「気にしないで良いよ。あんた、顔が腫れてるね。ちょっと待ってなさい」


テニーの母はバタバタと家の中へ入っていった。中央通りの向こうから、見知った衛兵団の面子がゾロゾロと歩いてくる。


「団長、急に走り出したと思ったらあんなところに居るぞ」

「なんだ、何かトラブルか?」


ニカは口を引き結んで項垂れた。クリフは鼻から垂れる血を手の甲で拭い、恐る恐る背後からニカに近づくと、ニカが何かをぶつぶつと呟いているのが微かに聞こえてきた。


「あいつが………あいつが………あんな、やつが………」


クリフは思わず目線をそらした。ニカは日頃から移民区や兵舎の人間に対して当たりが強かった。中でもアシヤに対しては並みならぬ嫌悪感を見せていた。

ニカだけではない。移民ですらないアシヤが管理官直々の指令を言い渡され、巫女様にお目通りが適っていることに対して、良い顔をしない豪族は多い。

クリフは一応豪族の出ではあるが、地位はそこまで高くない家だ。そのせいで豪族同士でも見下されることはままあった。その経験からかクリフはどちらかと言えばアシヤに同情気味だった。

ニカのダラム家もクリフと大差ない。ただニカはクリフと違って、幼い頃から野心があった。その野心が、今日最悪の形で火をつけてしまった。


ソロ団長はテニー達に「後で事情を聞きに来る」と告げてニカを引き取っていった。

テニーは人のいなくなった椅子に腰かけて息をついた。


「本当に、団長が帰ってきて良かった」


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