第3話
まだ日も昇りきらない早朝のウッド・ユールで目を覚ましているのは、巡回担当の衛兵、家事や仕事に追われる移民区画の人々、早朝出立の指令を下された執行人くらいのものだった。
なるべく人目を避けるのはアシヤに染みついた癖だった。後出しで次々と家を建てられた区画の街並みは入り組んでいるが、その道順をアシヤはかなりの精度で把握していた。
「おっ」
「うわっ」
アシヤが迷いなく角を曲がったところで小さな影とぶつかった。アシヤは動じなかったが、相手はよろけて尻もちをついた。頭からかぶったボロ布が外れてその顔が露になっている。
「………君は」
「!」
くるくるとした赤毛の少年は首元まであるシャツを着て手袋を嵌めていた。どの特徴も都では目にしたことがないものだった。
「あっ」
慌てて逃げるように駆け出した少年をアシヤは思わず追いかけた。あちこちにぶつかる音が道の先から聞こえてくる。角を曲がると人々が家の裏に置いた資材や食材が道ばたに転がっている。祭りの準備だったのだろうか。申し訳ない気持ちになりながら、アシヤは裏道から通りに抜けた。
自宅前で朝の体操をしていた老爺が、突然飛び出してきたアシヤに驚き、「おう!」と声を上げて飛び退いた。
「………」
アシヤは左右を見回すが人影はない。
「あの、子供が来ませんでしたか?」
「………いんや、今朝は誰も来とらんよ。お前さん以外は」
アシヤが「そうですか、どうも」と頭を下げると老爺は肩をすくめて、体操を再開した。
アシヤがいくら目を凝らしても少年は姿形も無い。仕事のことを考えるとあまり時間を費やすわけにはいかなかった。アシヤは肩の力を落とし、その場を後にした。
********
「遅かったな」
東門の前には武装した衛兵が6人も立っていた。5人はフードを被り目出しの覆面を被っていたが、1人だけフードと面を外している。
アシヤは馬車だけが用意されているとばかり思っていたので少し面食らった。
「………えっと」
「我々はこいつを引き渡しに来たんだ」
よく見れば、衛兵の陰に人がいた。彼が件の囚人なのだろう。考えてみれば要人を殺そうとしたというし、この警護体制は当然かもしれなかった。
(汚染されているのによく衛兵がついたな)
そして厳重な様子にアシヤの頭に何度も浮かんでいる疑念がまた浮かんだ。
(俺で大丈夫かな)
囚人の危険度がこの体制に表れているとすれば、アシヤの任務は都を出て数mで終わりとなりかねない。
「指令書の確認とかは………」
「ああ、良い、良い」
アシヤが尋ねようとすると衛兵の1人が雑に手を振った。6人の衛兵の中では一番大柄で、ブロンドの短髪に四角く骨ばった顔をした男をアシヤは何度か衛兵団本部で見かけたことがあった。
「分かりました。では身柄を引き受ければ良いですか?」
「良 い で す か ?」
出しかけた指令書を腰に下げた鞄に仕舞いつつ問いかけると、男は大げさにアシヤの言葉を繰り返した。
「お前の任務のために本部の衛兵が6人も使われてるわけだ。こんな早朝から俺たちは棒立ちでただお前が来るのを待たされた。こんな得体のしれない奴と一緒になぁ!」
男は立てた親指で背後を指した。「おい」と隣にいた衛兵が窘めたが見向きもしない。
「引き受けさせてください、だろ」
アシヤは目を丸くした。そして躊躇わずに答えた。
「引き受けさせてください」
アシヤは男の言葉通りに行動したが、男の求めていた態度では無かったことをその場のアシヤ以外の人間が察した。
アシヤの仕事の性質上、都の人間とコミュニケーションを取る機会は少なく本人も積極的に会話することは無い。それは己が忌避されていることを分かっているからで、その理由、行動について、アシヤは正しいことだと思っている。
だからこそ、仕事の過程でアシヤに仕事以外の何かを要求してくる者との対峙は初めてだった。
アシヤとしては「そんなことで溜飲が下がるなら全く構わない」という心持で男の言葉に従った。
そして次の瞬間、アシヤは突然戦場に放り出されたように錯覚した。
全身に緊張が走り思考がぐるぐると回る。
(どうして急に………)
アシヤは周囲を見渡した。怪しいものはない。
困惑していると、ふと目の前で何かがちらついた。慌てて視線をやると衛兵がぷるぷると震える人差し指でこちらを指していた。
アシヤが首を傾げて衛兵を見れば、驚愕の表情で口を開き、そしてすぐに口をぎゅっと閉じた。そこでアシヤは自分が反射的に短剣を手に取っていることに気がついた。まさかこの剣で襲われると思ったのだろうか。
「いや、違うんです。悪気はなくて、あの」
衛兵は怒ったような表情で口を閉ざしたまま、何も言葉にすることはなく腕を下ろしぎくしゃくと直立した。
「おい、どうした」
男の後ろに控えていた他の衛兵が男に問いかけた。しかし男は口を引き結んで答えない。
アシヤはひとまず短剣を収めた。
声をかけた衛兵は首を傾げ、アシヤに向かって軽く手を挙げた。
「とりあえず彼を引き渡すから」
衛兵は微動だにしない男を怪訝に見て、端に避けるよう体を押して誘導した。そこでようやくアシヤは囚人の姿を目にすることができた。
その男は首元まで隠す黒いコートを身につけて、その上から覆うように両腕をベルトで拘束されていた。更に目元と口元を黒い皮バンドのようなものが覆っていて、その表情は全く窺い知れない。
それらの異様な装いよりもアシヤの目を引いたのは、薄汚れた白髪だった。手入れがされていないのか腰ほどの高さまで伸び放題のそれは、どれだけ離れていても目に留まりそうだ、とアシヤは思った。一見老人にも見えるが、辛うじて窺い知れる顔立ちは若そうだった。
アシヤはその時ようやく、先ほど急に感じた気配が――オドの気配が男からすることに気がついた。囚人がオドに汚染されているということをアシヤは思い出した。
「この拘束は絶対に外さないようにってサルビア女史から言われてる」
「ああ………」
悲鳴を堪えながら陣頭指揮を取る女史の姿が頭に浮かぶ。
衛兵は会釈して、相変わらず固まっている男の肩を叩いた。すると男は、なんとペコリと頭を下げて――怒った表情のまま――ギクシャクと両手足を動かしその場を去っていった。残りの衛兵たちもそれに続いた。
衛兵たちを見送ってアシヤは正面に向き直った。
アシヤがどうしたものか考えていると、ふいに男の影がふらり、と揺れた。目眩を起こしたような動作に、アシヤは慌てて手を伸ばそうとした。
『絶対に触らないで!』
アシヤの能力につい最近放たれた言葉が過ぎり、思わず躊躇する。幸い男はその場で踏み止まった。
「大丈夫か?えっと、歩けるか?」
男はがくり、とまた体を揺らしたが僅かに頷いた。
「よし。じゃあ背中を押すから、一緒に歩こう」
男はまた僅かに頷いた。アシヤは男の背に手を当てて、東門の外へ誘導した。
2人は門を潜ってウッドユールを後にする。
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