第7歩 灰色の朝日課長
「なんでこんなとこにみかんが落ちてるの!」と、うれしそうに朝日課長が騒いでいる。
みかんの落とし主は総務の新入社員だ。
漫画の主人公のように抱えた紙袋からみかんが落ち、拾おうとかがむたびに次のみかんが落ちるので一向に事態が収束しない。
本当は助けに行きたかったけど、いい人ぶってるとか新人ちゃんを狙ってるとかそんな事を言われやしないかと思春期でもないのに自我と戦っているうちにタイミングを逃してしまっていたので、朝日課長の声で初めて気づいたかのようなふりをすれば助けに行けるのだけど、やっぱり管理職にいいとこ見せたいのかと思われる気がして動けない。
「僕の地元もねー、みかんで有名なんだよ」と言いながらみかんを拾い始めた朝日課長に、「ありがとうございます」と盛大に頭を下げたものだから、またみかんが散らばった。
「あっ、すいません」と何度か聞こえて、どうやらみかん騒ぎが落ち着いたらしい。
「あのー、社長室の山田さんから皆さんに」と、拾ったばかりのみかんをぐいっと押し出した新人に、周囲はぎょっとした。
落ちたのを見たし、相手は課長だし、山田さんは朝日課長の元婚約者で、結婚式前日に朝日課長がフラれたらしいし。
流石にまずいと思いつつもさらに動けない。
動くわけには行かない。
「えー、ありがたいねー、でも山田さんってことは有田みかんでしょ?」「そうなんですか?」「そうそう」「詳しいんですね、仲いいんですか」「まあねー、僕も会社、長いから」
意外にも朝日課長はその場を爽やかにこなしている。普段の朝日課長なら、焦りすぎて気を失ってみかんを全部床に落としていても不思議じゃないのに!
「ありがとう、みんなで分けとくよ。うちの課だけでわけていいの?」「はい!」
課長が、みかんを休憩用のカウンターに立てかけて、「みんなー、みかん、もらってねー」と朗らかな大声を出す。
新人ちゃんが部屋を出ていくと、噂好きのヤマナカが手招きをしているのが見えた。
「なんだよ」
「あれ、総務から来た子でしょ?」
「そうだね」
「杉本さん、わざと指示したのかな?」
はっとした。
杉本さんは我が社のお局様二大巨頭のひとりで、朝日課長とは学生時代からの親友らしい。
そういえば朝日課長が先週、杉本さんの誕生日祝いの会に残業で遅刻したと言っていたけどまさか…。
「みかん、いただきます」と、白田さんが勇気を出して2つ、みかんを持ったのを期にみかんは売れ始めた。
「でもさー、朝日課長、大人だよね」
「ホント、意外だけど、偉いよ」
なんでも入社後すぐに元カノと山田さんを天秤にかけて乗り換え、当時山田さんも彼氏がいたが大恋愛の末2人は婚約、結婚前夜に突如山田さんは「わたし、一生独身でいたい!」と目覚めてひとりでインドへ旅だってしまったらしい。
結婚式場でその説明をしながら朝日課長は2度も気絶したそうだ。
その顔色は血の気がひいて、粘土のような灰色だったと木下次長が話していた。
朝日課長を見ると、もう涼しい顔で通常業務に戻っている。
大人だな
なんかかっこいいな
ヤマナカと二人で感心して仕事に戻ることにした。
しかしその夜、朝日課長は珍しく泥酔して家の鍵をなくし、細君から血の気が引くまでお説教をされることになるのだが、そんなことはまだ誰も…この事態を手引きしたであろう杉本さんさえ知らないのである。
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