第4歩 野田川さんの朝日課長

弊社には怖いひとが二人います。

一人は総務の杉本さん、トイレットペーパー泥棒に二時間正座をさせたそうです。その泥棒は取引先の営業アシスタントとしてきていた、言わばお客様だったらしいのですが杉本さんは容赦なく


ここまで書いて野田川さんは手を止めた。

あくまでも噂、でもたぶん本当。


今日は社内新聞の原稿の締切日で、たった一本のコラムを求められているだけなのに野田川さんは未提出だった。

「わたしに文才求められても、困ります」

今更ながら口に出してみたが、なら依頼された二ヶ月前に言うべきだったとわかっている。

野田川さんが本当に書きたいのは、朝日課長のことだった。

朝日課長とは、社内で一番のんびりしていると有名な社員のことで、あれだけのんびりしていて台風の日には前日から休みを取るのにどうやって出世したのか、とか、朝日課長は社長の隠し子でコネのちからだけで出世したとか、道で助けたご老人が凄い人物でその威光で入社できたとか、そんな話がたくさんある。

野田川さんは最近経理に配属されてきて密かに楽しみにしていることがある。

もうすぐ年末調整の時期、朝日課長の個人情報が手の内に入るかもしれないのだ。

しかし野田川さんはうかつで、経理と総務と人事、どこがそれを取りまとめているのかを把握しておらず、一か八か、経理!と期待を込めている。

先週の土曜日、野田川さんはデートをした。恋人はやさしく賢く誠実な人だが野田川さんは物足りない。

だらしなくてどうしようもない、貯金も夢もないような人を好きになってみたいという願望がある。

デート中に上の空でも恋人はやさしく受け入れてくれたが、そんなことは野田川さんには響かない。

おそらくいいとこのボンボンの朝日課長ではあるが、何となく野田川さんのアンテナが「このひとかも」と告げている。

野田川さんはうかつなので朝日課長が妻子もちなことをまだ知らない。


「あ、締め切りだ」と言いつつ野田川さんはパソコンに向かう。

「容赦なく、犯人が盗んだトイレットペーパーで犯人の体を」

そこまで打った野田川さんは背後に気配を感じた。

多分この周囲の緊張感、背中に感じる熱気、そして経理課長があわてて私物のスマホを隠した様子、もう一人の「怖いひと」経理の大岩さんにこの文章を読まれたかもしれない。

あわててデリートキーを連打しながら振り返る。

確かにそこには大岩さんが立っていて、セクハラなんだかパワハラなんだかすごく近いところに顔がある。

「キ、キッスのきょりですね」と、なんとか言葉を発したが、大岩さんはもはや一文字も打たれていない野田川さんのパソコンを見たまま。

「これいまなんかおもいつかなくてなにも」とにかくしゃべってごまかそうとする野田川さんの事を経理の全員が見ている。

「野田川さんは…、」

「朝日…、」

変な間で話す割に野田川さんを的確にドキリとさせる

「朝日課長と似てますね」

と言った大岩さんはなぜか微笑んでいる。

「二人の怖いひとのことを書きたいなら、私たちは今日のランチは社食でとります。席、空けておきますね。」

と、地獄の招待をして去っていった。

シャーッと、椅子ごと移動してきた経理課長が「ま、あの人は悪い人じゃないから。」と言いながら野田川さんの机にお菓子をおいてシャーッとまた椅子ごとはなれていく。

「わたしって朝日課長に似てますか?」

と、その背中に向かってぶつけてみると、経理課長は振り向いて、「だといいね、お昼にきいてみたら?」

どういう意味なんだろう。

野田川さんの心を占めていたのは今朝もコーヒーをこぼしてネクタイにシミを作っていた朝日課長だったが、それがモヤモヤと姿を消し、「怖い」二人が朝日課長の頭を掴んで締め上げるイメージが沸いてくる。その朝日課長が徐々に自分の顔に…


「わたしって、」

そう言ったきり宙をぼんやり見つめて考え事をはじめた野田川さんは確かに朝日課長に似ていたが、うかつな野田川さんは気づきもしないのだった。


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