第12話 『甘いブラックコーヒーを1つ。』

 今まで時間の経過、と言うものをそこまで考えた事はなかったのだが、気づけばゴールデンウィークが始まってから、すでに4日が経過していた。


 別に、やることがなくて惰眠を謳歌していたわけじゃない。


 ゴールデンウィーク初日は美也子と出かけ。その次の日は夏海との一件。


 昨日はやっと平和になったかと思えば、午前11時から20時までのフルタイムのシフトを思い出し、重い足取りでアルバイトへ。


 そして今日、ゴールデンウィーク4日目。


 朝に夏海の来訪もなく、今日こそやっと平和な……。と思ったのだが、今日は今日でシャンプーや食材などが底を尽きてしまったため、買い物に行くことになった。


 まぁ、とはいえ、別に誰かと出かけるわけでも、どこかちゃんとした場所に行くわけでもない。


 そんな考えで適当に引っ張り出した、黒のジョガーパンツと白色のスウェットを見に纏うと、財布とスマホ、家の鍵をサコッシュに入れいざ外へ。


 自宅の最寄りのバス停から、駅へ向かうため、バスに乗りこむ。


 まぁ駅付近なら、ちょっとしたスーパーや、ドラッグストアもあるし、時間が余るようなのであればカフェに寄ればいい。


 でもそうなってくると、だんだんと思考が広がってきて、最後にはアキバでも行こうかな。なんて考えていた。


 駅に到着しバスを降りる。まずはなんの買い物を済まそうか。


 なんて、考えながら歩いていると。


「……あ」


 そんな、華奢な声に顔を向ける。


 するとそこには、さらりとした白のロングスカートと、ライムグリーン色の長袖姿の麻冬が、キョトンとした表情でこちらを見ていた。


 全体的に露出が少なく、またふわりとしたコーデに、なんだか麻冬ぽいなって思った。


 彼女が肩にかけていた、少し膨らんだトートバッグに目を向けて、俺は声をかける。


「よ、麻冬。今日も結構暑いな」


 すると、麻冬は小さく息を吸って、「うん」と、小さく頷いた。


 彼女は一歩こちらに近づき、小さな唇を動かす。


「今日も暑いね。遥灯くん」


 あまり変化のない表情。だけど、気のせいか、その唇の端はどこか、少しだけ持ち上がっているような気がした。


「麻冬も買い物?」


「……ううん。私は塾」


「あぁ、そっか。すごいな麻冬は」


 そう言葉を返して、俺はぎこちなく微笑む。


「難関の大学行くって、ずっと言ってたもんな」


「……うん」


「あはは。それじゃ、邪魔しちゃ悪いな」


 なんだか、バツが悪くなって一瞬スマホに目を向けると。


 「それじゃ、頑張れよ」と彼女に手のひらを見せ、麻冬の横を通り過ぎていく。


 気がつけば、麻冬と別れてから1ヶ月。


 もう、気まずさも抜けきっていると思っていたのだが、いざ対面してみると全然そんな事はなくて。


 一度別れたカップルが、仲のいい友達として。


 なんて。心のどこかでは期待していたのだが、どうやら厳しいらしい。


 少し歩いたところで、小さくため息を吐く。


 今日はさっさと買い物を済ませたら帰ろう。


 そう、思った瞬間だった。


 ——たっ、たっ、たっ。


 きっと、そんな音だったと思う。


 背後から聞こえた、誰かの足音に後ろを振り返ろうとした瞬間。


「ま、待って!」


 聞き覚えのある声と同時に、スウェットの背中をぐいっと引かれた。


 驚きと一緒に振り返ると、はぁ、はぁ。と小刻みに呼吸をしている麻冬が、俺の服を握っており。


「塾まで……まだ時間あるから……だからっ」


 そこで言葉を切ると、彼女は大きく息を吸う。


 そして、それをゆっくり吐き出すように、


「この後お茶……していかない?」


 そう、夏海とよく似た、青い瞳を大きくさせた。




 彼女に連れられてやってきたのは、例の如く、駅の中に入っている喫茶店。


 ここは、俺と美也子がよく待ち合わせに使う以外でも、麻冬とのデート待ち合わせ場所としても、よく利用していた場所だ。


 ただ、別れてしまった後の利用は初めてで、いつも座っていた場所に腰を下ろすも……。


「「……」」


 お互いに気まずいせいか、言葉を交わす事なく、喫茶店のどこかしらを見ていた。


 ため息をつきたい状況だが、今露骨に息を吐けば、彼女に聞こえてしまうだろう。


 だから、心の中でそっと息を吐き、俺はカップに口をつけた。


 すると、そのタイミングで「そのさ……」と口を開いた麻冬。


 彼女の手元のアイスラテは、いつしか半分ほど中身が減っていた。


「ん? どうかした?」


「いや、その……遥灯くん、今日はブラックじゃないんだね」


 そう彼女に言われて、自分のカップの中に視線を落とす。


 彼女の言った通り、今日はいつものブラックではなく、恐らく初めて頼んだであろう、ソイラテ、と言われるものだった。


 まろやかな豆乳の香りを鼻から抜くと、再び麻冬へと視線を向けた。


「まぁ、なんて言うか。今日ぐらい、いつもよりちょっとだけ違う事、してみようかなって」


「いつもと違うこと?」


「そ。いつも真っ直ぐ行くところを曲がってみたり、いつもはやらないゲームセンターによってみたり……って、まぁ、今日のところはまだ、ラテだけなんだけど」


 あはは。と自分でも思っていなかった照れを隠すために笑い、言葉を続ける。


「まぁ、でも、それが妙に新鮮って言うか。『いつも』に抗っているような気がして、なんかいいだろ?」


 そう、麻冬に言った。


 すると麻冬は、目をぱちぱちとさせて、


「……ぷっ。ふふっ」


 小さな吐息で吐き出す。


 そんな、いつも通りな彼女の、無表情が崩れていくシーンになぜが、胸が熱くなって。


「なんだよ……ふふっ」


 俺も釣られるようにして、笑ってしまった。


 しばらくの間お互いに、笑い声を抑えるように体を震わせていると、


「ふぅ……ふぅ……そっか、いつもとちょっと違うことね」


 そう、ぼそりとつぶやくと、麻冬はカップの中のものを一気にストローで吸い上げ、席を立つ。


 その足取りで再びカウンターへ向かい、何かを注文すると、しばらくして白いカップを片手に戻ってきた。


 彼女が満足気に持ってきたカップの中身を見て、俺は思わず息を漏らす。


「え、麻冬って苦いの……」


「そう……でもね、これはたぶん今日しかできないの」


 だからさ。そこで息をつくと、彼女はふっと頬を持ち上げる。


 ずっと好きだった、いや、なんなら今でも好きな、その綺麗な顔。


 短くはなってしまったけど、それでもなお、麻冬によく似合っていると思う、その髪の毛をさらりと揺らしながら。


 麻冬は言った。


「だって……今日はほんのちょっとだけ、いつもと違う私だから」


 そう言い終わった瞬間、白いカップに、ふーっと息を吹きかけて、ゆっくりと口をつける。


 そして、その様子を見守っていると案の定……。


「……うぇぇ……ニガいぃ……」


 そんな風に、心底苦そうに目を細めながら、舌をぺろりと見せる。


 そんな彼女に、俺はまた吹き出した。


 全体的に大人っぽくて、清楚で。


 それなのに、時々こうやって幼くなる。


 もう一生、見られないのかなと思っていた、この表情は。


「……ぷふ。あはは!」


 少なくとも、今だけは目の前にあった。


「俺、シロップ持ってくるよ」


「うん。甘いブラックコーヒーなら、なんとかいけそう」


「なんだよ、甘いブラックって」


「ふふっ。私オリジナルブランドだよ」


 ゴールデンウィーク4日目、ほんのひと時、


 元カノとワンシーンだった。




 





 


 

 




 


 


 



 


 


 

 

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