第11話 『キスマーク』
それは、美也子とのデートをした翌日のこと。
午前6時30分。窓の外に広がる、海に行きたくなるような快晴の空に俺は小さく息を吸う。
ゴールデンウィーク2日目。
さて、今日はなにをしようか。なんて流暢な思考は……。
……。
「ね、お兄さん」
そんな声に、かき消された。
見慣れた、金髪のボブが俺の目の前でさらりと揺れる。
柔軟剤のいい匂いがする黒のロングTシャツと、ブラウンのスカート。
そしてそいつは、床に正座させられている俺と同じ目線に合わせると。
「納得できる説明してれくれなきゃ、私、やだよ?」
そう、俺の両肩をガシッと掴みながら、青い瞳を大きくさせた。
そんな夏海の迫力に、俺は思わずこくりと喉を鳴らす。
そんな中、こんな状況なんて知ったこっちゃないのだろう。
「ん……くか〜……くか〜……すやぁ……ん、えへへ、でっかいたこ焼きさんで、ビーチバレーボール……体がソースでベタベタだよぉ……」
そんな、ワケのなからない寝言を、俺の背後のベッドの上で呟いていた美也子に、思わずため息を吐いた。
ことの発端は、東京駅を見に行った後のこと。
最初は遅くなってしまったため、どこかで夕食を済ませていこう、と提案をしていたのだが。
「……やだ。今日は遥灯が作ったオムライス食べる」
と、美也子が頬を膨らませたため、予定通り俺の家で、2人で夕飯を食べることになった。
しかし、家に帰ってきた時刻が、そもそも20時であり、そこからさらにご飯を作って……。
としているうちに、21時になってしまった。
それでも、オムライスを美味しそうに頬張った美也子は、どこか無邪気な子供のように見えて。
向かい側で、もぐもぐと頬を動かす姿を見ていると。
「ん〜っ! ……って、ニヤニヤすんなぁ!」
と、いつも通りの美也子を発揮してくれた。
まぁ、その後は普通に帰宅するのかと思ったのだが。
「あ、あのさ! 今日はもう遅いし、それにお母さんには、一報入れてあるから、その……」
……。
「今日は、泊まっていってもいい?」
そんな感じで、美也子が泊まっていくことになった。
彼女はシャワーを浴び、俺の貸した着替えに身を包む。
まぁ、やはりというか、俺と美也子ではあまりにも体格が違いすぎるため、俺のスウェット一枚でも、それっぽいワンピースみたいにはなったのだが。
流石になんというか……スウェットから伸びる華奢な足は、ミニスカートとは違う、破壊力? みたいなものがあって、ブカブカ承知の上で、しっかり下も履いてもらった。
その後は、俺もシャワーを浴び、回していた洗濯物をリビングの設置型の物干しに吊るすと、洗面所に2人並んで歯磨きをした。
そして、いざ就寝となり、俺がリビングのソファーに行こうとした時。
「あのさ……」
そんな華奢な声と同時に、クイッと背中を引っ張られる。
「流石に、私だけベッドっていうのも、なんか気が引けるし……その、別に私たち幼馴染だからさ、一緒のベッドで……ほら、昔やってたみたいに背中合わせで」
そんな、頬を赤く染めた、しおらしい幼馴染の姿に、ドキドキしたことは間違いない。
そして、彼女の勇気を、俺の羞恥心で踏みにじる度胸なんてなくて。
「それじゃ、電気消すぞ?」
「……うん」
俺は電気を消すと、慎重な足取りでベッドへと向かっていく。
いつもは転がり込むように入るベッドだが、今日は華奢な体の美也子がいる。
だから、慎重にゆっくりと。
そんな感じで、お互いに背中を合わせる状態で、一枚の毛布を被る。
背中に感じる温かい体温と、小さな呼吸で動く華奢な感覚。
なんていうか、こんなにも心臓が速くなるなんて思ってなくて、正直眠気というものはこの時点で皆無に等しかった。
きっとそれは美也子も……と言いたかったのだが。
同じベッドに入ってから、ものの数分で、美也子は気持ちよさそうに寝息を立てていた。
たぶん緊張とか、そういうものを全て通り越して、今日1日の疲労が先に来てしまったのだろう。
まぁ、確かに今日一日、美也子は頑張ったからな。
俺は、ふふっと鼻を鳴らすと、胸の前で腕を組み、目を閉じる。
やがて、ゆっくりと意識が、深いところに沈んでいって……。
…………。
……。
……っ!
次の瞬間、俺の背中にドスッという衝撃が走り、思わず息が漏れる。
そして、押し出されるようにして落ちた俺は、何事かとベッドを確認した。
するとそこには、目を瞑りながら、美也子が右拳をまっすぐに突き出しており。
「正拳突きは……一発一発……殺意を持って……」
いや怖えよ。
そんな風に寝言を言い、その後も美也子はベッドの上で定期的に動き回っていた。
まぁ、この際だから言おう。美也子の寝相がバケモンすぎる。
もうベッドには戻れないだろう。でも仮にリビングのソファーで寝たとして、夢中のバケモンがなにをしでかすか分からない。
ということで、とりあえず床で寝ることにした俺。
暗闇の中、時々聞こえる寝言や、ベッドのスプリングの音にそっと目を閉じる。
そして、気がつけば朝だったのだろう。
ひんやりとした朝の空気の中、静かに聞こえたガチャっという音。
そこで意識が浮上し、目を開ける。
いつの間にかうつ伏せになっていたせいで、体の節々の痛みを覚えたが、ゆっくりと上体を起こし、ドアの方へと体を向ける。
だが、最初に飛び込んできたのは、見慣れた部屋の全容ではなく……。
「おはよ。お兄さん♪」
なんか怖い笑みを浮かべた、私服姿の夏海だった。
「そういうことがあって、今に至る……」
「ふーん」
流石に痺れてきた足を、ムズムズさせると、俺の勉強机の椅子に腰掛けた夏海が、つまらなそうに鼻を鳴らす。
不機嫌。とまではいかなくても、決してプラスの方面の表情でないことは読んで取れた。
すると、夏海は「ね、お兄さん」と口を開く。
「あのさ、そういうやましい事がなくたって、年頃の女性と2人っきりで泊まる意味って、理解してる?」
「いや……その……」
確かに……と、夏海に言われて理解する。
年頃の女性と同じ部屋で一晩明かす。
それは詰まるところ、そう言うことが起きたとしても、もう言い逃れはできないと言うことだ。
だってもう俺たちは、子供というにはあまりにも大きすぎる年だから。
義務教育を終え、成人する一歩手前。
法的に大人じゃなくても、思考や体が大人になっていてもおかしくないんだ。
別に、謝る義務はなかったのかもしれない。
だけど、俺はまるで懺悔をするかのように「ごめん」と夏海に口を開いた。
「正直、幼馴染だからそういうことは絶対に起こらないって、そんな浅はかな考えだった」
「……それで?」
「それで……なんていうか、夏海に言われて、確かにやましいこと疑われても仕方ないなって、思った」
「ふーん。お兄さんなりに反省してるんだ」
そして、もう一度、「ふーん」と鼻を鳴らした夏海。
すると、椅子から立ち上がった彼女は、部屋のドアを開け、俺に向かって手招きをする。
そんな彼女に疑問を抱いたが、きっと何も言わず従っておいた方がいいのだろう。
痺れた足でゆっくり立ち上がると、夏海の後に続く。
そして、連れてこられたのは、洗濯機が静かに佇む脱衣所だった。
夏海は、背中の回した手で、そっとドアを閉めると。
「ね、上の服、脱いで?」
「え?」
微笑みながら、そんなことを言った彼女に、思わず俺は小首を傾げた。
「いや、なんで脱ぐ必要があるんだよ」
「ん? それはね……ふふっ」
すると、夏海はそっと俺の耳元に口を近づけ。
「そーゆー事になっちゃった時の重大さを、分からせるた〜め♡」
甘い吐息が耳に流れ込んできて、思わず俺は背中をぞくりとさせる。
そして俺から離れた夏海は、スマホの画面をこちらに見せると。
「あと5秒以内に脱がないと、これ、お姉ちゃんに送っちゃうから」
そう、ベッドの上で幸せそうな寝顔の美也子の写真を映し出していた。
「ご、5秒って早すぎるだろっ」
「だから5秒なんだよ。だって考える時間なんていらないでしょ?」
そう微笑み、「はーい。5、4……」とカウントダウンを始める夏海。
その煽るような表情に俺は、奥歯を噛み締めつつ、着ていた黒色のスウェットを脱ぎ捨てる。
床にぱたっと落ちた音が聞こえると、夏海は蠱惑的に微笑み、「よくできました」と、口を開いた。
「それじゃあ、お兄さん。ここからは選ばせてあげるね?」
「選ぶ?」
「そ。お兄さんは選ぶことができるの、私にキスするか、それとも、私にキスされるかを……ね?」
そんな、突拍子もない言葉に、俺は思わず「はぁ?」と息が漏れる。
しかしそれでも夏海は続けた。
「今日は偶然そういうことにならなかっただけ。だから、もしもそういう事になってしまったら……っていう疑似体験をしてもらうの。もちろん、そういう事になったら、最後までシちゃうと思うんだけど……それは流石にできないから、キスマークをつけるの」
すると夏海は、Tシャツの首元に左手の人差し指を引っ掛け、ずり下げる。
露わになった白い肌と、華奢な鎖骨や首筋に、俺はこくりと喉を鳴らした。
「1箇所は他の人からも見える場所。もう1箇所は〜……ふふっ♪ 胸、にしとこっか♪ 」
「いや、だから……」
「ん? あれー? お兄さんに決定権ってあるんだっけ? ほら、今度も5カウント、始めるよ? さぁ〜て、お兄さんは、どっちかなぁ?」
そう、蠱惑的に微笑み、舌をぺろりと見せると、
「はーい、5……4……3……」
と彼女は再びカウントを始める。もうここまで来ると、本当にするかしないか、という選択肢以外に逃げ道は用意されていないのだと悟った。
だけど……夏海は、麻冬の妹であり、そんな彼女の首筋にキスマークなんて残してしまえば、バレるのはきっと時間の問題だろう。
そうしているうちに、夏海の魔性的とも言えるカウントダウンは、
「い〜ち……ぜぇ〜ろっ。はーい、時間切れ〜♪ 残念でしたぁ〜♪」
彼女の、小馬鹿にしたように言いながら、左手の人差し指を、首元から離した。
すると夏海は、一歩俺に近づき、覗き込むように見る。
「そっかぁ、お兄さんにそんな度胸はなかったかぁ〜」
「そんな度胸も何も……そんなことするつもり、ハナからねえよ」
「え〜。でも、『する』か『される』の2択しかなくて、『される』を選んじゃうお兄さんってぇ〜……ふふっ♪」
そう、言葉を切ると、夏海はそっと俺の首に腕を回し、体を密着させる。
やがて、彼女は俺の耳元にふっと息を吹きかけると。
「ドM、なんだよね♡」
彼女のそんな甘くて、蠱惑的な甘い息に、再びぞくりとした感覚が、全身に走り、どくどくと心臓がなり始める。
きっと、その華奢な肩を押し返そうと思えばいくらでも押し返せるはずなのに。
「それじゃ、そんなマゾなお兄さんにはお仕置き……、いや、もしかしたらご褒美になっちゃうかも? ふふっ。とにかく、キスマーク、つけていくね? あ、声は、絶対に抑えてね? じゃないと、美也子ちゃんにバレちゃうから」
そうして、夏海は俺の首筋を舐めると、柔らかい唇でそっと吸い付く。
柔らかくて暖かくて。でもぬるりとした感触が走るたびに、ぞくりとして。
いつでも押し返せる。
そんな思考は、時々漏れる「んっ……」というくぐもった息と、ねっとりと耳に絡みつくような水音でかき消されていった。
しばらく首筋に吸い付いたあと、夏海は水音と共に唇を離し、次は俺の胸の上を、舌でなぞっていく。
そして、先ほどと同じく柔らかい唇で吸い付き、時々、魔性的な声と、水音を漏らしながら、彼女は俺の体をギュッと抱きしめていた。
しばらくした後、再び水音とともに、夏海の綺麗な顔が離れる。
視線を下に下げると、綺麗な唇から伸びた唾液の糸は、吸い付いていた胸元に続いており、そこは、なんていうか、小豆みたいな色の跡がくっきりと残っていた。
ドキドキとなる心臓を誤魔化すように、俺は彼女から視線を逸らす。
「……これで満足か?」
「ふふっ。そんなこと言って、本当は私なんかよりも満足してるくせに〜」
そう言って、夏海は鏡の方へ俺の体を向かせると、言葉を続ける。
「ちゃんと鏡で確認して? 首筋と、胸にできた、私のキスマーク……あははっ。これから大変だね。こっちは服を着れば隠せるけど、首は隠せないね」
そんな夏海の声を聞きながら、まじまじと鏡を見つめる。彼女の言う通り、首のものは、襟の高いものを着用しなければ、隠すことはできないだろう。
まぁきっと、ゴールデンウィーク中に学校に行くことはないので、バレることはないと思うけど。
すると、夏海はふふっと微笑み、床から俺の脱いだ服を持ち上げる。
「いつまでもキスマークに見惚れててもいいけど……。そろそろ着た方がいいよ? きっと、そろそろ美也子ちゃんが起きてくる頃だし」
そう、俺にスウェットを渡すと、彼女は一瞬するりと下半身を撫でて、
「こっちは……いつかお兄さんからキスしてくれたら、してあげるね♡」
そっと、耳打ちをする。
またどきりと心臓を弾ませ、フリーズした俺を横目に、ドアを開けた夏海。
「それじゃ、朝ごはん一緒に作ろっか♪ 美也子ちゃんも一緒に食べていくんでしょ?」
そうやって微笑み、舌をぺろりと見せた夏海は、まるでサキュバスのように蠱惑的で、魔性的だと思った。
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