第10話 『バッドデイ・リフレクション』

 ゴールデンウィーク初日。


 幼馴染とのデートの待ち合わせ場所は、駅の中に入っている喫茶店だった。


 時刻は午前10時。美也子よりも少し早めに着いた俺は、2人用のテーブルに腰掛けると、ブラックコーヒーを注文する。


 喫茶店で待っていればお互いに見つけやすいし、これからの予定なんかも事前に聞き出せるだろう。


 カップと口を、2、3度ほど行き来した後、テーブルの上のスマホがブルリと震え、手に取る。


 画面に目を向けると、美也子からのメッセージ通知が来ており。


『今着いた』


 そんなメッセージをタップし、彼女とのメッセージ画面へ。


『駅中の喫茶店にいる』


 そう連絡すると、送ったメッセージの右上に、早速既読の文字だけがつく。


 しばらく待っていると、視界の先で自動扉が開き、店員さんが誰かとやりとりしている様子が見えた。


 そしてその人物は手の大きさに対して、明らかに大きなプラスチックのカップを自信満々に持ち、俺の横で足を止めると。


「ふっふ〜ん♪」


 みたいな感じで、ない胸を逸らし何かを誇るように鼻を鳴らした。


 それに構わず俺はカップのコーヒーに口をつける。


「……って、ちょっとはこっち見なさいよ!」


 吹き出すように美也子は言った。


 俺はカップをテーブルに戻し、美也子の方へと顔を向ける。


「大丈夫、俺もさっき来たばっかりだから」


「いや聞いてないし! てか、急にモテる男みたいなこと言うな!」


 すると彼女は、「ん〜っ!」とこちらを睨みつけながら、ズカッと向かい側に腰掛ける。


 しかし、白の厚底のスニーカーとグレーのミニスカート。白色のゆるふわのニットの、ガーリーな格好も相まって、可愛らしい小動物にしか見えなかった。


 美也子は不機嫌そうな表情のまま、ストローを咥え、口を窄める。


 その小さな口で、カップの中のココア色の液体を吸い上げると、彼女はストローを放し、腕を組んだ。


「……」


「どうした美也子?」


「……いや、ほら。こういう時って、なんかあるじゃん」


「ん? ……あぁ思い出した」


 俺がそう言うと、少しだけ目を開いた美也子。


「今日の予定なんだが……」


「あ、そうだね今日はこの後、船橋に行って〜……って、違うわぁ!」


 彼女はテーブルに手を乗せ、やや前のめりになりながら、そう声を上げる。


 それはもう、何かのコントにしか見えないようなノリツッコミだなと思った。


 しかし、そうなった理由もわからないまま、ため息を吐きながら元の体勢に戻った美也子。


「はぁ……とりあえず、これ飲んだら行こう」


 どこか呆れとも不機嫌とも取れるような表情で、再びストローに口をつけた彼女。


 その視線は、ちょっと残念そうに窓の外へ向いたままだった。



 



 今日の大まかな予定は、船橋のララポートで買い物をした後、そのまま電車に乗り、海浜幕張のアウトレットパークを散策。


 その後は、少し公園を散歩して帰宅。俺の家で夕飯を食べる。


 と言う、プランだったのだが。今日は最先から出鼻を挫かれる事になる。


 まずは、地元の駅から船橋駅まで乗り、その後はバスで向かった先のララポート。


「あった! ……けど、あれ? このサイズだけない……」


 と、まずは彼女が欲しいと言っていた服のサイズがピンポイントでなかったり。


 はたまた。


「申し訳ございません。こちらのフレグランスは明日、再入荷の予定でして」


 と、欲しかった香水の入荷日が、まさかの翌日だったり。


 一応、ララポートで昼食を取ることはできたものの、その次に向かった海浜幕張のアウトレットパークでは、どういう訳か臨時休業でシャッターが閉まっているお店が多数あったり。そしてしまいには。


「……雨、降っちゃったね……」


 アウトレットパーク内の喫茶店。


 窓についた雨粒を眺めながら、美也子はため息をついた。


「まぁ、そういう日だってあるよ」


「……そう、だね」


 彼女はボソリと呟き、湯気の立つ白いカップを両手で持って、口に運ぶ。


 そっとため息と一緒にカップから口を離すと、彼女はまた頬杖をついて窓の外へと顔を向けた。


 そんな、落ち込んだ様子の彼女を横目に、俺もカップに口をつける。


 きっと、今日は美也子にとって、何もかもが思い通りにいかなかった1日だったのだろう。


 買いたかったものは買えず、美也子のことだから俺のことを考えて、楽しませてくれようとしたのに、それもダメで。


 それでしまいには、雨にも降られてしまう。


 きっとそれは、不憫以外の何ものでもないのだろう。


 しばらく、お互いにカップを持ち上げては、テーブルに戻しを繰り返して。


 そして、俺のカップの中身がカラになったタイミングで、美也子がボソリと呟いた。


「……今日はごめんね、遥灯」


 傷心したような細い声に、俺は顔を彼女の方へと向ける。


 美也子はどこか悲しそうな表情をしたまま、窓ガラスの方へと顔を向けていた。


「いや、謝ることないだろ。なんだかんだで俺は楽しかったよ」


 すると美也子はワンテンポ遅れて、ふふっと鼻を鳴らしこちらに顔を向ける。


「優しいね、遥灯は」


 そう言って、やんわりとした表情を浮かべた美也子。


 しかし、その顔はなんていうか、無理やり微笑んだような、苦しそうな表情をしていた。


 椅子を引きずりながら、ゆっくり立ち上がった美也子。


「それじゃ、もう帰ろっか」


「え、もういいのか?」


「……うん」


 俺から視線を逸らし、小さく頷いた彼女。


 きっとここで俺が何を言っても、彼女をさらに落ち込ませてしまうのが、オチなのだろう。


 俺もゆっくりと立ち上がり、カップやトレーを返却口へと戻し、外へ出る。


 改札を通り、やがてやってきた電車に乗り込んだ。


 海浜幕張から新小岩に帰るためには、一度、南船橋駅で乗り換える必要がある。


 そして電車に乗り込んでから、しばらくして、南船橋駅に到着。


 隣に座っていた美也子がゆっくりと立ち上がる。


 それに釣られるように俺も立ち上がり、ホームへと降りる。


 きっと、みんなも西船橋方面へと向かっていくのだろう。質素なホームには、一気に人が溢れかえっていた。


 でも、そのはずなのに、なぜかいつも以上に静かに感じて。


 ただ、周りを歩く、複数人の足の音の中。


 ソールの素材の違いや、そもそもの靴の種類によって、いろんな音がするはずなのに、妙に美也子のスニーカーの音が耳に届いていた。


 俺の少し先を歩く、華奢な背中をぼんやりと眺めながら歩いていると、電車の発車チャイムが鳴る。


 その音に釣られられるようにして、視線を電車の方へと向けた、その刹那。


 一瞬、電車の窓ガラスに、美也子の悲しそうな横顔が反射して。


 そして俺は、咄嗟にその華奢な腕を掴むと……。


「……っ!」


 美也子のハッと息を飲んだような声が聞こえたが、彼女の腕を強引に引っ張るようにして、電車へと飛び乗った。


 美也子の体が入り切ったタイミングでドアが閉まると、ゆっくり電車が走り出す。


 引く力が強かったせいか、勢い余った美也子を抱き抱えるような体勢になっていた。


 低身長な彼女は、ポカンとした表情で俺を見上げる。


「遥灯……?」


 きっと美也子は、「なんでまた電車に乗ったの?」と聞きたかったのだろう。


 でも、なんていうか、個人的にその理由を答えるのは、カッコ悪い気がして。


「すまん。今しか見れないものを思い出した。美也子の時間もらう代わりに、家に帰ったら、オムライス作るから許してくれ」


「え……うん」


 そう頷いた美也子の手を引き、彼女を座席の一番端に座らせる。


 俺も彼女のとなりに腰掛けると、向かい側の窓に目を向ける。


 電車よりも速いスピードで走り去っていく車や、少し遠くにぼんやりと見えたスカイツリーを眺めながら、俺たちは都内へと向かっていった。


 しばらくして、電車がゆっくりと停車する。


 到着した駅は東京駅。俺たちは京葉線ホームからエスカレーターを使い、地上1階へと登ってきた。


 やはりゴールデンウィーク初日ということもあり、駅構内は大荷物を抱えた人や、外国人でとても混雑している。


 そして、その人や荷物の多さもあるのだろう。


 俺もゆっくりと歩いているつもりなのだが、ふと後ろを振り返ると、体の小さい美也子は、だいぶ離れた位置で一生懸命俺の後をついてこようと、足を動かしていた。


 やがて、俺の元まで追いついた彼女に、声をかける。


「すまん、ちょっと歩くの早かったな」


「うんん。私が歩くの遅いだけだから。……ごめんね、こんなところでも足手纏いで」


 そう、申し訳なさそうに笑みを浮かべた美也子。


 その表情に俺は、あぁ、本気で落ち込んでるな、って思った。


 幼馴染としての経験上、美也子がこうやってナーバスになっている時は、本当に心底落ち込んでいる時だ。


 でも、その落ち込みを他人に向けて発散するのではなく、自責してしまうところが、彼女の優しいところでもあり、また、危ないところでもあると思っている。


 俺は小さくため息を吐くと、サコッシュの肩掛けの部分をキュッと握った華奢な手に触れる。


 視線を伏せていた美也子は、びくりと肩を動かし、顔をこちらへと持ち上げる。


 今にも泣いてしまいそうだった、綺麗な顔に俺は言った。


「美也子は足手纏いなんかじゃない。それと、美也子が思うほど、今日は悪い1日じゃなかった」


「……でも、ただずっと遥灯を連れ回して、時間を無駄にしちゃって……」


「いいや、無駄になったなんて思ってない。今日は美也子が俺を連れ出してくれたから、今俺はここにいるんだ」


 美也子のキュッと紐を握った華奢な手に、俺の指を滑り込ませると、そっと彼女の左手を握る。


 そして、ずっと不安そうで、うっすらと涙を浮かべていた彼女に、


「だから、今からそれを証明してやる。手、離すなよ」


 そう、言った。


 すると美也子は驚いたように目を見開き、息を大きく吸うと、小さく頷く。


 それからは、少し後ろを歩く美也子の手を引きながら、出口を目指して歩いた。


 そして、辿り着いたのは丸の内北口。


 外は幸いにも雨が止んでいるらしく、これほどまでない好条件に俺は心の中でガッツポーズを作る。


「遥灯?」


「あぁ、すまん。なぁ美也子、1つお願いがある」


「お願い?」


「うん。そんなに大した事じゃないんだけど、目瞑ってほしい」


 きっと、俺の言葉が予想外だったのだろう、目? と彼女は不安げに首を傾げた。


「大丈夫。絶対に手、離さないから」


 そう、彼女にいうと、「……それなら」と、目を瞑った。


 俺は、モノや人にぶつからないよう、美也子の手を引いてゆっくりと誘導していく。


 そして、とある場所で足を止めると。


「美也子、目、開けていいよ」


 彼女にそっと告げる。


 ゆっくりと目を開けた美也子の横顔。


 その次の瞬間には目を大きく見開いており。


「っ! え、……なにこれ!」


 その声は驚きで溢れていた。


 そんな彼女の反応に、俺もふふっと鼻を鳴らし、美也子の向いている方向へと顔を向ける。


 俺たちの視界の先に広がっていたのは、ぼんやりとレトロな灯りを放った、2東京駅。


 もちろん、東京駅は1つしかない。では、もう1つはどこにあるのか。


 それは……。


「すごいっ! こんな綺麗に水たまりに!」


「はは。だろ?」


 俺の手を握ったまま、ぴょんぴょんと飛び跳ねる美也子。


 そう、もう1つとは、東京駅前の大きな水たまりに映り込んだ、逆さまの東京駅なのだ。


 よく原理はわからないが、東京駅前の広場は水が溜まりやすく、決して多いとは言えない雨量でも、水たまりができたりする。


 しかし、今日のような雨量の多い雨が降った後に、ピンポイントで雨が止むというのは、実はこれ以上ない好条件だった。


 だって、映し出しているのは大きな鏡ではなく、水溜まりなのだ。


 たったの小粒のような雨でも、水面を揺らしてしまえば、ここまで見事なものは見られなかっただろう。


 俺は、そっと美也子の方へと顔を向ける。


 だが、言おうとした言葉の前に俺は、予想外の事態に息を呑んだ。


「……え、美也子? 泣いてるのか?」


 ぼんやりと映し出された、綺麗な横顔。


 その白い頬に伝っていたのは、東京駅の灯りを反射させていた、一筋の涙だった。


 すると、それを言われて気づいたのだろう、美也子は一瞬ハッと息を呑んで、空いてる方の手で目元を拭う。


「あれ……ほんとだ……あはは、なんでだろ……ごめん、なんか……止まらないかも」


 そう、繋いでいた手を解き、両手で涙を拭っていく美也子。


「あれ、あはは。嬉しいはずなのに……なんか……なんでだろ」


 そう、笑顔で涙を流す彼女を見て、俺は理解した。


 そっか、やっと安心できたんだな。


 俺は、そっと美也子の肩を抱き寄せ、彼女の背中を撫でる。


「なに泣いてんだよ。とりあえず隠しててやるから、なんとかしろ」


「うん……えへへ。ありがと」


 そう、胸元で聞こえた華奢な声に、俺は鼻を鳴らす。


 きっと、今日は彼女にとって散々な一日だったかもしれない。


 何もかも思い通りいかなくて、ずっと嫌な気分だったのかもしれない。


 でも、そんな日の最後に、ちょっとだけでも。


『あぁ、今日はこれが見られてよかったな』


 って、そんな風に思ってくれたらいいなって、そう思った。



 


 


 



 


 

 


 

 


 


 

 


 

 

 



 

 



 

 

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