第8話 『急にデレる幼なじみは心臓に良くない。』

「ね、私言ったよね? 16時10分に集合ねって」


「いや、その……ひ、人助けをだな」


 そんな風に言葉を返した俺は、彼女のギロリとした鋭い眼差しに、思わず視線を逸らす。


 時刻は16時35分。


 別棟1階の隅に位置する、旧図書準備室。


 古い本の匂いが充満するこの空き教室で俺は、20分遅刻してきた事への尋問を受けていた。


 ぎしぎしと軋む椅子に腰掛け、足を組んだ彼女は、床に正座させられている俺を見下ろすような視線を向ける。


 目線の位置的に、彼女のスカートの中が見えそうになったが、美也子はなぜかそういう視線には昔から感が強く、俺は慌てて視線を床へと逸らす。


 なんて説明するのが、一番ダメージが少ないのだろうか。

 

 そんなことを思いながら、こくりと唾を飲み込むと。


「……はぁ。まぁ遥灯のことだから、人助けはホントなんでしょ?」


 そんな、呆れ気味のような声で言った美也子。


 俺はゆっくりと顔を上げると、彼女は腕を組んで視線を左に逸らしていた。


 俺は小さく頷き、「正直に言うと、あのハンカチ、持ち主に返しに行ってた」と彼女に返す。


 すると、美也子は一瞬瞼を持ち上げて、


「……それで麻冬、なんだ」


 そう言って、すぐに目を細める。


 その表情はどこか、面白くないものを見たような顔をしていた。


 だけど、なんで美也子がそんなことを知っているのだろうか。


 その疑問を、そのままぶつけると、彼女は再び息を吐く。


「だって、麻冬とすれ違ったから。いつも別棟には来ないのに、珍しいなって。それに……」


 美也子は不自然なところで言葉を止め、一瞬俺を見ると小さく息を吸う。


「……ううん。なんでもない……でも、連絡ぐらい、してほしかった」


 美也子はそう言って、椅子を立ち上がる。


 その足取りで机へと戻ると、彼女はパソコンのキーボードを打ち始める。


 パソコンの画面を真っ直ぐ見ているはずの美也子の目は、どこか心ここに在らず、みたいな感じがした。




 

 文芸部の活動はいたってシンプル。


 文芸作品を作って、何かしらの賞へと応募する。たったこれだけ。


 なので、正直なところ部活として、何か一つの活動をすると言うよりも、各々の活動を発表し合う場、と言うのが近かった。


 もちろん、文化祭なんかの出し物であったり、新入生の入部体験用に、俳句の作り方や、短編のプロットの組み方を教えるなど、何かしらのイベントに出ることもある。


 しかし、この部活に何よりも必要なのは、完成した『作品』であり、これがないと何も始まらないので、作品制作期間を設けるため、文芸部の活動日は月、水、金曜日の3日間だけとなっている。


 ただ、その文芸部も現在、条件付きでの存続ができているだけのため、正直な話、結構シビアではある。


 本来4人以上の部員が必要なのだが、先輩が卒業したため俺と美也子の2人だけになってしまった。


 当初は、廃部の予定だったのだが、美也子が「始めたものは、絶対最後までやり抜きたい」と、強い意志を見せたため、条件付きでの部活存続が決まった。


 条件は主に二つ。水曜日を除く4日間、朝清掃を実施することと、何かしらの活動記録を月に1回提出する事。


 と、まぁ何かに追われるように活動している俺たちだが、これから唯一解放される手段がある。それはもう2人部員が入ってくること。


 学校の規定に則り、4人以上の部員を持ち正式な部活として認められれば、この縛りからも解放されるのだ。


 だけど、明日から始まるゴールデンウィークを前にして、新入部員の獲得はゼロだった。


 時刻は18時ちょうど。


 俺は2人分の活動記録データを、顧問である先生に送信する。


 長時間座っていたことによる肩こりに俺は、んーっと腕を頭上へ伸ばし、向かい側に目を向ける。


 先ほどから、ほとんど鳴っていないキーボード音に、難しそうな表情の美也子に声をかけた。


「美也子。今日はもう終われそうか?」


「……はぁ……。なにも思いつかないから終わりにする」


 彼女は不機嫌そうに返事をすると、すぐにマウスをクリックして、パソコンを閉じる。


 ため息を吐いた美也子を横目に、俺もパソコンをシャットダウンすると、椅子から立ち上がる。


 どこか元気のなさそうな美也子に、「それじゃ、帰るか」と声をかけると、鞄を手に持ち、俺の少し後ろを歩き出す彼女だった。


 部室の電気を消し、鍵を閉めると昇降口へ。


 鍵は本来、職員室へと返さなければならないのだが、先生曰く、無くさなければ持っていても大丈夫とのことだったので、今日は俺が持ち帰ることに。


 靴を履き、やがて門の外に出た俺たち。


 街灯がぼんやりと灯る住宅街に、俺たちの踵の音がコツコツと響いていた。


「あのさ……」


 しばらくの間、お互いに無言で歩いていた時、ふと後ろから聞こえた美也子の声に、俺は足を止める。


「ん?」と振り返ると、彼女は俺から視線を逸らしたまま、肩にかけた鞄の手持ちの部分をギュッと握りしめる。


 そして、何か決心を決めたように、その綺麗な顔をこちらに向けると。


「さっきの事、遥灯が麻冬のために、ハンカチ返しに行ってたのは信じてあげるけど……で、でも! 20分も連絡しなかったことは、まだ許してないからっ!」


 うるうるとした瞳をこちらに向けた。


 そんな、久々に見た幼なじみの、今にも泣いてしまいそうな顔に、俺は息を呑む。


 —— でも、連絡ぐらい、してほしかった。


 そうだ。今思えば、美也子は遅刻してきたことに怒っているわけじゃない。


 ただ、20分間も俺が約束を破って、連絡して来なかったことに怒っているんだ。


 そしてその約束を破った理由が、麻冬だったからこそ、美也子はこんな表情そしているのだろう。


 詰まるところこれは、大切にしてきた部活よりも、麻冬を優先してしまった事による、美也子なりの嫉妬なのだ。


 俺は罪悪感に小さく奥歯を噛むと、彼女に頭を下げる。


「本当にごめん。美也子」


「っ!? べ、別に……」


 ……。


「で、でも、言葉じゃなくて行動で示してほしい」


「行動?」


 彼女の口から飛び出した意外なワードに、俺は思わず顔を上げる。


 すると美也子はびくりと体を動かし、俺から視線を外すと。


「そ、そう、行動……。た、例えば1週間私の言いなりになるとか、1日1本ジュース奢るとか……あ、あとは……」


 そこまで言った彼女は、ゆっくりと顔をこちらへと戻した。


 白い街灯に照らされた綺麗な顔は、どこか赤く染まっているような気がして。


「あ、明日とか……私と一緒に……買い物に行ってくれる……とか」


 そう、語尾に近づくにつれて、少しずつ自信と声の強さを失っていく彼女に、思わず俺はどきりとしてしまった。


 てか、いつも一緒にいたからこそ、ふとした時に忘れてしまうのだが、美也子は普通に可愛いのだ。


 以前の中学では普通にモテていたし、何度も告白を受けたと話していた。


 彼女曰く、その誰とも付き合ってない、らしいが。


 そんなしおらしい美也子に、俺はふっと鼻を鳴らす。


「分かった。明日は何時にする?」


 俺の言葉に、ハッとした美也子。


 きっと彼女なりに嬉しかったのだろうか。一瞬笑みと、口元がにやけるような表情を彷徨った後、「んんっ」と咳払いをして、腕を組む。


「集合時間は後で連絡するからっ! あと場所も全部、私が都合のいいように決めちゃうから!」


「はいはい、仰せのままに」


「それと! 明日は久々に遥灯の家にも行って、夕飯も作ってもらうから!」


「まぁ、いつも1人だから、時にはいいかもな」


「そ、それとっ!!」


 だんだん嬉しそうに声を上げた彼女だが、その言葉を皮切りに、再び視線を伏せた美也子。


 彼女は一歩こちらに歩み寄ると、俺のみぞおち辺りのシャツを指で摘む。


 その行動に俺は小首を傾げていると。


「……その、明日は……何事においても……私のこと優先……してもらうから」


 そうボソリと呟いて、気恥ずかしそうに顔を横に向ける。


 そんな華奢でしおらしい姿に、また俺の心臓もドクドクと速い鼓動をはじめ。


「……あ、明日は美也子のために、頑張るから」


「……っ! ……うん」


 本当、急にデレる幼なじみは心臓に悪いと思った。

 





 


 

 



 


 



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る