第7話 『キミの探し物』

 を拾ったタイミングは、掃き掃除が終わった後の昇降口だった。


「ん? なんか落ちてる……」


「ミヤコは何かを拾った。しかしそれは爆弾トラップだった! ミヤコに231のダメージ」


「ミヤコはハルトに死の呪文を唱えた。呪文がハルトに纏い付き息の根を止めた。ハルトは力尽きた」


「おい流石にひでぇだろ」


「いや、いきなり爆発させるのもどうかと思うけど」


 と、そこまでやり取りをしたところで、ハッと息をのんだ美也子。


「って、違くて!」


 どうやら彼女はゲーム世界からログアウトしたらしい。


 すると、美也子はその落とし物とやらを摘み、優しく広げる。


「ハンカチ? だよね。結構使い込まれてボロボロ」


「そうだな。なんか糸のほつれとか、ハンカチ自体結構色抜けしてるな。確実に弱アルカリ性の洗剤で洗濯してた証拠だ」


「え、キモ。なんでそんなこと分かんのよ」


「こう見えても、アウトドアショップのアルバイト2年目だからな。そういうのには詳しいつもり」


 俺は得意げに鼻を鳴らし、もう一度ハンカチに目を向ける。


 少し補足をすると、弱アルカリ性と漂白剤、もしくは蛍光剤が入ってものを使っていると、衣類の色抜けが激しくなる。


 まさにこのハンカチがそうで、恐らく元は深い紺色をしていたのだろう。今は日焼けした本のように色が薄くなり、やや紫色をしていた。


 ハンカチを美也子から抜き取ると、指で摘み優しく擦り合わせる。


「柔軟剤も使ってるな。素材は綿っぽいから問題はないけど、ウールなんかは柔軟剤の使用はオススメしない。ウール特有の撥水性と吸湿性の機能を潰しかねないからな」


「へー。って、いや聞いてないし。てか急にめっちゃ喋るじゃん」


「いやすまん、一スタッフとして、説明しなくちゃいけない気がしてな」


「頭仕事に侵食されてるじゃん……で、そのハンカチどーする?」


「まぁ、拾っちまったもんは仕方ないし、とりあえず職員室にでも……」


 ……ん? てかこれ、よくみたら……。


 ふと、ハンカチを裏返した時、ブランドのロゴと折り目に口が止まる。


 なぜか。それは、このハンカチには強烈な見覚えがあったから。


「遥灯?」


「あぁ、すまん。これよかったら俺が預かるわ」


「え、なんで?」


「いや、もしかしたらこの持ち主、俺知ってるかもしれない。まずはそいつ当たってみるわ」


 そうハンカチを三つ折りにし、ポケットにしまい込んだ俺。


 どうせこれが落ちているという事は、もうすでに上にいるのだろう。


 そんなこんなで、教室に入った俺たち。


 さて、この持ち主は……。


 と、教室前方のドアのすぐ目の前にある席に目を向けるが、見慣れたその姿はなかった。


 ならば少し待てばいい、なんて本を読む横目でその席を眺めていたのだが、結局今日もその人がやってきたのは、朝礼の途中で。


「おう香坂。おはよう。一応ギリギリセーフってことにしておく」


「……ありがとうございます」

 

 そう席についた彼女だったが、その横顔はどこか落ち込んでいるように見えた。


 その後、朝礼の後や、授業終わり、はたまた昼休みに渡す機会を伺っていたのだが。


「よ、まふ」


「香坂。この後渡す書類があるから職員室に来てくれ」


「はい」


 ……。


 またあるときは。


「なぁ、もしかしてこれ」


「麻冬ちゃん! 二日連チャンで遅刻ギリギリなんてなしくないぞぉーっ! てか元気出せぇ〜っ!」


「んっ。ちょっと……ふふっ、もう髪の毛おかしくなっちゃう」


 ……。


 とまぁ、こんな調子で話しかけようとする度、狙ったようなタイミングでの妨害が入り。


 結局。


「もう放課後かぁ……」


 手に持ったハンカチにため息をこぼす。


 こんなことなら、最初から素直に職員室に届けるんだった。


 てか、そっちの方が麻冬の手元にも、すぐ届いたのではないだろうか。


 そう思えば思うほど、物事を厄介にした戦犯は俺なんだなって、罪悪感のようなものが湧いた。

 

 今更になってしまったが、職員室に届けよう。


 麻冬のことだ、また明日も職員室に落とし物を確認に来るだろう。


 そう、腰を上げて教室を出る。


 階段を降り、多くの学生が談笑している中央広間を通り抜け、職員室へと向かう。


 その途中。ふと別棟に続く連絡通路へと目をやると。


「……あれ、麻冬?」


 髪は短くなってしまったが、その後ろ姿には見覚えがあった。


 黒色のタイツに、規定通りの長さのスカート。やはり暑いせいかブレザーは来ていなかったけど、きっちりと着用している白色のシャツ。


 そして、切ってしまったことに違和感でもあるのだろう。途中、窓ガラスに顔を向け前髪に触れると、すぐに首を横に振った。


 てか、麻冬が別棟になんの用だろう。


 特に部活に入っているわけでもなく、また生徒会室があるのは別棟じゃない。


 それじゃ、なんであっちに……。


「とりあえず、あとつけるか」


 時刻は15時50分。


 この後の部活集合時間は16時10分であるため、まぁ、たぶん間に合うだろう。


 俺はハンカチをポケットにしまうと、連絡通路を歩き出した。




 


 別棟。とは言ってみたものの、正体は今の校舎が作られる前の旧校舎で、基本的には文化祭の資材や、部活の物置なんかに使われている。


 しかし、一部は現在も理科室として使われていたり、また吹奏楽部もここの音楽室を使っている。


 そして、気づかれないよう、距離をとって麻冬を観察していたのだが、彼女はひたすら廊下を行き来したり、またキョロキョロと何かを探すような動作を見せたりと。


 少なくとも、目的は何か別にあることが伺えた。


 てか、これでほぼ、このハンカチを探しているということで、確定したと言ってもいいだろう。


 視界の先で麻冬が何かの空き教室に入ったのを見計らって、俺もそこへと近づく。


 てか、そんなところにあるわけないだろ。


 と、ツッコミを入れたくなるほど、麻冬は変なところで天然だったりする。


 そんな風に息をつき、少しの緊張感とともに扉を開けようとした、その瞬間。


「……どうしよう……遥灯くんからのプレゼント……だったのに」


 そんな声が、扉越しに聞こえた。


 旧校舎の扉は全てが木でできており、中が確認できないが、その声から察するに、彼女は相当落ち込んでいるのだろう。


 俺はこくりと唾を飲みこみ、ポケットからハンカチを取り出す。


 そう、このハンカチは、ちょうど今から一年前。なんでもない日に麻冬へと送った、一番最初のプレゼントだった。


 初めてできたカノジョ。だから渡す時も、喜んでもらえるかってずっと緊張してて。


 それでも、プレゼントを受け取った麻冬の、あの綻ぶように嬉しそうな表情は、今でも忘れないぐらい、ずっと思い出深いものだった。


 ……今でも、そんなに大切にしてくれたんだな。


 俺はふっと鼻を鳴らし、そっとドアを開ける。


 そして、視界の先では麻冬が、窓際の壁を背にして体育座りの姿勢になっており、顔は膝の間に埋めていた。


「麻冬」


 俺がそう声をかけると、彼女は肩をぴくりと動かし、ゆっくりと顔を持ち上げる。


 優しそうでおっとりとした、大きな目。


 それに相反して、シャープに整った鼻と薄い唇。


 やっぱりいつ見ても、美人と可愛いのちょうど間ぐらいの、綺麗な顔をしていると思った。


 すると麻冬は、ハッと息を飲み、目元を袖で擦るとゆっくり立ち上がる。


 そして、わざとらしく視線を俺から外すと。


「……遥灯くん。ごめん、私そろそろ行くね」


 そう言って、教室前方のドアへと歩いていく。


 そんな悲しそうな横顔の彼女に向かって俺は言った。


「探し物、これだろ?」


 そうポケットから取り出したハンカチ。


 麻冬はぴたりと足を止め、それに目を向けると。


「……え、なんで遥灯くんが?」


 そう、驚いたような表情を浮かべる。


「いや、朝昇降口で拾ったんだけど、中々麻冬に声かけるタイミングなくて。最初から職員室に持って行けばよかったな」


 あはは。と誤魔化すように笑い、麻冬の元へと歩いていく。


 そして、久しぶりの距離感に、少しどきりとしながらも。


「ほら。これ、返すよ」


 そう、彼女の右手に優しくハンカチを乗せた。


 麻冬は静かに、そのハンカチへと視線を落として。


「……っ」


 小さく鼻を啜る。


 視界の先で、ポロリと落ちた涙に、俺はふふっと鼻を鳴らす。


 そして、思わず彼女の頭へと伸びかけた手を、ゆっくりと戻して。


「ありがとう。そんな必死に探してくれて」


 そう、彼女に伝えた。


 その後、しばらく啜り泣いていた麻冬は、徐々に落ち着きを取り戻していくと、ゆっくりと顔を持ち上げる。


「その……ごめんなさい。それと、本当にありがとう、遥灯くん」


「いや、俺のほうこそ。まだ持っててくれたんだな、それ」


「うん……。だって、一番最初にくれたプレゼント、だから」


 そう言って、綻んだ表情に、思わずどきりとする。

 

 ……。


「なぁ、麻冬。その……」


 ……。


「別れた本当の理由、聞かせてほしい」


 俺は彼女にそう言った。


 すると、麻冬は一瞬目を見開くと、すぐに視線を逸らして。


「……理由は変わらない」


 ボソリと呟く。彼女はスカートのポケットにハンカチをしまうと、俺の横を通り過ぎて行く。


 そして、教室後方のドアに差し掛かった時。


「真冬!」


「……っ。なに?」


「……急に何言ってんだって思うかもしれないけど、その髪型もすごく似合ってる。上手く言えないけど、麻冬っぽくて好きだ」


「っ! ……ふふっ。そっか」


 そう、鼻を鳴らすと、彼女は顔をこちらに向ける。


「今日は探し物ばかりで、ちょっと疲れちゃったけど……でも本当にありがと。なんか、久しぶりに良い日だった」


 そう、微笑み、教室を後にする。


 静かになった空き教室。夕日の差し込んだ窓。


 俺は小さく呼吸をして、歩き出す。


 俺は思うんだ。ただ本当に恋愛が分からなくて別れてしまった人が、あんな表情をするのかと。


 だから、もしかしたらこれは、俺の推測になってしまうが。


 もしかしたら麻冬は、別れる気なんて更々なかったのではないだろうか。


 そしてあえて、そんな理由で俺を振ったのは、何か深い理由があるのではないだろうか。


 そんな確信を得た、放課後だった。


 …………。


 ……。


「あ、やべ。部活……」


 時刻は16時30分。

 

 まぁその後は、弁解の余地なく、美也子に怒られる俺であった。


 

 


 

 

 

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