第13話『棘』

  ──これで良かった……



 本当にそうだろうか? これで良かったのか……




 あの女性のお陰で死なずに済んだが、男は亡くなったそうだ。



 男と自分は同じ道の上を進んでいた。多少それても、過去を変えてもまた同じ道に戻って、不器用にもつれ合いながら進む。


 結局、どちらかが死ななければ終わらない運命だったのか。




 大和はしばらく入院する事になったが、事件が少し落ち着いた頃、自分を助けてくれた女性が面会したいと訪ねて来た。


 正直な事を言えば、どういう関係かは分からないが、男の知り合いのようだったし、少し怖いという気持ちもあり迷った。

 しかし、あの男の事も知りたかったし、知るべきだと思い面会を了承した。


「高瀬泉と申します。看護師をやってます。誤って済むとは勿論思っておりませんが、本当に申し訳ありませんでした」女性は深々と頭を下げた。


「彼は…… 蒔田さんを襲った男は、葉山悟志といいます。私は彼と一緒に暮らしてました」



 高瀬泉と名乗る女性は、看護師という職業柄か、しっかりとした印象を受ける。正義感の強そうな反面、穏やかで包み込むような魅力がある。


 大和は何故か、その女性を見ていると、かつての親友を思い出した。



 高瀬泉の言葉によって、葉山悟志という男が語られた。



 葉山は、物心いつた時には家族の愛情というものを感じたことが無かった。両親の離婚がきっかけで不幸が加速していく。


 自分に関心が無い両親は常に家庭で言い争いをしていた。離婚するにあたって、どちらが一人息子を養うかで大いに揉めたそうだ。お互いに責任を押し付けあった。それも息子の目の前で……

 一緒に暮らす父親は次第に、悟志に対して暴力を振るうようになった。

 

 父親の暴力はどんどんエスカレートし、葉山少年は心を閉ざし、自宅や学校はおろか、この世のどこにも彼の居場所は無かった。


 その闇の中で唯一見つけた癒やしの場所、それは深夜の人気の無い穏やかな世界。


 その葉山にとっての聖域を侵したのが、自分だったと言う事を大和は告げられた。

 


「完全な逆恨みだと思うのですが、彼はたまたま現れたあなたを恨み、嫉妬し、怒りを向ける事で生きる力を無理矢理に得ていたのでしょう」



 あの火事の夜、酔っぱらいを突き飛ばして、それを見られたと勝手に思い込み、大和に執着するようになった。 


 ──冗談じゃない! 無茶苦茶だ! そのお陰で自分の周りにまで……


 思わず不快感をあらわにしてしまう。


「申し訳ありません」大和の反応に気付き彼女はすぐに謝罪をして、

「許してほしい、理解してほしいなんて思ってないんです。でも救いは蒔田さんが生きていてくれた事なんです」




 ──この高瀬泉という女性は、葉山悟志が死んでしまう事を必然とし、大和が命を落とさなかった事が最善の結果と捉えているのか?


「あなたは、それで…… 本当にそれでよかったんですか?」今更どうしようもないが、大和は問う。




 高瀬泉は涙を流しながら窓の外を見ていた。そして優しく笑って、


「価値観はそれぞれですから…… 蒔田さんは憤慨していると思うのですが、これで悟志は楽になったと思います。きっと…… 悟志は……」


 彼女が葉山と初めて出会った時、彼は人の眼をしていなかった。


 仕事柄、様々な人を、眼を見てきた。死に絶望した眼、死を受け入れた眼、生きようと前を見る眼、生を諦めた眼、それでもみんな人の眼をしていた。葉山は違った。

 

 それは、ただ動いているだけの心臓に装飾された、プラスチックの目玉のような無機質な眼。


 この男を救いたい、自分なら救えるかもしれないと自惚れた考えを持ってしまったと彼女は語った。



  

 この女性ひとは葉山悟志を救おうと一人で苦悩していたのだろう。自分も以前、一人の女性に救われた。正義感の強い眼鏡女子。


 ──ミカちゃん……


 ミカちゃんと疎遠になって随分経つが、自分が得体の知れない何かに狙われていると感じ、大和の方から距離を置いて親友を遠ざけてしまった。


 ミカちゃんが、もし巻き添えになるなんて事があると思うと、とても怖くて堪らなかった。




 高瀬泉は、悲しそうに微笑みながら、

「人は…… 人はとても小さな棘が刺さっただけでも痛みを感じますよね。

 彼はそんな棘を刺され続け、しだいにそれは釘のように太く大きくなって、心も身体も穴だらけにされてしまう。

 刺す方は、自分が人を傷付けている自覚が無く、それが尖っていることにも気付かずに、鋭利な尖端を平気で人に向けてきますよね。


 でも、人はみんな卑怯で弱いから、自分が正しいと思わないと生きて行けないんですね。


 私も同じです……


 無情にも棘や釘を刺され続けた彼にとっては、まるでそれが釘どころか、杭のように感じられたかもしれません。

 悪意と言う名の杭を打たれても、打たれても…… 何も感じなくなるまで。


 それでも、彼は生きたんです。取り返しのつかない事をしましたが…… 生きてきたんです」




 彼女の声は震えていた。大和は複雑な思いで黙って耳を傾けていた。



「彼は桜の木を見て笑ってくれたんです。初めて泣いて笑ってくれたんです。素敵な笑顔をしていました。

 

 その時は彼を救う事が出来たと思ったんですが、悟志の人生は、私なんかにどうこう出来るものでは無かったんでしょうね。




 でも最後に死を決意した時に、悟志はまた笑顔を見せてくれたんです……


 人殺しにならなくて良かった……」

 




 ──聞きたくなかった、こんな話なら聞かない方がよかった。辛すぎる……


 目の前の女性ひとは、あなたには分からないでしょう、そう思っていたかも知れないが、残念ながら誰よりも分かっているつもりだ。


 自分の人生もそうだった。顔に火傷を負って、棘や釘などいくらでも刺されて来た。もう死にたいと思うほどに……





 高瀬泉が帰った後、大和は葉山悟志に対して同情しつつも、自分が襲われるのは納得出来なかった。

 彼女が涙目で語った「」という言葉が、やけに頭に残っている。



 ──葉山悟志、あなたのせいで散々な人生を経験した。俺だって他人の目が怖かった。突き刺すような目や、胸の奥を掻きむしられるような囁やき声が……


 でも…… 勝手に死ぬのはずるい……


 自分の顔に火傷を負わせ、階段から突き落とし、最後には刺し殺した男を、大和は恨むことが出来なかった。



 自分には、助けてくれる人がいた。



 家族、親友、寄り添ってくれる味方がいた。ある意味、恵まれていたのかも知れない。

 

 葉山悟志も、もっと早く誰かが声を掛けてあげれば、もっと早く高瀬泉と出会えていれば……



「価値観はそれぞれ」大和は一人でつぶやいた。



 ふいに体がどこかへ行ってしまうようなあの感覚に陥る。




 洗面台の鏡の前にミカちゃんが立っている。大和はその後ろに立ち、鏡越しにミカちゃんと見つめ合う。彼女は泣いている。


 ──ミカちゃん、どうすればよかったと思う? ミカちゃんならどうしてた? 俺に何が出来たと思う?


 困って眉尻を指で搔いている大和に向かって、ミカちゃんは泣きながらも精一杯の変顔をして、ピースサインをしてくれた。



 また、頭の中に暗く重い雲がおりてくる……




 ──あぁ…… またか…………




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