第12話『決意』
九月九日(水)午後三時五十分
雨上がりで人気の無い路上、一定の距離を保ち対峙する二人の男。刃物を持った男は、小刻みに震え目が泳いでいる。向かい合って立つ男は、しっかりと相手を見据え堂々としている。
○
──結局こうなってしまうのか。
大和は思う、やはり運命を変える事は出来なかったのか。
では、あの体験は何だったのだ。過去に行ったり、過去の自分に戻ったり…… あれに意味はあったのか。どうすればよかった? 何をすればよかった? またここで刺されて死ぬのか……
──いや、意味はあった。
生きるチャンスを与えられ、やれる事をした。実際に今の自分は、車椅子ではなく自分の足でここに立っている。
目の前の少し怯えたような男を見ていると、大和は負ける気がしなかった。が、相手は刃物を持っている。
素手では危険か。棒か何かあればいいのだが…… 走って逃げる事も出来るし、ここでは死なずに済むはずだ。
──もう死んでたまるか! 絶対に生きる!
男を睨みながら、大和はまた考える。
──大事な事がある。
ずっと答えが出なかった疑問。この男は何なのだ。
「ちょっといいですか」大和は男に、出来る限り冷静に問い掛ける。
「……」男は何かぶつぶつ言っているが、大和の問いには応えない。
「何で自分を襲うんですか。 何度か会ってますよね?」そう言って男の反応を待つ。
大和の頭は随分すっきりしていた。これまで生きて来た記憶、過去に戻った記憶、過去の自分に乗り移った記憶、殺された記憶。
更新された記憶を、落としてきた物を拾い集めるように取り戻した。
しかしこの男との因縁がどうしても分からない。そこをはっきりさせるには、直接聞くしか術が無かった。
「教えて下さい。俺が何をしたんですか?」
○
悟志は、大和の問いに応えるつもりは無かった。言葉にする事は出来ないし、説明しても理解される訳が無い。
そもそも理由なんて無い。闇に墜ちた男の歪んだ嫉妬心があるだけだ。たまたま現れたお前が悪い。
もうあの声は聴こえない。あんな声は要らない、聴く必要がない。
──全部、自分自身の声だから。
『大丈夫、上手く行く』
目の前の蒔田大和は堂々としていて、惨めな自分を恐れていないようだ。
包丁をしっかりと握り、こちらを睨み据える目の前の男を、悟志は睨み返す。
──覚悟は決まった。もう終わりにする。お前も、俺も……
○
大和は身構えた。男が初めて力のこもった眼で睨み返してきた。話しても無駄なのか。このイベントを回避するのは、どうやっても無理なのだろう。
──覚悟は決まった。ここで終わりにする。
まるで時間が止まっているかのような感覚。雲だけがゆっくりと流れ、二人の男は睨み合って動けずにいる。張り詰めた緊張は極限まできていた。
「悟志! やめて!」
突然、女性の悲鳴のような叫び声が緊張の糸を引きちぎった。
──悟志? この男の名前か……
「悟志お願い! お願いだから」女性は必死に呼びかけている。
女性の方を見る。どこかで見たような この男の知り合いか? 家族か、恋人か?
誰でもいいが止めれるのなら止めて欲しい、と大和は思った。男より少し年上だろうか、やつれているように見えるが……
──あ! さっき喫茶店……
「え……」
──しまった! 油断した……
一瞬、何が起きたか分からなかった。女性に気を取られて、気付いた時には男が目の前で泣いていた。
そして大和の脇腹には包丁が突き刺さっている。
○
無我夢中だった。泉さんの声を聞いた時、決心が揺らぎそうになった。
しかし同時に最悪の父親、愛情のかけらもない母親、嘲笑する人々の顔が脳に覆い被さり、悟志の背中を押した。
蒔田大和は、その場にゆっくりと崩れる。
緊張から解放され涙が頰を伝う。
──桜、綺麗だったな。泉さん、ありがとう。
心の中で悟志は思い、蒔田大和の脇腹から抜いた包丁をもう一度しっかりと握り直した。
しっかりと強く……
○
泉は悟志の犯行を止めることが出来ず、その場に座り込んでいた。刺された人もうずくまっている。
悟志を見ると涙が溢れ出した。悟志は泉を見て笑っていた。憑き物が落ちたように、優しい顔で泣きながら笑っている。
あの桜を見た時のように……
そして悟志は、自らの首を包丁で深く
泉は声も出せなかった。
ただ見ている事しか出来なかった。
悟志はゆっくりと座り、そして仰向けに寝そべる。
泉はふらりと立ち上がり、もつれる足で倒れている悟志の側に行き、その場に膝をつく。
「なんで、なんでなの……」
驚くほど穏やかな顔。優しい笑みを浮かべている悟志の
自分に何が出来るのか。看護師の自分には分かる。
この傷に出血、悟志はもう助からない。いくつもの死に立ち会ってきた自分がやるべき事……
立ち上がり相手の男性に駆け寄った。
──この人は、まだ助かる!
「死なないで! お願い! 生きて…… 悟志を人殺しにしないで! お願い……」
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