第11話『鏡』


     ○

 大和ひろかずは不思議な気持ちで鏡に映る少年を見ていた。


 少年の姿をした自分の顔には、火傷の跡は無い。不思議と落ち着いているのは、理解が追い付いてないせいもあるが、この部屋が凄く居心地が良いような懐かしい感じ、懐かしい匂いがするからなのか。


 大和は思う。

 ──あぁ、本当に死んだんだな……



 この部屋は子供の頃に住んでいた家の、自分の部屋に間違いない。

 死んだらどうなるかなんて知らないが、子供の姿に戻ってこの部屋にいると、なんとなくそう思った。


 突然、襲われて殺されてしまった記憶はあるが、それ以外の事を考えようとすると、水の中に真っ黒な墨を垂らしたみたいに、もくもくともやが拡がり頭が重くなる。


 そういえばさっき、外から話し声が聞こえていた。言葉を聞き取れはしなかったが、確かにあれは人の声。時計を見ると深夜一時過ぎ、なぜか部屋のドアが気になる。



 ──何か思い出さないといけない事があるような……

 なんとなくドアを見つめていた。




 " チャッ " ドアの方で音がしたかと思うと、ゆっくりとノブが回りだす。



 ──何故だろう? 人の声が聞こえて、それが何を言っているか分からないと凄く不安になる。

 ただはしゃいでいるのか、もしかしたら言い争っているのか? 関係無いのに凄く不安になる。気になってしまう。気にしてもしょうがないのに……


 

 ゆっくりと回るドアノブを見ながら、は、そんな事を考えていた。


 " カチャ! " ドアがそっと開く。


 ──えっ? 


 ひろかずは我が目を疑った。ドアを開けて現れたのは、手から血を滴らせ顔面に火傷の跡が残る男。そう、大和ひろかず本人だった。度肝を抜かれるとはこのことだろう。



 唖然とする少年を見ての大和おとなは、


「待て! 頼む」そう言いながら両方の手の平をこちらに向け、静止を促すポーズをとる。


「怖がらないで。話を聞いて」必死にひろかずを落ち着かせようとしているようだ。


「信じられないかも知れないけど……」必死にうったえようとしている。


「俺だよね」

 ひろかずが言う。



「えっ! 分かるの? えっ」予想外の反応にかなり驚いている。


 それもそうか。深夜に突然、血を垂らしながら顔面大火傷の男がドアを開けて現れたのだ。

 普通の子供なら、いや大人でも悲鳴を上げて逃げ出すだろう。


 困惑しながら少し安心したような顔をしている大和だが、


「それなら話が早い! ここにいては駄目だ! 逃げよう『ひろかず』! ここは……」次の瞬間、


 ──……っ?




「嘘? は!」ひろかずは、再び我が目を疑った!


 たった今までそこにいた人間が、目の前で跡形もなく消えてしまった。



 ひろかずは訳が分からなかったが、さっきの男は間違いなく未来の、というか現在の自分だった。今が過去の自分だ。

 ややこしいなと思いながらもそう思い込む事にした。


 それよりも「ここにいては駄目だ! 逃げよう!」そう言っていた。


 ──あの言葉は信じた方がいいのか?


 とはいえ相手は自分だし、過去に来てまでわざわざ嘘は言わないだろう。ここで何があったのか……


 あの姿はおそらく、自分が死ぬ少し前だ。


 ──この少年時代と、後に自分を襲う男が関係しているのか…………




「…………くっ」強烈な頭痛が襲ってきた。

 ひろかずは、頭に亀裂が入ったような感覚を覚え、その亀裂の隙間から記憶が溢れてくる。



 煙と炎。泣いてる父さん、母さん、ばあちゃん、そして優しかった姉ちゃん。未来に絶望した自分。刃物のように刺さってえぐり続けた周囲の目。



 ──いまこの部屋にいるのは、自分一人。両親と姉は祖母の見舞いに行っている。


 そして、この後ここは火事になる。そしてあの火傷を負うことになる。


 あの日の記憶が曖昧だったせいで、自分の火遊びが原因などと言われていたが、誰かが火を点けたという事か? それならば、放火を止めた方がいいのか? いや、子供の自分では危険か? 逃げると言ってもどこに……




 いろいろ考えたが、ここで何が起こるのか確証が無く危険だと判断し、とりあえず家を離れる事にした。

   

 周囲を警戒しながら、路地を進んでいると少し先に何かを発見した。近づくにつれて街灯の薄明かりの中、形が浮び上がる。目を凝らして見ているとそれは微かに動いた。


 ──人だ!


 近くで見ると大人の男が倒れている。しかも頭から血を流してぐったりしている。


 ふと、ひろかずは思った。ここで騒ぎが起これば、火事も起きないのでは無いか? そういう事でも無いのか?


 分からないが、この人も放っておけない。考えても答えが出そうに無いので、

「誰か! 助けて! 人が倒れてる!」大声で叫ぶ。


「怪我してる! 助けて、誰か!」深夜の田舎町にひろかずの声が響き渡った。



 すぐに近くの民家にぽつりぽつりと灯りが点き始めた。ほっとして表情が緩む。が、


「うっ……!」また猛烈な頭痛に襲われ思わず目を閉じた。





     ○

 悟志は物陰に隠れて一部始終を見ていた。二階の部屋に電気が付いていた民家から少年が出て来て、倒れた酔っぱらいを見つけ大声で人を呼んだ。


 深夜の田舎町が騒然とする。



(おいおい、やばいぞ悟志。見られた上に、あの子はヒーロー気取りだ)


 悟志は少年の顔を眼にしっかりと焼き付けた。

(そうだ悟志、分ってるな)





     ○

 激しい頭痛に耐え目を開けると、そこは数年前まで大和が暮していたマンションのエントランス。

 

 車椅子生活になってから引っ越したので五、六年ぶりだろうか。


 ──ここで、あった事……


 そう、正に車椅子生活になったきっかけの転落事故があった事は分かっている。


 今からここで何が起こるのか? 

 

 思い出そうとすると、また墨汁がもくもくと頭の中に拡がり始める。目の前のエレベーターを見ると上の階から一階に向かって来ていた。


 大和マイはエレベーターの扉を見つめながらある事に気付く。


 記憶が更新されている……


 それはとても不思議な感覚だった。体感的にはついさっき、あの火事の日に酔っぱらいを助けた事で変わった過去。

 結局、火事は起こらなかった。当然、火傷もない。家族が自分達を責め泣くことも。


 しかし、その後の人生はさほど変化が無かった。あの後、中学二年生で転校し生涯と言っても良い程の親友との出会いもあった。お守りのピアス、進学、就職、姉の結婚、親友と見た赤い月。

 

 ところが、ここから殺されるまでの事が思い出せない。




 一階に到着したエレベーターの扉が開く。


 ──何が起こるのか?



「……またか」驚きはあったが、そんな予感はしていた。



 エレベーターの中には大和おとなが座り込んでいる。顔に火傷は無いがやはり襲われたのか、血まみれで苦悶の表情を浮かべている。

 

 過去を変えても自分は助からないのかとは思った。


 

「また、あえたね…… 俺が分かるよね?」大和に言われて、


「勿論だけど、やっぱりそうなるの?」マイは聞き返す。


「はは…… まあね。はぁ…… でもまだチャンスはあると思う」大和はかなり辛そうだが、諦めてはいないようだ。



「何故かは分からないけど、俺は…… 俺たちは、狙われている。この後また襲われる」 


「どうすれば良い? 何かやれる事ある?」


「とりあえず逃げよう! 少なくとも転落事故襲撃は防げると思う……」


 大和はそう言ったが、本当にそれでいいのか。この場はやり過ごせても、襲われて死ぬ運命は変わらないのではないだろうか。


 マイはそう思ったが、

「ここで逃げれば、襲われずに済むのかな?」

「それは…… 相手が何者か分からないし、何とも言えないけど…… 頼んだ…… 『ひろかず』」そこまで言って、大和はまた消えた。跡形もなく。




 分かってはいたが、目の前で人が消えるとやはり驚く。一体、何が起こっているのだろう? 


 説明がつかない事の連続だが、受け入れてしまっている自分もいる。普通に会話もしてしまった。でも生命が懸かっているのに逃げてばかりでいいのか? 

 


 ひとまずマンションを出ると、空にはあの赤い月が、あの日のままで圧倒的な存在感を見せつけ、街をぼんやりと照らしていた。





     ○

 蒔田まいた大和ひろかずは姿を現さなかった。悟志は酷く疲れた。



 ──自分は何をしているのだろう。


 ここまで執着する必要があるのか? 


 悟志はそんな事を考えていると、あの日のヒーロー気取りの少年の顔が頭に浮かぶ。不幸を背負い、闇の中でもがく自分と真逆に思えたあの少年。


 あの顔を見たときから、全ての恨みや怒りの対象があの子へと移ってしまった。そして、その間違った憎悪の念が悟志の生きる糧となっていた。


 ──憎くてたまらない。あんな奴…… わざわざあの地を離れたのに…… 憎い……


 自分に言い聞かせる。だがこの日は諦めた。悟志はふらふらと蒔田大和の住むマンションを後にしてしばらく歩いていたが、途中、疲れて飲食店の看板の前に座り込んでしまった。


 見上げると巨大な赤い満月が、まるで悟志の心の闇に浮かぶ邪悪な炎のように、燃えているようだった。


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