第8話『記憶』

 大和は突然の襲撃を受け、自分の死を覚悟し始めていた。色々な事が頭の中を駆け巡る。よく思い出が走馬灯のようにとか言うが、思い出と言うよりどちらかと言えば、忘れていた過去の曖昧な記憶を辿っていた。


 子供の頃から何度も見たあの夢、深夜に目が覚め閉め忘れた鍵を閉めた瞬間、外側からドアノブをガチャガチャ回される夢を見て何度も飛び起きた。

 あれは実体験だった。その恐怖した体験から何度も夢を見たのだろうか。

 そう言えばあの夜、家の外から人の声が聞こえて、目を覚ました事も思い出した。そしてエレベーターホールでの謎の体験。あの時は本当に心臓が止まるかと思った。実際に今、心臓は止まりかけている。

 おそらく……


 鍵もエレベーターも、火事や転落事故のせいで記憶を無くしていたが、あの時の恐怖はとんでも無かった。しかもそれらを引き起こしたのは……

 





 蒔田まいた大和ひろかず

 まさか自分自身だったとは。




 何故そうなったかは分からないが、過去の自分を助けに行くチャンスを与えられたみたいだ。タイムスリップ? ワープ、時間旅行? 良く分からないが有り得ない事が起こってしまった。しかし、あの登場の仕方は駄目だろう。怖すぎる! 自分でも逃げだすだろう。

 ──あ、自分か。

 大和はもう痛みも感じず他人事のように落ち着いていた。


 結局、何をどうすれば良かったかも分からず過去の自分を救えず今にいたる。


 自分を襲ったこの男の事も思いだした。


 最初に会ったのは中学生の頃。顔に火傷を負った後、そうだ引っ越す前だ。中学校の帰り道、引きつった表情でこちらを見ていた男。

 この見た目なので、他人から見て驚かれたり、嫌な視線を浴びせられる事はしょっちゅうだったが、男はこちらを光のない眼で真っ直ぐ見据えていた。が、当時はそれ程気に留めなかった。

 というより、まだ現実を受け止めきれなくて大和自身いちいち気にしてはいられなかった。


 二度目は大人になってから。親友と一緒に桜並木を歩いていた時。今度は立ち止まり怯えているようにも見えた。男が何か言葉を発した途端に、親友が男に激しく詰め寄ったのでじっくりと顔を見た訳では無かった。

 それでも子供の頃に見たあの光のない眼は、またどろっとした目つきでこちらを見ていた。


 記憶が次々に甦る。音は何も聴こえない、眼に映る空は、少し前に雨が降ったせいでどんよりして重たい。


 三度目はあのエレベーター事件の跡、色んな事が起こり放心状態だった。あの時の記憶は無くしていたが、階段から落ちたのは事故ではなかった。マンションの階段で突き飛ばされ、身体が空中に投げ出された時に一瞬見えたあの顔。あの眼……


 そして今、大和に馬乗りになって涙を流している男。目の下のほくろが印象的なこの男と遭遇するのは四度目だった。


 ──何故…… この男はこんなにも哀しい目をして怯えているのだろう。


 何故、この男は自分を襲撃したのだろうか? 子供の頃からずっと狙っていたのだろうか? 自分は何か恨みを買ってしまったのだろうか? 

 では何故マンションから突き落とした後、確実にとどめを刺さなかったのだろうか? まさか火事もこの男が関与しているのか? 近くに倒れていたという酔っぱらいも何か関係があるのか? 


 考えた所で答えが出る筈がない。この男がもし捕まって取り調べ等を受けても、自分が真相を知る事は無いだろう。

 何だか寒くなってきた気がする。気のせいかも知れない。小説やドラマで死ぬ間際の、そんな表現があったので、寒いと思っているだけかも知れない。


 記憶を辿る旅は終わった。ぼんやりと見える重たい空にうっすらと白く光る月を見つけた。まだ外は明るかったので、今初めて気付いた。


 ──月。


 大和の生と死を繋いでいる糸は、細く千切れる寸前だろう。大和は最期にあの『赤い月』を思い出した。


 ──ミカちゃんどうしてるかな…… いつもミカちゃんに甘えてばかりだったな。あぁ、ミカちゃんに会いたいな…… 

 ミカちゃんはあの赤い月に、何を願ったのだろうか?


 何処かで女性の悲鳴が聞こえた。

 大和は静かに目を閉じた。 


 ──ミカちゃんに会いたい…… 死にたくない……


 大和の脳裏に浮かんだ心象。鏡の前で泣いているミカちゃん。後ろに立ってその姿を鏡越しに見詰める大和。鏡の中で大和は人差し指で眉尻をかいていた。ミカちゃんによく指摘されていた大和のクセだ。


 絶命した大和の目から涙が零れた。

 

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