第6話『再会』
親友の葬儀に参列した夜、美香は眠れなかった。
眠っているつもりなのに、気付くと親友の事を考えていた。考えては寝て、いつの間にか起きている自分に気付き、また考える……
葬儀はマイちゃんの実家の近所の斎場で行われた。あの街に行ったのは、高校生の頃マイちゃんの実家に本を借りに行った時以来だ。当時と比べ街並みも随分変わった。
古い外観の駅がぽつんとあるだけで、周りにはあまり店なども無く、なんとなくさびれた印象だった事を記憶している。
しかし今では、駅も新しく建て替わり、周辺には小洒落たカフェや飲食店が出来ていた。マンションが建ち並び、新しい公園や広場では子供達の楽しそうな姿が見える。
マイちゃんの母親と姉の佳奈さんに会ったのも高校生の時以来。父親は初対面だった。マイちゃんは佳奈さんやお母さんに似ていると思っていたが、お父さんに会ってみると、マイちゃんはお父さん似だと美香は思う。
佳奈さんは相変わらず綺麗で、優しい印象は以前と変わらなかった。そしてマイちゃんとお揃いのピアスをしている。佳奈さんは美香に穏やかに接してくれたが、家族は怒りと悲しみで憔悴していた。
「会ってやって。ミカちゃん」佳奈さんに促されマイちゃんと六年ぶりの対面をする。
マイちゃんは、穏やかな顔で眠っているようだった。
──マイちゃん、ごめんね。
「ミカちゃん、ありがとね。きっと喜んでるよ」佳奈さんに言われ涙が溢れてくる。
「やっと会えました。もっと早く…… ごめんなさい……」後悔の念でいっぱいの美香は、言葉が出てこない。
「ありがとう。本当に、ありがとう」佳奈さんは優しく肩を抱いてくれた。
記憶の中のマイちゃんはいつも笑顔だった。美香はただ泣く事しか出来なかった。
◯
高校を卒業した悟志は、父親と縁を切った。あの地獄のような日々を送ったアパートから逃れ、今は違う土地でアルバイトをしながらひっそりと暮らしている。
あの悪夢の一日から随分時は流れた。
あの事件を起こしてしまった当時、悟志は毎日怯えて過ごしていた。学校での嫌がらせや父親の暴力など、もうどうでも良くなっていた。
──もしばれたら。
人を殺した上に放火殺人、とんでもない事をしてしまった。どうせろくでもない人生なのだから、いっそ死んでしまおうかと何度も考えた。それならついでに父親も殺してしまおうかとも考えた。
──どうすればいい?
何度も問い掛けたが、あの声はあの日以来、聞こえなくなった。あの日の悟志を支配していた声。
──どうすればいい? 教えて……
思いがけない事を耳にしたのは、あの日から二週間程経った学校からの帰り道。
いつも通り灰色の景色の中、偶然喋り声が耳に入って来た。無表情の面を被った人間は、喋り方からすると中年女性と彼女より年輩であろう男性のようだ。聞こえてきた会話。
「あの家族、引っ越すそうですよ」中年の女性が言う。
「あぁ、あの火事の。最近まで近くで仮住まいしてたろ」男性が応える。
「そうなんだけど。ほら、あのお子さんが…… ねぇ」
「覚えてないんだってな。しかし、気の毒だよな」
「覚えてなくても、あれじゃあ。やっぱりねぇ」
「可哀想だよなぁ。環境が変わってもなぁ。そう言えば、放火だって話はどうなったんだろうな?」思い出したように男性が言った。
「どうなんですかねえ。例の子が一人で留守番してたらしいから、昼間に庭で何か燃やしてたのかもしれないし…… だってほら、覚えてないって言うんだから」
悟志はゆっくりと二人の横を歩きながら、全神経を耳に集中させていた。
──ちょっと待て、生きているのか? ……でも覚えてない?
どうやら出火の原因もあやふやになっている。やはりあの時、二階にいたのは子供だったのか……
「でもあの火傷は一生消えないだろうなぁ」男性の声を最後に、悟志はその場を去った。
その後、学校や道端などでいくつか情報が入った。田舎なので噂話は直ぐに広まり、他と交流がない悟志の耳にも、そういった噂話は容易に入ってくる。
二階に居たのは中学生で名前も分った。火事の前後の記憶がなく、庭にあったゴミ袋や日曜大工用の木材が出火元。
放火もしくは中学生本人が火を使った可能性がある。中学生は顔面に酷い火傷を負った。結局、酔っぱらいも死んでなかった。泥酔状態だった為、自分で転倒して頭を打った事になっているようだ。
全てが事実かは分からない。
一度だけ悟志は、少年を見かけた事があった。噂通りの火傷の跡。すれ違う瞬間、目が合う。生きた心地がしなかったが、少年は無反応だった。
──ついている。いい方に転がっている。そうだ、俺は何も悪くない。大丈夫。
悟志は自分に、そう言い聞かせた。しかし、その日から少年の顔が頭に浮かび、時々気が狂いそうになる。
月日はさらに流れた。長い時間が経っても悟志は、纏わりつく闇の中で苦しんでいた。その時は突然やって来た。実に九年ぶりにまたあの声を聞く事になるとは……
◯
男が怯える大和に向かって、鋭く光る物を振りかざす。とっさに出した大和の手のひらに、鋭い痛みが走る。あまりの恐怖で、もう声も出せずにいる大和は、自分の身体がこの場から消えてしまうような感覚を覚える。
──えっ?
気付くと大和は古びたドアの前にいた。周りを見ても男の姿はなく、さっきいた場所とは全く別の場所。
──自分は、死んだのか?
右の手の平に傷みが走る。見てみると手の平がザックリ切れて血が流れている。大和は四つん這いの状態でそこにいた。
目の前のドアを見ると中央の辺りが縦長の擦りガラスになっている。擦りガラスから部屋の明かりが漏れている。大和はこのドアに見覚えがあった。
大和はドアを眺めていた。擦りガラスの向こうに人影が近づいて来た。
" カチャッ "
内側から鍵が掛かった瞬間、大和は雷に打たれたような衝撃を受ける。そしてある記憶がよみがえる。咄嗟にノブを回す。
" ガチャッ! ガチャガチャッ! ガチャガチャガチャガチャガチャ! "
「ぎゃぁっ! ゔぅぁ!」部屋の中から恐怖と不安が混ざったような、言葉にならない悲鳴が漏れ聞こえた。
大和は大和で、緊張し息が詰まり声が出せずにノブを回し続ける!
" ガチャガチャガチャガチャ!……"
──ここにいたら駄目だ、逃げてくれ! 心の中で叫ぶ。
" バンッ! "
思わず怪我をした方の手で擦りガラスを叩いてしまった。また手の平に激痛が走る。大和は一瞬目を閉じた。
──そうだ。あれは夢なんかじゃなかった……
再び目を開け大和の目に映ったのは、血走った男の眼。男は大和の髪の毛を鷲掴みにして、刃物で腹を刺し、さらに蹴り飛ばす。
大和は豪快に転倒しながら、何が起きているのか考える。この男は何者なのか? そしてさっきのドア…… 死ぬ前に幻覚でも見ているのだろうか? 痛みと恐怖で意識が
また目の前が暗くなる。
暗闇の中、うつ伏せでうずくまっている大和の周りが "パッ"と明るくなった。辺りを見回す。
──……は?
もう訳が分からず頭が混乱する。大和は、明明と照らされたエレベーターの中にいた。
壁に寄り掛かりながら何とか上半身だけを起こして、エレベーターの階数を表示する画面を見た。エレベーターは【3】……【2】……と下へ降りて行っている。
表示が【1】になる。一階に到着したエレベーターのドアがゆっくり開き始める。ふと自分の上半身を見ると血まみれになっていた。
「うわっ!」突然の声に驚き、大和は顔を上げる。
目の前にいたのは……
──この顔は!
大和は再び雷に打たれたような衝撃を受ける!
──止めないと!
痛みを堪え、手を伸ばす大和。怯えた様子で逃げ出す人物に向かって、
「おい! 待て!! 頼む待ってくれ!」
逃げて行く背中に向かって大和は叫ぶが、叫び声は静まり返ったエレベーターホールに虚しく響いただけだった。
──行ったら駄目なんだ。
大声を上げたせいか、刺された傷が激しく痛む。また目の前が暗くなる。
気付くと男が、荒い息を吐きながら大和を見下ろしている。男は大和に馬乗りになっていた。
その時、男が持っている物が包丁だという事がはっきりと分った。哀しい眼をして怯えているこの男は、包丁の柄を両手でしっかりと握り、力一杯大和の胸に突き立てる!
胸の奥深くに金属が入り込む感触。
大和は意識が遠くの方に、飛んで行くのを感じながら思った。
──そうだ…… あれは夢じゃなかったんだ。 そうか、あの日…… そういう事か? でも、どうすれば良かったのか……
大和の意識がまた帰って来る。男は両手で握った包丁を大和の胸に突き刺したまま、強張った表情で震えていた。その顔を凝視していた大和は、忘れていた過去を記憶の奥底から拾い上げていた。
──遭っている…… この男と。それも、一度だけじゃない……
何処かで女性の悲鳴が聞こえた。周辺が少し騒がしくなっていた。
大和は静かに目を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます