第4話『後悔』
突然の知らせを受けたのは九月十日の朝。美香は二十九歳になっていた。
登録されていない番号からの着信。朝の早い時間だったので、着信音に驚く美香。
初秋の肌寒い朝七時二十分頃、起床しテレビを点けてぼんやり見ていた時だった。
「……もしもし、下山美香さんの携帯で間違いないでしょうか?」声を聞いてはっとした。
聞き覚えのある声、落ち着いた優しい声。
「はい、もしかして…… あの、佳奈さんですか」
「そう、お久しぶり。ミカちゃん」
思いがけない人からの電話、一瞬にしてあの顔が頭に浮かぶ。
──マイちゃん……
すっかり疎遠になっていた親友だったマイちゃん。もう六年程会ってなかった。
佳奈さんは、そのマイちゃんのお姉さん。佳奈さんとはまだ学生だった頃、マイちゃんと遊んだ時に何度か会った事が有り、声を聞いて直ぐにピンときた。マイちゃんにそっくりの美人のお姉さん。
「ご無沙汰してます」
「ミカちゃん。最近あいつと会った?」
あいつとは、勿論マイちゃんの事だろう。相変わらず優しい声だなと美香は思った。しかし、美香にとってこの質問はやや心が痛かった。
「いや、実はあまり会えていなくて」あまりではなく、全く会っていない。
「そうなんだ。そっか…… やっぱりね。あの、あのねミカちゃん……」佳奈さんの声が暗くなる。
佳奈さんからの電話と分った時から嫌な予感がしていて、胸の奥を掻き回される様な感じがずっとしていた。
「……あいつね、死んじゃったんだよ。呆気ないよね」
嫌な予感は最悪の現実をぶつけて来た。
「死んだって…… え?…… マイちゃんが…… 佳奈さん、あの……」
「ミカちゃん……」
「う、嘘ですよね…… まさか、マイちゃんが…… 何が…… 佳奈さん、嘘でしょ」
「信じられないよね。でもね、昨日死んだの…… 死んでしまったの」
最後に会ったのは、怪我をして入院したマイちゃんのお見舞いに行った時。
赤い巨大な満月を見た夜、あの日二人で遊んで別れた後しばらく連絡が取れなくなった。その後、階段から落ちて怪我をして入院しているという知らせを受けた。
電話越しのマイちゃんの声が明るかったので、軽い気持ちでお見舞いに行ったのだが、病室で聞いた事実に愕然とした。
あの日の事をマイちゃん自身は殆ど覚えていないそうなのだが、状況からマンションの階段を登る途中に転落し、腰と背中を強く打ってしまったようだ。
余程の奇跡が起きない限り、この先の人生、自力で歩行する事は困難だそうだ。
美香はあの日、自分が深夜まで付き合わせてしまったせいだと自責の念に駆られた。悔やんでも悔やみきれない。あの赤い月を見て、呑気に願い事をしていた自分が恥ずかしくてたまらない。
何度かお見舞い行ったが、車椅子姿のマイちゃんを見ると辛くなる。いつも通り明るく振る舞う様子がまた余計に美香を苦しめた。
「何があったんですか」
「……殺されたの。あの子」
──えっ?!
「通り魔にね…… 通り魔に襲われたの」
──嘘、そんな…… 酷過ぎる。
「酷い」
「酷いよね。神様なんてもう信じられないよね」
「……犯人は」
「直ぐに捕まったって。襲ったあと逃げずにその場で……」佳奈さんは辛い筈なのに、わかっている事を丁寧に美香に話をしてくれた。
九月九日(水)午後四時頃、犯人は三十三歳の男、最初からマイちゃんを狙っていたらしい。捕まった時、男は現場に座り込み放心状態だったとの事。未だ犯行の動機などは語っていないらしい。
佳奈さんの声は哀しみというよりは、現実を受け止めきれないのだろうか、逆に穏やかに感じる。
それでも一つ一つ言葉を選んでいるようで、一歩間違えば壊れてしまいそうな危うさもあった。
「あいつ言ってたよ。ミカちゃんと会ってから毎日が楽しくなったって。私から見ても嘘の様に明るくなったしね」
「そんな、私なんて最低の人間です……」美香は自分勝手に悩み、マイちゃんの気持ちも考えずに一方的に距離を置いてしまい、そこから疎遠になってしまった事を後悔していた。
もっとちゃんと胸の内を語り合って、側にいて支えていたかった。自分は、逃げ出したのだ。一番辛かった
──そうだ、最低の人間だ。マイちゃんに合わせる顔などない。
「ねぇ、ミカちゃん」
「……」
「あの子の友達になってくれて、ありがとね」
「……」
「本当に。今迄あの子が生きてこれたのは、ミカちゃんのお陰だよ」
「でも」
「聞いてるよ。あの子が怪我した事をミカちゃん気にしてるんだよね。でもね、ミカちゃんは何も悪くないんだから自分を許してあげて。これは、あの子の願いでもあるの」
佳奈さんは、涙声になっていた。泣くのをこらえる佳奈さんとマイちゃんが重なる。美香は決心した。
「お別れに………… マイちゃんに会いに行きますね」
「うん。あいつ絶対喜ぶよ」
美香の目から初めて涙が流れた。
電話を切った後、想い出と後悔が溢れ出す。
──マイちゃん。ごめんなさい。
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