第3話『炎』

 日曜日だというのに、家の中は昼前から慌ただしい。特に母親が忙しく動き回っている。よく見ると父親はウロウロしているだけで、あまり役に立って無いように見える。


 病院から連絡が入ったのは今朝早くだった。一人で暮らしている母方の祖母が、道端で転倒して怪我をしたという知らせ。

 たまたま通りかかった人が対応してくれて、すぐに病院で診察を受けたそうだ。その後もう一度連絡が入り、心配するほどの怪我ではなかったそうだが、なにせ高齢なものだから急遽家族はお見舞いに行くことになった。


「ひろくん、戸締まりお願いね。明日の昼過ぎには、帰って来れると思うから」母親が言う。

「はい、はい」ひろかずは、適当に返事する。


「お金置いとくから、ね。何か買って食べなさいよ。勉強ちゃんとしなさいよ! 戸締まりね!」

「分かったって!」また、面倒くさそうに答えたが、続けて、


「……あの、ばあちゃんによろしく」照れくさそうな息子を見て、母親は少し嬉しそうに微笑む。


「じゃ、行こうか」父親が言うと家族は祖母を見舞う為に出発した。


 内心、ひろかずも祖母の事が心配だったが、明日から中学の定期テストがあり、その勉強の為一人で家に残る事になった。 




 勉強する為に、家に残ったものの全くやる気が起きない。


 ──今更やっても、大して変わらないしなぁ。それにしても、ばあちゃんの怪我、軽くて良かった。


「あああぁ、腹減ったなぁ」 


 ──コンビニでも行くかな。


 買い物に行く為の支度をする。ひろかずの家は一戸建て、坂の多いこの街では珍しくない事なのだが、斜面に建つこの家は真横に坂と階段があり、一階の玄関と二階にあるひろかずの部屋から、自由に出入りする事が出来る造りになっている。

 つまり、家の真横の坂と階段が、玄関と二階の出入り口を結んでいるのだ。


 ひろかずは、二階の自分の部屋から外に出て、坂道を下り一階の玄関の横を通り過ぎてコンビニへ向う。徒歩で片道十分程度の距離なので、往復すると軽い散歩だ。


 店に入ると食料を物色するひろかず。弁当、おにぎり、パン類、カップ麺、冷凍食品、ホットスナックのコーナー…… 悩みに悩んだ挙げ句、昼御飯にカップ焼きそばと菓子パンを選び、夜御飯用に冷凍食品の五目チャーハンを買って店を出た。


 帰りは一階の玄関から家に入る。お腹が減っていたので帰って直ぐにお湯を沸かし食事の準備をする。お湯が湧く間に菓子パンを頬張る。その後、ひろかずはカップ焼きそばを食べながら思う。


 ──カップ麺などは、如何に手作りの味や食感を再現出来るか的な所があるが、インスタントと手作りは全く別物で、インスタントにはインスタントの良さが有るので、別に比べる必要は無いではないか! 特に焼きそばに限って言えば、食欲を存分にそそるソースの香り! 麺のもっそり感! どちらかと言えばカップの方が好きだ!


 勝手に偉そうな事を考えながらカップ焼きそばをもそもそいただく。


 食事を終え、満足気に伸びをしながら、


 ──さあ、勉強するかなぁ。


 カップ焼きそばの、ソースの香りが充満したリビングを出て、二階の自分の部屋へ向う。


 部屋に入るなり、テレビを点けて寝転がる。 

 勉強などする気がないのである。テレビに飽きると、今度はお気に入りの漫画本に手を出す。

 何度も読んだ漫画本なのに、勉強から逃避する様にテレビを消してしっかり読み始める。

 

 若い忍者が、仕えている将軍の娘に恋をするという禁断のラブストーリー。全六巻で完結のこの漫画、六巻の序盤まではずっとギャグ漫画なのだが、六巻の中盤から壮大な伏線回収が始まり、ラストは涙で読め無くなる程の感動大作なのだ。

 ひろかずはこの漫画を何度も読み、毎回感動している。勉強などする気がないのである。

 

 結局、夕方過ぎまでダラダラと過ごし、やっと勉強する気になったのか、教科書を手に取る。が、また寝転ぶ。寝転んだまま教科書をペラペラとめくり出した。しかしその数分後には眠ってしまっていた。




 ──ん? あぁ…… 寝てしまった。


 どれくらい寝たのだろうか? 部屋の中は真っ暗だった。ひろかずは、家の外で人の声が聞こえたような気がしていた。寝ぼけていたのかもしれないけれど、起きたのはそのせいかもしれない。


 部屋の電気を、近くに置いていたリモコンで点ける。まだ寝ぼけている。テレビの側にあるデジタルの置き時計をぼんやりと見ると、何と午前一時過ぎ。


 ──おぉっと、マジか。 メッチャ寝てしまった。


 「よしっ! ちゃんと布団で寝よう!」開き直ったひろかずたったが、また外の様子が気になった。


 ──やっぱり、話し声がする。


 何を言っているか全く判らないが、言い争っているのか、時々声が大きくなっている気がする。

 恐る恐る閉まっているカーテンの隙間から外を覗いたが、暗くてよく分からなかった。関わらない方がいいと思いながら、なんとなく今覗いた窓の対角に位置する、外への出入口のドアを見詰めた。


「あっ!」 


 ──そういえば、鍵締めたっけ!


 昼間に買い物に出掛けた時、二階から外に出て、帰りは一階の玄関から入った。玄関の鍵を締めたのは、はっきり憶えている。自信がある! しかし二階から外に出た時、鍵を締めた記憶がない。不安になる。 


「やば!」ドアの方に向うと案の定、鍵を締めていなかった。 


 ──いかん、いかん。ふぁああ


 緊張感の無いあくびをしながら内側のドアノブについたロックを掛ける。


 " カチャッ "


 ──ん?


 " ガチャッ! ガチャガチャッ! ガチャガチャガチャガチャガチャ! "


 「ぎゃぁっ! ゔぅぁ!」 


 ひろかずがロックを掛けた瞬間ドアノブが乱暴にガチャガチャと暴れる! 


 突然の出来事に驚き、出した事が無いような音が口から漏れてしまった。恐怖を感じながら、外側から回されるドアノブに目が釘付けになる。寝ぼけていた脳は覚醒するが、体は震えて思うように動かせない!


 ──こ、怖すぎる……


 ひろかずの脳は、不安と恐怖でパニックになっていた。


 " ガチャガチャガチャガチャ!"


 ドアの中央部分が、縦長の擦りガラスになっているのだが、更なる恐怖が襲い掛かる!


 " バンッ! "


 擦りガラス部分に、血が付いた手の平が叩き付けられた! ひろかずは後退りそのまま転倒する。咄嗟に毛布に包まって身体を丸めた。 


 身体を丸めたまま、しばらく耐えていた。どれぐらい経ったのだろうか、辺りは静かになった。毛布の隙間からドアを見る。ドアノブはもう動いていない。


 嘘の様に静まり返ったドアの擦りガラスに見たのは、血の跡だけだった。毛布を被ったまま部屋の電気をリモコンで消す。しんとした真っ暗な部屋で毛布に包まって震えていたひろかずは、いつの間にか眠っていた。






 ひろかずが目を覚ました時、家族に囲まれていた。左足の膝と左手の手首に、包帯を巻いた祖母もいた。皆泣いてる。特に祖母は、ひろかずに許しを請いて泣いている。泣き方が尋常ではない。


 ──何があったのだろうか?


 どうやら自分は、病院のベッドの上にいる。何だかドラマ等で良くある話だが、まさか自分が当事者になるとは思っても見なかった。頭は起きた時からずっとぼんやりしている。


 ──家族が祖母の見舞いに行った後、一人で買い物に行きカップ焼きそばを食べた……


 その辺りからの記憶がはっきりしない。曖昧な記憶の中、最後に見たのは部屋を覆い尽くす炎…… だった様な気がする。




 後に解った事、深夜にひろかずが一人で居た自宅が火事になった事。出火の原因は不明。近所の人による通報を受け、駆け付けた消防隊によってひろかずは救出された事。

 ひろかずの家から少し離れた場所で、酔った男が頭から血を流し倒れていた事。男は命に別状は無かったらしい。火事と倒れていた男の関連性も不明。

 早めに通報があった為ひろかずは命拾いしたのだが、身体の数ヶ所と顔面の右半分程を覆う火傷の跡が残ってしまうという事。


 家族はひろかず一人を家に残した事を後悔し、それぞれが自分達を責めている。特に祖母は泣きじゃくりながらひろかずに謝罪を繰り返している。

 正直な話、ひろかずは家族を責めるつもりはないし、恨むつもりもない。なのでどうか謝るのを、自分達を責めるのをやめてほしいと思った。

 でもひろかずは、この大人達を見て掛ける言葉が見つからなかった。


 その申し訳無さと火傷の跡が残る今後の人生への不安から、ひろかずは涙を流した。

 

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