第3話 あ~、そういえば、これ時間無いヤツでした


「……え~……」「……ちち…え~」「……ちちうぇ~!」


 ――あぁ、我が子が私を呼んでいる。


 ダレノカレ14世、すなわち王は、草原に佇んでいた。

 春の風が心地良かった。

 それは新緑のさわやかな香りを運びながら、近く来る初夏の熱気を孕んでいるような力強さも感じさせる。

 空を見上げると、抜ける様な青空が広がっていた。

 鳥が弧を描き、優雅に飛んでいる。

 豊かな国土。勤勉な国民。

 王は、穏やかさの中に確かな幸福を感じていた。


「ちちうえ!今日は私と遊んでくれる約束ではないですか!」


 はじける様な笑顔を浮かべた第2王子ユリウスが手を取ってくる。


 ――そうだったな。すまぬ。父は少し夢を見ていたようだ。


「こら!ユリウス!父上は今日私に稽古をつけてくれる約束だったのだぞ!困らせてはいけません!」


 いつの間にいたのやら、少年ながら逞しい身体をした第1王子マグリットが、2本の木剣を携えて彼らの側に来ていた。


 ――マグリッド、そうか、そなたが先約だったかな?いかんいかん。今日の春の日差しが穏やかで、すっかり父は呆けてしまっていたよ。


「ふふ……父上らしくないですね。日頃のご政務でお疲れなのでしょう……では本日は、稽古をやめて、父上を労らせて頂きたいと思います」

「あ、兄様、ずるいです!ぼ、ぼくもー!ぼくも父上をいたわります!」


 愛らしい王子たちが王の両手を取り、優しくどこかへ導いてくれようとする。


 ――こらこら、父はまだそんなに衰えてはおらんよ。


 そんなことを言いながらも、我が子に微笑みかけられて、王は思わず顔がほころんだ。



 大陸中原に国土を広げる、ア・トサーキカンガ・エーヌ王国。

 公的略称、エーヌ王国は、繁栄の時代を迎えていた。


 勇壮な王の采配により、戦乱の世に平穏をもたらしたエーヌ王国は、一躍大陸の大国の一つとなった。

 王が若き頃、彼は近隣諸国との熾烈な戦乱を治めた。

 そして友好国の美しい姫を妻に娶り、跡継ぎには逞しい第1王子と、武勇は平凡ながら心優しく慈愛に溢れた第2王子に恵まれた。

 王が壮年に差し掛かった今、まさにエーヌ王国は黄金期を迎えていたのである。


「王!こんなところにおられたのですか。国民がみな待っておりますよ」


 ――オブライエン、そなたまでこんなところに来たのか。

 

 宰相オブライエンが側にいる。はて、いつの間に来たのか。

 まだ若輩のオブライエンは、王から見れば随分と若い。しかし、その才覚によって20歳の若さで宰相まで上り詰めた秀才であった。

 王の頼もしき腹心である。

「当たり前です。王がおわす所ならばこのオブライエン、どこへとも馳せ参じましょう」


 ――ははは。お前は文官でなければ、私の一番槍で違いない。


「武官の才があれば、間違いなくそうなることを望んだでしょう。今は、この立場でしっかりとお役に立つことのみを考えております」

 オブライエンが恭しく一礼する。


「ちちうえ!オブライエンとばかり話して……僕ともお話してください」


 ユリウスが頬を膨らませる。


 ――おお、すまんすまん。マグリッドも……


「いいえ。いいのです父上。それに、私たちだけではありません」


 ――うん?


「ほら」


 マグリッドが満面の笑みを浮かべ、そしてさっと身を翻す。


 そこには平原を埋め尽くさんばかりに、国民が押しかけていた。

 国旗が、王家の旗が、無数に掲げられ、この国の繁栄を表すかのように激しく雄々しく風に揺れ、はためく。

 溢れるほどの歓声。

 耳に痛みを覚えるほどのその声は、しかし暖かく、癒しの響きを伴って王を、国土を包む。


 自分の名を誇らしげに叫ぶ国民たち。王が愛してやまない国民たち。

 

 騎士団長に率いられた、屈強な騎士団がかしずいていた。

 白銀の鎧が陽光を反射して、眩い光を放っている。


『国王陛下!バンザイ!』『バンザイ!』

『ダレノカレ14世バンザイ!』『バンザイ!!』


 ――みなのもの。


 王は感嘆に言葉を詰まらせた。


 王子たちが、騎士たちが、国民が、皆が王を見ていた。


 笑顔で、口々に王の名を呼ぶ。


 ――ふふふ……はっはっはっはっはっは!!


 なんいう日だろう。


 こんなにも、素晴らしい日があろうか!


 王は晴天に向けて高らかに、いつまでも笑い声をあげたのだった。






「……ッッハッハッハ……ハハッハハハ……ハハ」



「王!?これはどういうことか説明していただきたい!」  テメエハゲ!フザケンジャネエゾ

「3420億Delですと!?正気の額ではない!国家予算の3分の1を超えるではないか!国軍を10年間賄える額だぞ!」 ジョウダンハヒゲダケニシロ!

 コノ、インポヤロウ! 「王の独断で決めたというのは誠ですか!?何をもってそのような決断をなさったのですか!」 クサッタサカナデモクッテシネ!

コノ、ムノウ! 「オブライエン!!おぬしが側におりながら何たること……だから若輩には宰相など勤まらんといったのだ!」

「今はそんなことを言っている場合か!王!ご説明を!王!!」



 玉座の間は大混乱だった。


 100名を超える貴族、文官、武官を問わずの様々な者がダレノカレ14世に詰め寄っている。

 みな王に指を突きつけるように向け、口の端には泡を混じらせながら叫んでいた。

 目が血走り怒涛の勢いで罵声を浴びせている。

 もはや犯罪者か国賊を見る目で王を睨んでいる者すらいた。


 騎士団長ロドリックは、衛兵とともに王の前に立ち、詰め寄る者達に「無礼ですぞ!」と叫んで遠ざけようとしているが、時折不安そうに王を横目で見ては冷や汗をかいている。

 サー・オブライエンは王の側に寄り、いざとなれば自分が盾になろうとしているよう

 しかし、いかんせん少なくない敵意が自分にも向いていることを敏感に感じ取っているため、表情は焦りに満ちていた。

 勢い余れば逆に王を盾にしかねないほどに。


 そしてダレノカレ14世は、ハの羅列を引き攣ったようにただ絞り出していた。



「ふふふ」


 そんな混乱極めつつある玉座の間において、3人だけが悠然と構えた態度を維持していた。

 言うまでもなく、神聖軍の勇者3人である。

 彼らは王に非難が挙がる前後で、玉座からやや離れた位置に移動していた。

 この混乱が起こることなど初めから分かっていたとも言わんばかりに、しばし見入っていたのである。

 3人の中から1人、数歩前に歩み出た。王に先ほど途方もない金額を突き付けたユーディンだった。

 誰が見ても美しい女だが、浮かべる笑顔は作り物のようで、顔が整っているぶん不気味さを強調されている。

 彼女は、その金色の髪をかき上げながら言った。


「陛下」

 

 彼女の声は喧騒の中にあって、驚くほど全員の耳に届いた。

 喧騒がすっと止む。

 全員がユーディンを見た。その、のっぺりとした笑顔を。


「陛下。重ねて申し上げます。魔王討伐の契約……王国と我ら神聖軍との間に交わされた契約に従い、対価として3420億Delをお支払いただきたい」

 ユーディンは、口以外全く表情を変えずに言った。

 貼り付けたような笑顔が、異様な圧を放っている。

 沈黙が包む。

 王にあれほど罵声を浴びせていたにも拘らず、全員が不安げに互いに視線を送りあっている。


「あの……ユーディン?、殿」

 声を上げたのは王ではなかった。

 比較的ユーディンの側に近いところにいた、ジャガイモのような顔をした恰幅のいい貴族が、気まずそうにしていた。

 青地に白糸で、繊細な家紋らしき意匠を施された服に身を包んでいる。家柄は悪くないが、そこまで財力は無い、いち地方貴族の一人といった様子だった。


「えー……その、なにから言えばいいか分からんのだが……この度の魔王討伐に関しては、王のみならず我々も非常に感謝している。それは紛れもないことだ。だがぁ……そのぉ……我らは貴殿が言われた、先ほどの契約?を知ったばかりで、詳細が分からない。申し訳ないが、説明してほしい」

 貴族は冷や汗をかきながら言った。オブライエンは、詳細も分からないのに勢いであんなに王を罵ったのか、と色んな意味で戦慄した。

「うむ。私も知りたい。思わず、なんというか勢いで王にとんでもないことを言っていた気がするが、そもそも3420億Delなんぞという、途方もない金額を聞いて……あ、なんか今なら王に何言っても多分大丈夫じゃね?とか思っちゃって……ねぇ?」

 また別の貴族が声を上げた。

 初老の、おそらく王とそれほど年の差がないような貴族である。

「そうそう!わしも、何となく、今なら誰も怒らんし良いかなって」

 別の貴族が初老の貴族の肩を叩きながらほほ笑んだ。

「ははは!あなたもですか。実は私もなんですよ!」

 また別の貴族がにこやかに言う。

「いやぁ、まいりましたなぁ!」

「奇遇奇遇!私もです!」

 また別の貴族が、文官が、武官が朗らかに笑い出した。同窓会のような雰囲気だった。


 この国の連中は、実は皆おかしいんじゃないだろうか?と、オブライエンはまた驚愕した。王は泣いていた。


 妙な和やかさが場に漂い出したところを打ち切ったのは、ユーディンだった。

「ふむ……まぁ、皆様には、知る必要があるとも思いませんが、ここにいらっしゃる以上、多少なりともこの国で責任のある立場にいるのでしょう」

「ぶ、無礼な!」

 一転のその物言いに、どこからか声が上がる。

 ユーディンは、その声を無視した。

「……ですが、説明をしませんと、確かに状況をご理解いただけないでしょうね。私達はいくら誰に何を叫ばれても、一向にかまわないのですが……こう目の前で煩くされてはかないませんので」

 ユーディンは、来ているローブの端を手でさっと払った。何か付いていたわけではないが、ごみでも払ったかのようだった。

 ぐっ、と呻きのような声がする。


 いつの間にか空気が重くなっていた。

 この部屋にいる全員が、一定の地位を王国内で築いている。同然、権力もある。

 いかに魔王を倒した勇者といえども、どこぞの平民か、よくて腕っぷしだけの元自由騎士風情だろうに、こんな無礼な態度を許すことは名折れである。

 そうはわかっていても、誰も何も言えない。

 圧倒的戦力を持つ勇者3人……武力において叶わないことはわかりきっているが、それを置いてもこのユーディンという女が放つ、言いようもない圧力が全員の口を紡がせていた。

 のっぺりとした笑顔はそのままに、ユーディンは穏やかに話し出す。


「契約の概念については、いまさら皆様にお話しするようなものではないと認識しておりますが……まずはその認識について、念のため確認させていただけますか?」

 若干の肩透かしを食らったように周囲は戸惑う。しかし、それはすぐに収まる。

「うむ。我が国にも当然契約の概念はある。よって、それには答えられるだろう」

 初老の貴族が答えた。

「そうですか。では、簡潔にお答え頂いてもよろしいですか?」

「なぜそんな回りくどいことを」

「閣下、これはあくまで確認行為です。そもそも根本的な認識の違いがあれば、まずはそこから説明しなくてはなりませぬので」

 なんとも、子供に言い聞かせる様なのんびりとした口調でユーディンは言う。

 引っかかるものを覚えつつも、初老の貴族は答えた。

「……契約とは、法的な効果を生じさせる約束のことだ。当事者間、今回は王国と君ら神聖軍のことだが……その、双方の意思表示が合致することで成立する。これには権利と義務が発生し、当事者はその内容に拘束される」

「その通りです閣下。お手数をお掛けして申し訳ありません」

 ユーディンは頭を下げた。

 その時に、初老の貴族は気付いた。この女にどうも嫌な雰囲気を感じていたが、それがわかった。

 慇懃無礼、まさに、これに尽きる。


「契約の概念について、同様の認識を持たれていたことに安堵しておりますわ」

 張り付いた笑顔のまま、ユーディンは薄目を開けた。

「では、その認識を前提としまして、私達が陛下と交わした契約書をご覧になっていただきます」

 ユーディンはオブライエンと王に視線を向けた。

 オブライエンは肩を僅かにすくめる。

「サー・オブライエン。契約内容を皆様にお見せしても?」

「……契約を交わしたのは、陛下と貴殿であろう?私はその許可を出す立場にない」

 せめてもの強がりか、必要以上に大きな声でオブライエンは答えた。

「そうでございますが、陛下に直に聞くことは、その、憚れはばかれまして」

 クスリと、ユーディンは笑う。

 オブライエンの側では、呆けたように宙空を色の無い瞳で見つめる王が立っていた。ぶつぶつと、何事か呟いている。

 オブライエンの頬を汗が伝った。

「で、あろうとも、私は、立場にない」

「ふぅ……ならばこうしましょう。本契約は我々神聖軍と、王国との間で交わされたものです。この契約は双方の合意が無ければ開示できませんが……こちらにいらっしゃる皆様は開示を望まれているご様子。では、皆様全員の同意のうえで開示をすることを認めれば、王国として同意したとみなす、というのは如何ですか?」

「……それならばあるいは。いや、しかし」


 オブライエンは悩んだ。王国は王一人に権力を集中させる制度を敷いていない。

 王権は軍の統帥権にのみ限定され、それ以外は議会による承認を必要とする議会制も併用している。

 よって、この場にいる全員――当然、議会議員も全員揃っている――の承認があれば、契約の開示も可能であろう。


 しかし良いのか。放心しているとは言え、王を蔑ろにする様なことを、宰相である自分が認可してよいのか。

 オブライエンは奥歯を食いしばる。

 ユーディンは超然としてオブライエンを見つめていた。

 別にこちらは、どうなっても良いんですよ、と言わんばかりだった。

 そこでハッと気づく。そうだ、あの条文には確か。


「オブライエン!どうするのだ!」

「オブライエン!」「オブライエン!」「オブライエン!」

 貴族たちが、文官たちが声を上げ始めた。武官や自由騎士たちはあまりそちらの方面には明るくないのだろう。声高には何も言っていないが、何かしらの決断をオブライエンが迫られていることは分かっているようだった。

 なんでこいつらは、あんだけ好き勝手騒いでおいて、いざとなるとこちらに責任を負わせようとしてくるんだろう……そんな思考が脳裏をかすめる。

 しかし、そんなことを言っている場合ではないことに気付いていたオブライエンは、はっきりと言った。


「開示を!……ユーディン殿、開示をお願いします!」

 にやりと、ユーディンが笑った気がした。

「オブライエン!良いのか!?」

「陛下がうんともすんとも言わないが、ほんとによいのか?というか大丈夫なのか、もろもろ!」

「いいのです」

 力を込めて、オブライエンは言った。

「……時間が、ない!」

 


〇 pickup!


  神聖軍と王国間の契約書(改訂版)


  第三条(対価の支払い)

  1. 略

  2. 支払いは、討伐成功後777分以内に行われるものとする。⇦

  3. 略

  4. 略

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王国の財布と踏み倒し大作戦 〜777分の逆転〜 ちゃたろー @nao5389

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