11月22日 第一の殺人

 鹿野に促され、有沙は二階の自室を降り、皆が集まっているという宴会場に着の身着のまま、急ぐ。

 彼女らが宴会場へと着くと既に今朝方遺体となって見つかったという在原兼人以外、四人の姿があった。更には旅館の女将に、女中が三名、それに昨日には見ることがなかった板前が二人の計、十人もの人間が宴会場には集まっていた。襖を開け、入ってきた二人に中にいた全員の鋭い視線が突き刺さり、ふいと逸らされた。

 昨夜まで彼らを取り纏めていた在原兼人の不在により、沈黙が場を支配する。それは彼の死を色濃く有沙に感じさせる静けさであり、また空気を何倍もの重さに変えるものであった。

 そんな一行を見兼ねたか。音頭を取ったのは昨日の自己紹介でアランと名乗った男。彼はその大柄なその身体を窮屈そうなスーツで包み、状況を説明し始めた。

 「館内のトイレで早朝、在原が亡くなっているのが見つかった。第一発見者は吉川さんだ。床に散乱していた違法薬物の数々と注射器から察するに中毒死……と考えられるが、詳しいことは分からない。警察が来るまでは現場を荒らさない方がいいだろう。そうじゃなくとも見に行くことはオススメしないがな」

 流暢な日本語で、落ち着き払って話すアラン。しかし、彼の目は厳しく他の宿泊客や旅館関係者に向けられており、当然それは有沙も例外ではない。

 ──きっと、彼はこの中に在原さんを殺した人間がいると思っているんだ。

 有沙はそのことに気付きながらも、だからといってその疑いを晴らすことが、自分はおろか他の人間でさえも出来ないことに呆然とした。それは今こうして猜疑の目を全員に向けているアランだってそうだ。この警戒する姿も後の事情聴取や今この場を逃れるための演技であるかもしれないのだ。 

 思えば思うほど。考えれば考えるほど。有沙は自分自身が疑心暗鬼に陥っていることを分かっていた。されど、この山奥の旅館でこの場にいる人間以外が殺したなどとどうして、思えるだろうか。昨日会ったばかりの他人をどうして、信用などできようか。

 「ただ、旅館には今、電波が届いていないそうで電話が使えない。それで、だ。一度、山を下りて警察を呼ぼうと思うんだが全員が一遍に降りても仕方ないだろう。だからここは先に数名を先遣させて、警察と連絡を取ろうと思う。誰か立候補者はいないか? 」

 「わ、わ私は行かないわよ! 」愛子の悲鳴に近い言葉が飛ぶ。

 「アラン、あなた気が付いていないとは言わせないわよ。これは始まり。私たち皆狙われているのよ! 」血走った目で口角泡を飛ばす彼女の発言に全員がギョッとした顔をした。

 「君。見知った人間が亡くなったのはショックだが、幾らなんでもその言い方はないだろう。徒らに不安を煽るのはよろしくない」落ち着いた物言いで愛子を窘めるのは宿泊客の中では最年長である、安藤誠司という男だ。

 彼は昨日の自己紹介で一際、場を盛り上げた立て役者でもあった。それは互いに面識のないこの場で唯一、全員が顔を知っていた、ただひとりの人物に他ならなかったからである。何を隠そう、彼はかつてメディアへの露出も頻繁に行っていた、元政治家だったのである。

 政治に無関心な有沙でさえ、顔を知っていたぐらいであるからして、その知名度は推して知るべしであろう。

 「腹が空いてはなんとやらだ。どうだろう、軽くパンでも食みながら議論を続けようではないか」彼は深くシワの刻まれた精悍な顔つきを朗らかなものへと変え、皆へ提案する。

 しかし、それに賛同する人間はついぞ現れず、安藤は「まぁ、それも良いだろう」と前言を撤回するのだった。

 「それでは私が先遣隊に立候補しよう」

 殺人犯と同乗するやもしれない危険を請け負ったのは第一発見者の吉川だ。見た目、中肉中背の彼は顎に手を置きながら言う。

 「私は若い頃に格闘術の経験があるし、万が一のときは押さえ込めばいい。それに車を二つに分ければ、どちらかに殺人犯が乗っていたとしてもなんとかなるだろう。なにより第一発見者の私は警察とのやり取りで必要になるだろう。真っ先に私が疑われるだろうからな」

 まだ在原の死を受け止めきれていない有沙にとって、この吉川の冷静な物言いは異常ともとれた。

 ──人が死んだっていうのに、どうして吉川さんはこんなにテキパキ動けるんだろう。

 有沙は自分にはない、その論理性に畏敬の念を払いながら、ただ周囲の流れに身を任せる他なかった。 

 話し合いの末、山を下りるのは宿泊客よりアラン、吉川、鹿野の三人に加え、旅館代表として女将の小野塚洋子の占めて四人に決まった。

 吉川の提案通り、下山に使う車を二つに分け、アランが運転する方に吉川を、女将が運転する車に鹿野を乗せる運びとなったのだった。


 アランは自身の乗ってきたスポーツカーが停まっている、旅館傍の駐車場へと四人は辿り着く。停車しているのは各宿泊客が乗ってきた七台と旅館関係者が所有する五台の計十二台。山奥にある旅館にしては広々とした駐車場ではあるが、今は所狭しと車が並んでいた。

 アランは自身の青いスポーツカーに乗り込み、助手席には吉川を乗せた。女将もまた、鹿野を助手席に乗せ、女将が先導する形で四人は下山を試みるのだった。

 しかし、三十分も経たないうちに四人は旅館へと舞い戻ってくることになった。片道二時間かかる予定のところ、その四半程で帰ってきた四人に一行は驚き、彼らが持って帰ってきた情報に驚愕と不安が煽られた。

 「山道の崩落だ。あれでは車はおろか、人も通れない」 

 「ど、どうして! 昨日、地震なんてなかったでしょうに! 」

 「それは……」

 喚き立てる愛子に対し、言い淀むアラン。有沙はその表情と今朝方から全員の間に流れる空気とで察しがついた。

 「誰かが、山道を崩落させた……とか」

 「そんな、馬鹿な。誰がそんなことをするというんだね」鹿野の呟きに安藤が問う。しかし、残念ながら答えは明白だ。

 「そりゃ、犯人でしょう。私たちが山を下りられず、警察への通報が遅れて嬉しいのは犯人だけ。ダイナマイトでも先に仕掛けておけば、一人でも実行可能ですな」

 「つまり、この中に犯人がいると? 」

 あっけらかんと言い放ってみせた吉川。そんな彼に問い掛けたのは鹿野だった。その彼女に吉川も流石に言葉が詰まる。この場の誰しもが一度は頭に浮かべているであろうそれ。しかし、一度口にすれば、この場にいる全員から反感を買うことは容易に想像できた。

 張り詰めた空気が場を満たす。有沙もまた、その空気に当てられ、生唾を飲み込んだ。

 と、その時朗らかな笑いが各人の耳へと届けられた。

 「いえ、失敬。しかしながら皆さん。そうピリピリなさっても仕方ないでしょう。犯人がこの中にいる、それも考えられる。だから各々が警戒するに越したことはない。されども、逃げたということもあり得るのではないかな?寧ろ、追って来られぬよう崩落させたのやもしれん。そうすれば警察の介入は遅れ、犯人は遠くへと逃げおおすことのできる時間ができる。こちらのほうがよっぽど犯人にとっては利のあることと思えるが。そもそも、犯人の目的は在原君の殺害であり、それは残念なことに達せられてしまった。であらば、あとは待つだけではないかな?」

 仮に在原を恨んでの事ならば、最早犯人に動機はない。殺人犯と同じ屋根の下にいると考えると気が気ではないが、今どうこうという話ではないだろう。そう言う安藤の言葉は、不安に支配された有沙の心を落ち着かせた。

 それでも一行の中で遺体を見ている、アランと吉川の顔だけは決して晴れることがなかったことに有沙は気付いていた。

 「みなさん、聞いてほしい話があります」

 ひとしきり、各人が現状の理解をした折、そんな発言で注目を集めたのはアランだった。

 険しい顔をした彼は「絶対に騒いだりしないでほしい」と前置きを入れながら、そっと荷物の中からあるものを取り出した。

 「えっ、これって……」

 思わず、声にしてしまったのは有沙だった。アランが荷物から出した冷たい黒の、それ。日本で実際に見ることは殆ど無い、それ。人を殺すために生まれた兵器、即ち銃だ。

 アランが皆の前へ掲げてみせたのは所謂、ハンドガンと呼ばれるタイプの銃で、全員がその姿に身を硬くする。

 そこですかさず、フォローに入ったのは吉川だった。

 「驚くのは分かる。私も先程、山道の崩落を知った帰りに彼から打ち明けられた時には殺されると思ったものだ。しかし、実際はこれで犯人から身を守ろうという提案だった。銃を持っているアランなら、在原の殺害には関わっていないだろう。わざわさ毒で殺さずとも、撃ち殺してしまえばいいわけだからな」

 アランと吉川が提案する、犯人から身を守る手立てとは要約すれば次のようなものだった。

 一に武装したアランが館内の見回りを行う。二に極力、単独行動を避け、出来うる限り、所在は明らかにしておく。

 この二点が大まかに提案と話し合いによって決まったことだった。しかし、ここで一つ問題が生じる。

 「でしたら、私どもは別館に下っております。このような事態になり、大変申し訳なく思う所存では御座いますが、アラン様の警備の邪魔にもなりましょうし……お食事だけは厨房の方に作り置きをさせてくださいませ」

 それは宿泊客と旅館関係者らの隔離だった。女将の話によれば、旅館では定期連絡を行うため、一週間に二度、山から下りるという。その定期連絡は今日含め三日後であり、この昼までに旅館の関係者がこなければ何かしらのトラブルが生じたものと判断される。その三日後までは宿泊客だけで生活をしてほしいと暗に女将は言うのだった。

 そこからはトントン拍子で話が進み、昼前には女将はじめ旅館の従業員らは距離にして数百メートルほどの別館へと移動していった。宿泊客の中でも愛子だけは最後まで女将らと共に移ると言い張ったがやんわりと追い返されてしまった。それはつまるところ、有沙たち全員が旅館側に疑われていることを意味していた。また、いつまでもトイレに座らせているわけにもいかないと吉川とアラン、旅館の板前さんたちとで在原の遺体は今は誰も使っていない離れの倉庫へと移された。

 そんなこんなで時刻は昼を過ぎ、夕方へと移り変わろうとしていた。朝から何も食べていなかった有沙だったが、とても食事ができるような気分ではなかった。それでも「空腹が苛立ちや不安を増させる」というアランの言に従い、板前たちが作り置いてくれたおにぎりを一つだけ口にした。

 「アランさんは何で銃なんか持ってるんですか?」 

 有沙の口をついて出たのはそんな質問だった。アランはその質問に一瞬、考え込む素振りを見せたが、すぐに口を開いて言った。

 「俺は普段、紛争地域でネゴシエーターをやっていてね。だから、色んなやつに恨まれてるし、憎まれてる。どこで命を狙われるか分かったもんじゃない。それで護身用にこれだけはいつも荷物に忍ばせているんだ」言いながら、腰に付けたホルスターから、ちらりと銃身を覗かせるアラン。

 不思議と恐ろしさはなかったが、それが実際に誰かの命を奪う場面を想像すると、有沙の背を薄ら寒いものが這い上がった。

 「大丈夫。極力撃たないつもりだから。銃は撃たなくても構えるだけでそれ相応の効果がある。引き金を引けば、殺せる恐ろしいものに変わりはない。しかし、同時に使い方さえ誤らなければ誰も血を流さずにすむ。そういう使い方になることを祈るばかりだ」

 それだけ話すとアランは「失礼」と言い残し、空のグラスを片手に、水のお代わりを求めて有沙の側を離れた。

 残された有沙は先程のアランの言葉に内心、深く賛同し、彼の印象を上方修正するのだった。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る