モノクロームレディ

旧瀬昧

モノクロームレディ

最初の印象は、黒。その次が白でした。


あの日の出来事はよく覚えています。連日の猛暑で茹だるような暑さの中行われた葬儀だったので、みな団扇で心もとない風を作りながら滝のように汗をかいていました。ちょうど葬儀場の冷房が故障中で、じっとりとした湿気と室内に籠る熱気にうんざりとしながらご焼香の順番を待つ中、その人は突然現れました。


染みひとつない、どこまでも透き通るようで不気味なほど白い肌。薄化粧なのに紅だけはしっかりと指しているからか、唇がやけに目立ち、とても艶っぽく光っています。海の底のようのな黒黒とした瞳には一切の光がなく、どうしてだろうとつぶさに観察すると、睫毛が長く豊かだからだと分かりました。束になった睫毛が影を作り、黒い瞳をより黒くしているようです。瞳が大きいので、まじかで見ると出目金のようにも見えます。

そして何よりも目に入るのがその容貌でした。ビスクドールのように美しく、日本人離れした彫りの深さに高い鼻。あまりの見目のよさに、みんな彼女に釘付けになりました。美しい顔立ちに黒い服、黒い髪、黒い靴、黒い瞳。それを際立たせるような白と赤。とても不謹慎なのですが、お葬式にはぴったりな人だと私は感じました。


見覚えのない女性の訪問に、葬儀場はざわつきます。こんなに綺麗な人ならみんな覚えているはずですから。私ははて何処の親戚だろう、と彼女をじっと見つめていると喪主を務めていた父が彼女を見るやいなや怒鳴り声を上げました。どうやら父の知り合いのようです。父は憤慨した様子で足音を響かせながら彼女に近づき、白く細い腕をへし折ってしまいそうな勢いで掴むと、そのまま葬儀場の外へと引っぱりだしました。何人かが後を追い、私も気になってしまいついて行こうとしますが叔母に静止されてしまいました。あっちに行こうね、と手を引かれながら元いた席に戻る途中、どの面下げて来たんだ、阿婆擦れめ、という父の罵倒が聞こえてきました。

なんだかいつもの父ではないようで、今でも思い出すだけでとても怖かったのを覚えています。


怒鳴り声と罵倒、しばらくの静寂の後、大きな物音がしました。


更にしばらく経った後、父は大人達に連れられ怒りの形相を浮かべながら戻ってきました。すっかり騒がしくなった葬儀場に向かって一言大変失礼しました、と謝罪を入れると葬儀の進行へと戻りました。誰も彼もあの女性はなんだ、父とはどういう関係だとざわざわしていましたが今は葬儀の途中なのです。みな気になりつつも、しばらくすると落ち着きを取り戻しました。


ちょっとしたイレギュラーが起きつつも無事葬儀は終わり、いよいよ火葬という所まで来ました。棺に収まる母を見送り、火葬が終わるまでの間昼食をとります。大人達が母の思い出を語りながら楽しく食事をする中、私は母の事と彼女の事で頭がいっぱいでした。

父の態度から察するに、彼女はきっと父の知り合いではなく母の知り合いなのだろうと思いました。あんなに綺麗な知り合いがいるのなら、母はどうして教えてくれなかったのでしょう。それに父がどうしてあんなに怒っていたのかも気になり、豪勢な昼食がまったく喉を通りませんでした。

昼食を終えぼうっと彼女の事を考えていると、葬儀場のスタッフが火葬が終わりました、と父に伝え、骨上げをしにみなめいめい火葬場へと移動し始めました。その時私はまだ幼く、骨上げにはまだ早いからと火葬場近くの休憩室でスタッフと共に待つよう父に言われたので大人しく待つことにしました。待つこと数十分程、白い包みに丁寧にくるまれた骨壷を抱えた父が戻ってきました。しげしげと眺めていると、この包みが母だよと、叔母がそっと耳打ちしてくれました。

こんな小さな包みの中に母が収まっているなんて信じられなかった私は、思わず火葬場へと走ります。まだ台車の上で寝かされているのではないかと思ったからです。しかし予想に反してそこにあるのは台車だけ。どうして、と理解が及ばない私を追いかけてきた父が、台車がよく見えるよう抱き上げてくれました。台車の上は白い灰があるだけで空っぽで、母はいません。お家に連れて帰ればいいのに、なんで焼かなければいけないのと、納得がいかず今にも泣き出しそうな私に母さんはあの中にいるんだよ、これから一緒に帰るんだよと父は必死に言い聞かせます。

途端滲み始めた視界の中、まだ熱気の残る灰にぽつん、と白い小さな塊が残っているのが目に入りました。


母の御骨です。


私はそれを父の目を盗んで掴み、手のひらに隠しました。


なんだか、母が呼んでいるような気がしたのです。


当然まだ温度は下がっていないので大変熱く、手のひらに火傷を負ってしまいましたが父に見つからないようスカートのポケットに大事にしまいました。火傷の痛みに耐える私を見て納得してくれたと勘違いした父は、私の頭を乱暴に撫でるとまだ忙しいから、ここから帰ったら叔母さんと一緒に遊んでおきなさい、と火葬場から足早に去っていきました。

じくじくと痛む火傷に気を取られつつ叔母に連れられ自宅に帰ったはいいものの、母がおらずすっかり寂しくなってしまった家はどこか居づらく、気分でも紛らわそうと思い外へと飛び出しました。

私の実家は海が近く夕日が綺麗に見えることで有名で、よく母と一緒に景色を眺めながら散歩をしていました。その事を思い出しながらとぼとぼと宛もなく足を動かしていると、堤防に人影が見えることに気づきました。昼間、葬儀場に現れた彼女です。


海を見つめながら物思いに耽るその顔には、誰かに叩かれたような痣がついていました。私は思わず駆け寄ります。

「ねえ、だいじょうぶ?」

「あら、おかえりなさい。大丈夫よ、慣れてるの。」

その人は私に気がつくと安心させるような笑みを浮かべ、優しく頭を撫でてくれました。

「だれにぶたれたの?」

「いいのよ、気にしないで。」

きっと父だろうと検討はついていましたが、彼女は濁しました。幼い私の前で父を悪者にしたくなかったのでしょう。

「あなたのお父さん、あたしの事苦手みたい。まぁいきなり来ちゃったあたしが悪いのよ。呼ばれてもないんだから。」

「どうして?」

「どうしてもよ。」


父と母、そして彼女の間に何があったのだろう気になりましたが、哀しそうに海を見つめ続ける彼女にそれ以上追求出来ず、居心地の悪さにそわそわとしていると火葬場での事を思い出します。自分自身でもなぜだかは分からないのですが、母の御骨はこの人に渡さなければ、と思ったのです。


「はいこれ。」

「なぁに?」

「おかあさんだよ。」

「まあ、ふふ。随分、小さくなっちゃったわね。」


彼女は、母の御骨を両手で慈しむように見つめ頬ずりすると、大きな瞳を更に見開いてぽろぽろと涙を零しました。真珠のように地面に落ちていくそれを見ながら唖然としていると、ふいに優しく抱きしめられました。熱を持っているとは感じられないその身体は、予想に反してとてもあたかかく、細く白い首筋から甘い香りがします。


亡くなった母と、同じような香りでした。


「あなた優しいのね。あの人そっくり。」

「あのひと?」

「あなたのお母さんのこと。」

目を伏せ、どこか居心地悪そうにしている表情のなんと美しいことでしょう。高尚な絵画を切り取ったようなかんばせに思わず見とれていると、彼女は私の手の火傷に気が付き途端に泣き出しそうな表情に変わりました。

「おてて火傷しちゃったのね。」

「これは、その。」

「違わないでしょ。だめじゃないの、まったく。」

まるで自分の事かのように心を痛める彼女。なんだか哀しませたくなくて、平気だよと嘘を吐きましたが彼女にはお見通しのようでした。ぽってりと白く膨らんだ火傷の跡をいたわるようになぞり、溜息を吐く姿も絵になります。

「あなた、ほんとあの人そっくり。優しいところも、隠し事をする時の癖も。瞳なんか瓜二つ、可愛い。」


薄く微笑む彼女に手の甲で頬をすう、と撫でられます。夏の暑さを一瞬忘れてしまうくらい、とても冷えています。手が冷たい人は心が暖かい証拠なんだよと、母から教わったのを思い出しました。母が言っていたのは、きっとこの人の事でしょう。小さい頃、母が眠る時してくれたある女性のお話。母がその冷えた手に触れると、雪のように白い肌が途端に赤くなるから面白いと。だからついつい触れてしまうと。恥ずかしがり屋な子で随分と悲しませてしまったけれど、いつか迎えに来てくれるからその時まで待っていなきゃいけないと。


彼女はきっと母を迎えに来たのです。


「さ、あたし行かなきゃ。あの人のとこ。」


御骨、ありがとうと言いながら彼女は立ち上がると、よたよたと海辺へと歩き出しました。覚束無い足取りは、どこか浮かれているように見え、夜遅くまで飲んで帰ってきた父を彷彿とさせました。夕暮れに向かってふらふらと、まるで吸い込まれるように海へと歩くその姿に嫌な予感を覚えた私は彼女を静止しましたが、聞き入れては貰えませんでした。


「だめよ、あの人言ったんだもの。」


―あたしを攫ってくれるって。


私はそれ以上声をかけられず、ただ彼女の後ろ姿を見つめる事しかできませんでした。


後日、浜辺に綺麗に並べられた黒いハイヒールが見つかりました。父や大人達はあの女だ、入水自殺だ、とざわざわしていましたが、数日もすればみな何事も無かったかのように彼女の事など忘れ去り、日常へと戻っていきました。


母はきっと約束通り彼女を攫っていったのでしょう。


今頃二人、仲睦まじく逢瀬を楽しんでいるのでしょうか。


彼女は未だ、行方不明のままだそうです。

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