桃センサー

あべせい

桃センサー




 とあるスーパーの鮮魚コーナー。

 若い店員が、買い物している婦人に声をかける。

「お客さま、お客さま」

「なァに? いつも笑顔がかわいい店員さんじゃない」

「お客さま、困るンです」

「エッ、なに、なにッ」

「その、タイのお刺身を、指で強く押されますと……」

「指で押す? 私が押した、っていうの、この刺身を」

「ラップがまだ、こんなに、親指の形にへこんでいるでしょ。これ、奥さんの親指です」

「あなた、見ていたの」

「きょうは最初からずーっと。奥さんは、この鮮魚コーナーに来られてから、イサキ、イシダイ、イシモチといった尾頭付きの魚から、タラやカレイなどの切り身に至るまで、指で何度もこのように押しておられました」

 店員はそう言い、左の手の平に右手の親指をグイグイねじこむ。

「そんなに押していた?」

「きょうだけなら、いいンです。奥さんの場合、来られるといつもなンです」

「習慣、って恐ろしいわね」

「これ以上は、おやめください」

「これ以上って、この先に魚はないでしょ」

「果物コーナーがございます」

「そうだったわね。いまは桃の季節だから、楽しみ。フ、フ、フフフ……」

「奥さん、間違いがあっては困りますので、お断りしておきますが、果物コーナーの担当者は私のような、ヤワではございません」

「何をおっしゃっているの?」

「果物コーナーの担当者は鬼熊といいまして、その名の通り、すごい形相の男です」

「頼もしいじゃない。鬼と熊を一緒にしたような、たくましい人なンでしょ」

「そうではありません。口よりも先に手が出る、癖の悪い男です」

「手癖が悪い、ってことかしら。そんな人、スーパーで使っていて、いいのかしら?」

「私もどうかと思いますが、その男は、このスーパーのオーナーのひとり息子ですので、やむをえないのです」

「ドラ息子ってことね。おもしろいじゃない」

「奥さま、トラブルはご勘弁ください」

「いいこと? 私はね、このお店に買い物に来るのよ。買い物以外に関心はありません。そこをどきなさいッ」

「失礼しました」

 店員、婦人を見送ると、すぐに駆け出す。


 果物コーナー。

 Lサイズの桃がたくさん並んでいる。

 例の婦人がのんびりとやってきて、桃に手を伸ばす。

「アッ!」

 その桃が、横から伸びた手に奪われる。

「なに、するのよ!」

 横取りした手を追って、その手の主を見ると、中年のいい男

「奥さん、この桃をお買い求めですか?」

「エ、まァ。おいしければ、いただこうかと……」

「最高にうまい桃です。でも、これは、お売りできません」

「どうして、なの?」

「残念ながら、売約済みです」

「これ、ぜーんぶ?」

 男、頷いてみせる。

「どなたが、お買いになったのかしら?」

「私です」

「あなたが! あなた、どなたなの?」

「私ですか。私は鬼熊といいますが」

「ウソおっしゃい」

「この名札がウソだとおっしゃるのですか」

 首からぶらさげているIDカードを示す。

 婦人、鬼熊の顔とカードの顔写真を何度も見比べる。

「『鬼熊一夫』って、書いてあるわね」

「鬼熊一夫ですから」

「このストアのオーナーの息子さん?」

「職場では、単なる店員です」

「すごい形相だと聞いたけど」

「そんなときもあります。こんな顔のときも。いけませんか」

「口より手が早い、とも言っていたわ」

「口べたですから、場合によっては手ぶりで同僚に仕事上の合図をします」

「なんだか、担がれたみたい」

 そこへ、別の女性客が。

「すいません。桃、いただけませんか」

「どうぞ。ただ、桃は売り場担当の私がお選びすることになっています」

「それはいいけれど、美味しい桃にしてくださいな」

 すると、先の婦人が、

「ちょっと! 鬼熊さん」

「なんでしょうか? 奥さま」

「桃は、売り切れたンじゃなかったの」

「私が一旦すべて買い取りましたので。しかし、1人では食べきれません。ですから、ご希望の方には、いまからお売りすることにします」

「あんた、わたしに桃を触られたくなくて、ヘンな小芝居をしたのね」

「小芝居か、大芝居か、そんなことはどうでもいいですが、奥さまは桃をお求めになりますか?」

「もちろん、欲しいわよ」

「お待ちください。こちらのご婦人が先客ですので。お待ちください」

 と言って、先の女性客に。

「奥さま、おいくつ、ご希望ですか」

「5つばかし、いただこうかしら」

「はい、ただいま」

 鬼熊、よさそうな桃を5個、傍らに重ねてある専用のタッパをとり、丁寧に詰める。

「では、こちらを専用レジにお願いします」

「ありがとう」

 婦人が立ち去ると、年配の婦人が、

「専用レジって?」

「桃専用のレジですが……」

「そんなのがあるの?」

「この季節、特別に設けました」

「なにが違うの?」

「精巧なセンサーがついております。そのセンサーを通しますと、痛んだ桃はその分、値引きをいたします」

「それいいじゃない。この店に来るまでに痛んでいた桃は、安くなるというのね」

「はい」

「わかったわ。そんな便利な機械があるンだったら、鮮魚コーナーにも置けばいいのよ」

「いまは試用段階ですが、近く、そのように致します」

「わかったわ。あなた、忙しいでしょう。あっちに行っていいわよ」

「そうですか。では、失礼します」 

 鬼熊、立ち去る。

 婦人、指で押すなどして桃を乱暴に扱い、タッパに詰め、自動専用レジへ。

「なに、コレ。ちょっと、鬼熊さーん!」

 鬼熊、やってくる。

「奥さま、どうなさいました?」

「この桃、一つ、おいくら?」

「Lサイズですから、1個198円頂戴しています」

「わたし、10個買ったの。そしていま、このセンサーに通して合計額を見たら、2580円! どうしてこういう計算になるの! 傷ついた桃は安くするって、言ったじゃない」

「奥さま、桃に何かなさいませんでしたか?」

「!……」

「桃の売り場には、監視カメラがございまして、常時桃がいたずらされないかどうかチェックしています。万が一、お客さまが誤って桃に傷をつけられますと、その分、値段が高くなります。当然の措置ですが」

「そんな話、聞いていなかった。そりゃ、少しは乱暴に扱ったわ。それを値段に上乗せするなんて、聞いたことがない」

「桃の販売には毎年、頭を痛めております。お客さまの扱いようによって、廃棄処分にせざるをえない桃が、全体の約2割にのぼります。その2割の損金を埋める必要から、このような非常手段をとっている次第です。どうか、ご理解くださいますようお願いします」

「……」

「しかし、丁寧に扱ってくだされば、センサーが無傷と判定し、それはまた値引きの対象になります」

「このレジのセンサーは、そんなに優秀なの」

「自慢じゃないですが、この程度の判別をする能力は備えています」

「流通段階で傷の付いた桃は値引きして、わざと傷つけた桃は値段を上乗せ、丁寧に扱って傷のない桃は値引きする、って。そんな優秀な機械を導入したら、経費がたいへんでしょうに」

「特別な経費はかかりません」

「どうしてよ」

「私が事務所から、監視モニターを見ながら、その都度、遠隔操作しています」

               (了)

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桃センサー あべせい @abesei

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