最後の

ドーン。


地底の底から湧き出でるような爆音があたりを震わせ、空には大輪の花が咲く。

そして地上では大きな歓声が沸く。

近所の川を舞台に毎年行われる、某花火大会。

テレビの中継なんかも入る有名なイベントで、毎年人であふれかえる。


――この暑いのに人ゴミまみれとはご苦労なことで。


苦笑しながらビールを傾ける。

立地条件のいい住居のお蔭で、自宅のベランダで涼みながら、この素晴らしい花火大会を満喫する特権が俺にはあった。


毎年この特等席で、気の置けない友人達と、男三人で花火を堪能する。

寂しいとかキモいとか言われるかもしれないが、彼らは中学からずっと付き合いの続いている親友なのだ。

でも、今年は彼らには遠慮してもらった。

楽しみにしていたらしい彼らははじめ不満の声を漏らしたが、すぐに納得して「絶対うまくいくぜ」とまで言ってくれた。

その彼らの協力もあって、今ベランダには一人の浴衣美女がいる。


大学の入学式で一目ぼれした。

アーモンドのようにくっきりした目、その中で輝く大きな瞳、すっと通った鼻筋、柔らかそうな唇、ほんの少し茶色かかった肩までの髪、なだらかに膨らんだ柔らかそうな胸、スカートからすらりと伸びた白い足、全てがこの世のものとは思えないほどに完璧だった。

座っている座席から彼女の学部学科を割り出した。

掲示板から必修の講義を探って後をつけ、同じサークルに入ることに成功した。

同じサークルの新入生同士、新歓コンパでアドレスも交換し、あっさり下の名前で呼び合うことになった。


でもそれだけだった。

自慢じゃないが、俺はそこそこモテた。外見もそれなりに良かったし、性格も悪くなかった。何よりちょっとばかり頭が良くて運動もできるということで、とにかく目立った。

面識のない女の子からの呼び出しも「またか」と思えるくらいには経験したし、当然それに見合った女性経験というものもある。

だけどそれは、言うなればすべて「据え膳」というやつだった。俺のほうから誰かを好きになって、その相手に真剣にアプローチし、ようやく認めて付き合ってもらうという経験はゼロと言ってよかった。

だから俺は、俺のこの初めての胸の高鳴りを、どうやって彼女に伝えたらいいのか全く分からなかった。


下手なことを言って気まずくなって、バカ話さえできなくなったらどうしよう。

もし想いを伝えて、彼女にこっぴどく拒絶されたら、俺ははたして正気でいられるだろうか。


そんな不安を親友二人は笑い飛ばした。

「ようやく恋する気持ちを覚えたかこのイケメンが」

「俺らブサメンはそんな思いを乗り越えて今までなんども玉砕してきたのだ尊敬しろ」

そんな風に茶化しながら、どうやって彼女を口説いたらいいかの相談に夜通し付き合ってくれた。

「お前はもともと見た目や言動には嫌われる要素ないんだから、何か彼女の心に残るようなロマンチックな演出でも仕掛ければイチコロじゃないか?」

「とりあえず二人きりでお茶するところから始めようぜ」

そんな彼らのアドバイスもあって、何とか二人で遊びに行くことくらいはできる関係になっていた。


先日。

俺は思い切って彼女を誘った。

「例の花火大会が余裕で見られる特等席があるんだけど……」

始めは俺の自宅に二人きり、ということで迷っていた彼女だが

「私、門限あるから……父が厳しくて。だから、花火大会終わったらすぐに帰らなきゃいけないと思うけど、それでもいい?」

俺だって、まさかその日に急展開、なんてガツガツしてはいない。いや、キスくらいは出来たらと思わなくもないけれど。

「もちろん。一緒に花火見て、最高の夏の思い出にしようぜ」

下心なんて全くありませんよ、とさわやかに笑ってみせると、彼女も安心したように「うん」と笑った。


そして今日である。

ドタキャンされるのではないかと内心不安でいっぱいの俺の前に、浴衣を着た天使が現れた。

「川にはいかないって聞いてたけど、やっぱり花火大会って言ったら浴衣だよね。これ今日初めて着るんだけど、どう、似合うかな?」

ちょっと照れたように笑う彼女に、俺は息も出来なくなりそうだった。


そのまま自宅に案内する。

彼女があまりにも綺麗なのと、本当に来てくれた嬉しさとで頭の中が真っ白になっていたけれど、それが却って『俺は彼女を傷つけるようなことはなにも出来ない』と自覚することにもなった。

本当にこんな、中学生、いや小学生のガキの初恋みたいな気持ちを抱えながら大人の行為なんてできるわけがない。

彼女もそんな俺の反応を見て同じ感想を抱いたのか、特に警戒するような様子もなく、いつもサークル部屋でダベっているときと変わらない様子で「花火楽しみー」なんて言っていた。


時間になり、花火大会が始まる。最初は河川敷で行われる仕掛け花火だ。

さすがにベランダから河川敷までは見えないので、部屋のテレビをベランダの前まで引っ張ってきた。

テレビの中継で仕掛け花火を見ながら「あそこらへんでやってるのかな?」「ねぇ、今あそこ光ったの、それじゃない?」なんて言いあった。

仕掛け花火が終わると、いよいよ打ち上げ花火だ。花火師が趣向を凝らした様々なデザインの花火が次々と打ち上げられる。

轟音、そして華、華、華。

人気アニメのキャラクターを模したものや、ひらがなの玉を連続して上げてメッセージのようにしたもの、そして定番の牡丹やUFO、小さい花火がいくつもパッパと開いては散る千輪。

息つく間もなく打ち上げられる花火の一つ一つに目を奪われながら、それでも横目で彼女を見て、花火に感動するその愛らしい表情をチェックするのも忘れなかった。

そして締めはもちろん、枝垂れ柳を思わせる錦冠。

錦冠が一つ、また一つ、と打ち上げられる。一つが開き、そしてそれぞれの点が尾を引いて地上に降り注ぐ、それが消えないうちに次に開いた華からもまた無数の光が地上に、そして次の華、また次の華……


いつの間にか花火大会はお開きとなっていた。

河川敷から駅に向かってゆるゆると移動する人々らしきものが見える。

いつの間にか彼女が俺のほうを見ていた。

「すごかったな、花火。『夏!!!』って感じだったな」

満面の笑みで言う俺は、彼女からも満面の笑みが返ってくることを確信していた。

でも、その予想は外れた。

彼女はどこか寂しげなほほえみを浮かべて「そうだね」とだけ言った。

「ん、どうかした? 疲れちゃった?」

ずっとベランダにいたから気分でも悪くなったのだろうか。あまりのテンションの低さに心配になる。

「ううん、大丈夫。……ねえ、今、何が聞こえる?」

彼女は唐突にそう質問してきた。

何が聞こえる、と聞かれても、さっきまでは花火の音や、河川敷の人のざわめきが聞こえていたけれど。

「何って……特に何も聞こえないけど」

「はずれ」

彼女はもう表情に浮かぶ寂しさを隠そうともしなかった。

「ね、よく聞いて。聞こえるでしょ、虫の声……鈴虫かな、たぶん」

そういわれて初めて気が付いた。

どこからか、リーン、リーンと物静かな声が確かに聞こえてくる。

「夏はね、もう終わりみたい」

彼女はベランダのパイプ椅子から立ち上がり、部屋に戻った。

そのまま振り返りもせずに、玄関まで歩いていく。

俺は追いかけるしかできなかった。

彼女が下駄を履く。

「さよなら」

俺はあわてて彼女の腕を掴み、そのまま強引に唇を塞いだ。


1分……2分くらいか……俺は彼女から離れた。

「ごめん……でも、好きなんだ」

言い訳みたいに呟く俺に、彼女は背を向けたまま言った。

「ありがとう、君が誘ってくれた通り、本当にいい夏の思い出になった」

そして玄関のドアを開ける。

「でも、もう、秋になっちゃったから」

ドアが閉まる。

『さよなら』

彼女の声が聞こえたような気がした。





投稿日時:2013年08月29日 03:31 頃

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