最後の曲
*
「お邪魔しましたー」
「はーい。ありがとうございましたー」
汚れた手をウェスで拭いながら玄関先で頭を下げる作業員のお兄さんを見送って、さっそくお風呂のスイッチを入れる。
この家に引っ越して早二か月、今日ようやくガスが開通した。
新居はかなりの期間入居者がおらず、ガス栓を開ける前に入居者立会いのもとガス管の点検をしないといけなかった。
勿論不動産屋には、入居に合わせてガスが使えるように日取りの調整をお願いしていたのだが、年末に重なって業者との折り合いがつかず、結果こんなに遅くなってしまったのだ。
ガスが開通しないと、ガスコンロや給湯器は使えない。
料理は文明の利器・レンジに頼ることができても、お風呂はガスが通じないとどうにもならない。
この冬の寒い時期、お風呂に入れないというのはかなり不便だった。
衛生面からしてお風呂に入らないわけにはいかないから、近所の銭湯やスポーツジムのシャワールームを利用することで凌いでいたものの、やはり誰の目も気にせず湯船に浸かり、一日の疲れを洗い流せる自宅のお風呂に勝るものはない。
まだ一日の終わりというには相当早い時間ではあったが、待ちに待ったこの時を迎え、私は上機嫌で着替えやタオルを準備した。
♪タラランタラランタラランラーン 「お風呂が沸きました」
私の手が止まる。
この曲。
不意に、寒い冬の浴室から、暑い夏の舞台に変わる。
小学校六年生、ピアノコンサート。
**
2歳から通っていたピアノ教室。
小学生は夏と春の年に二回、成果発表のコンサートがあった。
いわゆる発表会だが、このピアノ教室には将来演奏家などを目指す子も通っていたりして、そういう子は何十万もするドレスに身を包み、個人レッスンの先生をつけてまで本気でコンサートに取り組んでいた。
無論「そういう子もいる」というだけで、ほとんどは一般家庭の普通の子供だったが、コンサートへ向けての雰囲気は「ピアノ教室の発表会」のレベルを超えて厳しく、また実際に出される演目のレベルも比較的高かったように思う。
私は中学受験のため、年内いっぱいでピアノ教室を休むことにしていた。
だから春のコンサートは出られない。
夏のコンサートが、私の最後のコンサートとなる。
コンサートで発表するのは、課題曲一曲と自由曲一曲。
課題曲は先生が決める曲で、同じレベルの子は同じ曲を弾く。どの子がどのレベルに属しているのかが一目瞭然で、また同じレベルの中でも上手い下手が容易にわかってしまうので、負けん気の強い子以外はなんとなく嫌がっていた。
一方の自由曲は、「過去に弾いた曲は選ばない」「他の子と重複しないようにする」「演奏時間が長すぎたり短すぎたりしないようにする(課題曲と同じ~プラス2分程度が目安)」「あまり遊びすぎない(アニメやドラマの主題歌などはNG)」などの暗黙の了解はあったものの、大抵の場合は自分が引きたい曲を好きに選ぶことができるため、皆真剣に選曲をしていた。
勿論私もだ。
特に、今回は10年続けてきたピアノの、一つの節目となるコンサート。
そこで弾く一曲を何にするか。
「そうね、港さんは最後のコンサートになるわけだし、ここはやっぱり“F”から選んだらどうかしら」
先に述べた「暗黙の了解」ほど厳密なルールではないものの、自由曲はほとんどクラシックの定番曲をそろえた『全音ピアノピース』から選ばれることになっていた。
全音ピアノピースには難易度が設定されており、優しい“A”から難しい“F”までの6段階がある。
あまりピアノに詳しくない方のために具体例を挙げると、『エリーゼのために』が“B”、『剣の舞』が“C”といった感じだ。
一年前、5年生の夏のコンサートでは、ショパンの『ノクターン』を弾いた。
半年前、5年生の春のコンサートでは、リストの『ラ・カンパネラ』を弾いた。
どちらも難易度“E”の曲である。
6年に上がった今年は“F”……最低でも“E”の曲の中から選ぶのが当たり前だと思われていた。
ピアノピース一覧のコピーを差し出して、先生がこちらを見つめる。
“F”の曲にはピンクで、“E”の曲には黄色でラインが引かれている。
先生の目は言う、「期待している」と。
私は、少しだけ申し訳なく思いながら、鞄から一冊のスコアを取り出した。
「今年はこれを弾きたいんです」
先生が息をのんだ。
***
そのピアノ教室では、小学生はソロレッスンとアンサンブルレッスンの二つがあった。
ソロはそれぞれの得手を伸ばしたり不得手を克服したりする個人レッスンで、歌で言えば独唱にあたる。
コンサートの曲を見てもらうのはソロレッスンの時間だ。
一方、ハーモニーを重視し、みんなで演奏することを学ぶアンサンブルはグループレッスンで、一人1パートを担当して1曲を演奏する、歌で言えば合唱のようなもの。
アンサンブルのクラスメイトは一緒に演奏する仲間であったが、全員同じレベルの子なので、必然的にライバルでもあった。
その年のアンサンブル上級クラスには12人の生徒がいて、私はその中で上から2番目と評価されており、教室を担う存在として、1番目の子と常に比較されながら、もっとうまくなることを期待されていた。
たった一人、私より上と目されていたAは音楽のサラブレッド。
お父様は世界的なピアニスト、お母様もまた有名なヴァイオリニストで、本人も小学生にして既に何度か世界的な舞台を体験している。
そのお教室のほかにも個人レッスンをつけており、ピアノのために学校行事を休むのをご両親が当たり前としていたような子だった。
他の生徒は皆「Aちゃんは特別」と思っていたし、A自身も「私は特別」と思っていた。
クラスの集合写真で、中央ではにかんでいるのはAでなくてはならなかったし、先生に花束を贈呈するのもAでなくてはならなかった。
高飛車で自信家、絵にかいたような我儘お嬢様であったAがそれでも皆から一目置かれていたのは、小学生でさえわかる音楽の才能をAが持っていたからであり、その才能を磨くための努力をAが惜しまなかったからである。
Aは、何かというと私をライバル視してきた。
私とAは教室でのツートップということで、何かと比較されていたので、Aが私を意識するのは仕方のないことではあった。
先に説明した通り、Aは音楽家の家に生まれ、音楽の道を志しており、両親もまたすべて音楽を中心にAを育てていた。
学校の運動会とピアノコンクールが重なれば、当然コンクールを優先させて運動会を休ませる。
遠足で一日遠出をするとなれば、「その日のレッスンができなくなるから」と遠足先の動物園までお手伝いさんが車で送り迎えをする。
それが、ごく一部の保護者には気に入らなかったらしい。
受験勉強をしている私は、当然学業の成績は良い。
Aも決して不出来というわけではなかったが、「音楽しかできないA」「音楽も勉強も優秀な私」という意地の悪い比較をされたこともあった。
ピアノの腕前では私はAの足元にも及ばない。ツートップと言えども、Aと私の間には言葉では表せないほどの隔たりがあった。
無論、その腕前の差を一番知っていたのは、ほかならぬAだ。
大人たちの取るに足らない悪口など、ピアノの前に座ってしまえば何の意味もなさないことは明らかだった。
それでも、Aが私を無視することができなかったのは、やはり小学生という幼さゆえだったのだと今になって思う。
ピアノが上手い子は、もう一人いた。
5年生から同じクラスで学ぶようになったBである。
Bは、Aとは正反対。
ピアノを始めたのも3年生と遅く、一般的な家庭の子で、学校のお友達のピアノレッスンについて行って自分もやりたいと思って始めたという普通の子。
しかしやり始めたらピアノがとても面白く、寝ても覚めてもピアノのことしか考えられなくなってしまったのだという。
そして、真剣にピアニストになりたい、と両親に相談し、両親がお教室の先生に相談した。
結果、実力は少し足りなかったが、将来の進学のために、と5年生の初めに私たちのクラスに入ってきた。
最初はクラスの誰よりも下手だったが、毎日ものすごく練習したのだろう、どんどん上手になっていき、6年の頭にはクラスで3番目と言われるまでになっていた。
「3番目のB」の驚異の成長率を逆手にとって、先生はAや私を煽った。
この時期、先生が私達に盛んに言った言葉は「Bに抜かれちゃうわよ」
でも、私はわかっていた。
もうすでに、Bのほうがうまいこと。
練習量も違う。真面目さも情熱も違う。
始めた時期が早いから、というだけで、Bよりうまい、なんて威張ることはできなかった。
Aも、Bも、立場も思いも違うけれど、それぞれ本気でピアニストを目指していて、真剣にピアノと向き合っている。
一方の私は、ピアニストになりたいと思ったこともなかった。
それどころか、このころはピアノが嫌いにすらなりかけていた。
上級の曲になってくると、一オクターブ離れた音を同時にひくようなスコアが頻出する。
手が小さかった私は、どんなに指を伸ばしても、ぎりぎり抑えることができるところまでしかできなかった。
ff(非常に強く)の指示がある和音でも、ようやく小指の先でひっかけるような鍵盤は情けない音しか鳴らさない。
先生に「強く! もっと強く! ffって書いてあるのが見えないの!?」と叱られるたびに、短い自分の指を恨んだ。
自由曲では、比較的オクターブが出てこない曲を必死で選曲した。
アレンジが許される場合は、オクターブの代わりにトリルやグリッサンドのような技法を取り入れたり、譜面を分散オクターブやアルペジオに変えたりすることで、自分でも弾けるように変えた。
寧ろ曲としては難易度が高まることもあり、その要望は比較的受け入れられた。
しかし、それがごまかしに過ぎないことは、自分自身が一番よくわかっていた。
皆と同じペースで、上へ、上へと進んでいくのは、私にはもう無理なんだろうな。
周りの大人たちは、AやBが私のライバルだと言う。
だけど、私は、そんな烏滸がましいこと、とても主張できなかった。
そしてなにより。
私にも「なりたいもの」があった。
AやBがピアニストになりたい、と思って、生活のほとんどすべてをピアノに費やしているように、私にも「これにすべての時間を使いたい」と思うものがあった。
その夢をかなえるには、いろいろな人と触れ合う必要がある。
6年間一緒に過ごした小学校の友達と中学の3年間を過ごすより、地域も立場もばらばらの子が集まる私立中学を目指していたのも、実はそのためだった。
もっといろいろな人と知り合いたい。
もっといろいろなものを見たい。
私の夢をかなえるために、私立の中学に行く。
ピアノは、ずっと続けてきた、大切な私の一部だ。
でも、私にとって、ピアノは「将来の夢」じゃない。
「ピアノ」を捨てるんじゃない、「夢」を叶えたいだけなんだ。
**
「どうして、この曲なの」
先生の声は震えていた。
私が取り出した楽譜は『人形の夢と目覚め』。
設定された難易度は“A”。
就学前からピアノを習っている子からすれば、難易度“A”は幼稚園か低学年相当だ。
とても、前年に“E”の曲を出した人が出す演目ではない。
「ねぇ、港さん、受験勉強が忙しいのはわかるけど、この曲は簡単すぎるわ。勉強に時間を使いたいって気持ちはわかるけど、せめて“E”……いえ、“D”くらいの曲は弾かないと」
動揺が伝わってくる。
わずか半年前、まだ無理だと止めた難曲『ラ・カンパネラ』を無理やり自由曲に設定し、意固地になって仕上げてきた。
今日だって、難しい練習曲を一つ合格にした。次の曲の予習もしてきていて、難しい曲への意欲がなくなったわけじゃないはず。
なのに、何故この曲?
「この曲は簡単だと私も思います」
「そうでしょう? この曲は、難しい技法も必要ないし、曲調の変化もないし、単純な曲です」
先生は我が意を得たり、という顔で頷いた。
そして、子供に言い聞かせるように(実際私は子供なのだけれど)、言った。
「あのね、Aさんは、今年は『水の戯れ』に挑戦するって言ってたわ。Bちゃんだって、難易度“E”の『月光』を弾きたいって言ってきてるのよ。二人とも、『港さんはどんな難しい曲を弾くの?』って気にしていた……あなたがこんな簡単な曲出したら、皆がっかりすると思うわ」
ちょっと落ち着いたのか、早口が収まっている。
「難しい曲を練習する時間がないというなら、少し簡単な曲にしてもいいと思います。でもこの曲は、簡単すぎるんじゃないかしら」
「先生」
私は、先生の目を見返して言った。
「この曲は、難しいです」
難しい技法は必要ない、難易度“A”の曲。
しかし、それゆえに、譜面通りにひくだけでは単純で退屈になりがちだ。
3分くらいの短い曲。すぐに終わってしまう曲。
その中に、明確なストーリーがある。
第一楽章、人形の夢。
まどろむような、スローテンポの優しいメロディ。
心地よい流れるような三拍子の旋律は、まるで子守唄のようだ。
第二楽章、人形の目覚め。
第一楽章からうって変わって、明るい軽い四拍子の旋律に。
リズミカルでクリアな音階は、ゆったりとした夢の世界とはっきりとした現実の世界の橋渡しだ。
第三楽章、人形の踊り。
第二楽章からさらにテンポアップし、リズミカルに転げるような音楽は、初めて聞く人にもダンスのステップを思わせる。
目覚めた人形が楽しく踊る、明るくてかわいい、一番のヤマ場だ。
「技巧的なことを言ったら、確かに簡単な曲です。でも、短いあっさりした曲だから、ストーリーを実感してもらえるように弾くのは難しいと思います」
簡単な曲を譜面通りに弾く、そんなの簡単で当たり前だ。
曲を、弾きこむ。
自分のものにする。
曲に、魂を吹き込む。
目の前に、踊っている人形を浮かび上がらせてみせる。
10年間やってきたこと全てをぶつけて、「さすが港さんの演奏ね」と言わせてみせる。
好きな曲を、みんなにも伝わるように弾いてみせる。
AやBと競って難しい曲を出すことなんて、今の私は求めていない。
私が求めるのは、AやBに、そして私自身に、私の想いを伝えるための曲。
そして、それだけのことをするなら。
この曲だって十分「難しい」曲のはずだ。
「私は、この曲が好きです。
今は皆、優しいメロディに揺られながら、心地いい夢を見ているところで、そこから少しずつ目覚めて、最後には幸せなダンスを踊るんです。
私は受験を頑張るし、AちゃんやBちゃんはピアニストになるために頑張ってる。
……ガッカリなんて、させません。
目覚めようとしている皆への、私への応援歌として、この曲を弾きたいんです」
*
着ているものを脱ぎ捨てて、かけ湯もせずに湯船に飛び込む。
温かいお湯が、私のすべてを包んでくれた。
まるで夢の中にいるような心地よさ。
第一楽章、人形の夢。
第二楽章、人形の目覚め。
第三楽章、人形の踊り。
「お風呂が沸きました」のメロディに採用されていたのは、第二楽章「人形の目覚め」の冒頭のところだ。
夢を見ていた人形が、ゆっくりと目覚めていく様子を表している。
温かいお湯につかりながら、第二楽章を口ずさむ。
この曲は、とても短い。
すぐに、第二楽章の終わりに差し掛かる。
私はもう一度、第二楽章の頭に戻る。
繰り返し、繰り返し。
風の噂によると、Bは夢叶いピアニストとなり、忙しい毎日を送っているそうだ。
Aはなんとファッションに目覚め、あれほど夢中だったピアノの道にあっさりと別れを告げ、今ではどこぞの有名ブランドのデザイナーとして知る人ぞ知る大活躍をしているらしい。
素敵な夢を見ていた二人。
今は二人とも、夢から覚めて、楽しいダンスを踊っている。
……私は?
素敵な夢を見るお人形。
だけど、目覚めたらもっと素敵なダンスが待っている。
この曲の、そんなところが好きだった。
……あぁ、忘れていたなぁ、そんなこと。
あのころの夢、実は今でも夢であり続けている。
でも、いつの間にか、「かなうはずのない夢」のように、遠く眺めるだけの存在になってしまっていた。
ピアノから「小さい手」を理由に逃げ出したように。
……何度目かの、第二楽章の終わりに差し掛かる。
第二楽章と第三楽章の間には、本当はリピートもダカーポもない。
「よし」
一度湯船に顔をつけて、強く決意する。
歌が、第三楽章のメロディに変わった。
投稿日時:2013年02月23日 04:06
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