25年来の謎が解けるとき


バブル崩壊以降景気が悪くなり、職を失う人や給料の上がらない人が多発する一方で、物価や税金は上がり、人々の暮らしには余裕がなくなってきた。自分の生活を守ることで精いっぱいになると、人は思いやりを忘れ、自分本位になる。自分の権利ばかりを主張し、少しの不利益も許さない、一昔前なら言いがかりで処理されたようなことを真顔で主張し、相手の立場に付け込んで無理を通そうと画策する、そんな人種をモンスター○○、と呼ぶようになって久しい。このやっかいな怪物どもは、相手が自分より弱い立場と判断すればさっさと人間の皮を脱ぎ捨て、大声を上げ始める。


奴らの被害者になりやすい職業ベスト3を挙げるとなれば、殿村の職業は間違いなくランクインするだろう。今日もまた、モンスターペアレンツ科受け持ち児童の親御さん属白石君のお母さんから電話で激しいクレームを受けたところだ。

児童たちが十歳になる四年生、殿村の勤める小学校ではこの学年を「大人への節目」の年と位置づけ、これまでの人生を振り返らせたり、将来への展望を語らせたりということをしてきた。一月には成人の日に合わせて「二分の一成人式」という行事を開き、一年間の活動の総括とする。この一環として、今までも「自分史アルバム」や「ぼく/わたしが産まれたときの喜びの声」などの授業をしてきた。そして今日は「先祖を知ろう!」と題し、我々がどのようにして苗字を持つようになったか、どのようにして苗字を選んだのかなどを説明し、最後に「来週までに自分の苗字のルーツを調べ、作文にする」という宿題を出した。その宿題に対し、白石龍空の母親から「差別やいじめを助長する」とクレームがついたのだ。曰く、自由に選択のできない苗字によって子供たちがランク付けされるかもしれない、日本人と日本人以外では苗字の事情も異なるのに、差別につながる恐れもある、先生は自分の苗字に『殿』なんて立派な字がつくから鈍感なんです、そんなことでうちの龍空がいじめられたら責任を持てるんですか。

「バカヤロウが、自由に選べる名前に『』なんてつけておきながら差別もいじめもあるか」

一気にあおって舌打ちをする。

「まあまあ、今風のお母さんですからね、白石君のところは」

すかさずビールを注ぎながら、同僚の小川が慰める。彼女はまだ二十代半ばの新米教師で、去年白石のクラスを受け持っていた。担任が決まった初日に、未熟な女の担任ではうちの龍空を満足に指導できない、とクレームをもらっている。その時には、校長が学校教育の意義や担任だけでなく全教職員が全児童を見守るという体制などを説明し、担任替えという無茶を頑として拒んだ。

「だいたいアイツのところみたいに変な名前の子供が増えたから、『名前の由来を聞いてこい』ができなくなったんじゃねえか。何が『好きな漫画のキャラからリューク』だよ、バカか。外国人がどうした、うちの学年は外国人どころかハーフもクオーターもいないし、そういう差別がある地域でもないっていうのに」

白石君のお母様の仰ることも一理ある、差別を助長するようなことは控えるべきだ、そんな風に言ってきた校長を思い出し、怒りの炎はますます強く燃え上がった。

「でもそうですよね、名前の由来を調べて来いって私も姉もやったし、一昔前なら当たり前の課題の一つだったのに」

去年同じ苦労にさらされ続けた小川は慰めるように言った。穏やかな彼女の声は殿村の怒りを少しだけ鎮める。

「差別だなんだっていうならな、俺の時なんか家紋を調べて来いって言われたんだぞ。苗字よりよっぽど家の格が出るっていうのに」

「家紋!? 私、家紋って大好きなんです。おしゃれだし面白いし、すごく素敵な課題じゃないですか! 今じゃ殆どみないけど、日本人はもっと家紋を大事にすべきです!」

小川は目をキラキラさせながら身を乗り出してきた……まさかこんなに食いつかれるとは思っておらず、殿村は目を泳がせた。

「殿村先生の家紋はどんなのですか」

案の定小川が聞いてきた。殿村の胸に、二十五年前、十歳のころの記憶がよみがえる。


まだ夏の暑さを残す九月。殿村の通う小学校でも、やはり「二分の一成人式」およびそれに伴う「自分の半生を振り返る」授業が行われていた。一学期の授業を通じて、自分と家族、先祖と子孫、そのようなものに深く関心を抱いた一人の児童が、夏休みの自由研究の題材に「僕の家系図&家紋」を選んだ。女系家系なのか、一族の娘たちの嫁ぎ先がたくさんあり、家系図に掲載された家紋は十を超えた。そのデザインは多岐にわたり、とても面白かった。

それだけならクラスメイトの面白い自由研究、で済む話だったのだが、あまりに児童の食いつきが良かったからなのだろう、9月に予定されていた「名前の由来を調べよう」は「家紋の意味を調べよう」に変わった。自分の家紋の名前とデザイン、そしてどんないわれがあるかを調べて来いと言われたのだ。


まだ昭和の時代、金持ちの家の子や由緒正しい家の子は、家に何かしら家紋付きのものがあった。例えば紋付き袴や仏壇の遺影など、ちょっと探せばすぐに家紋が見つかった。そういう家の家紋はたいてい由緒正しいなんとやら、というエピソードがついてきて、子供たちの興味をそそった。

一方で、そうでない家の子はなかなか家紋を見つけることが出来なかった。殿村の場合は圧倒的な庶民出身であったことに加え、よく言えば先進的で現実的な、悪く言えば伝統や風習にはあまり興味のない親を持っていたため、親に聞いても家紋がわからないという事態に陥った。そして母が言った「そういえば、お墓に彫ってあったわね」。

家族全員でお盆のお参りに行ったのはわずかひと月前のことだ。そのときだってお墓を見たはずなのに、全く覚えていない家紋……どうして今まで自分は、それに興味を持たなかったのだろうか。


既に宿題を終わらせた友達のことを思い出す。

丸に太い位置の字が力強い、一文字の紋。

徳川でもおなじみの、葵の紋。

可愛らしい、後ろ兎の紋。

シンプル差が潔い、井桁の紋。

どれもこれも魅力的な家紋だった。


ものすごい由来やルーツなどなくてもいい、ただなんとなく、ここまでくると自分の家紋をどうしても知りたいという気持ちが強くなっていた。

そこで殿村少年は、電車を乗り継いで先祖の墓へと向かったのだ。スケッチブックとポラロイドカメラを持ち、たった一人で。


電車に揺られて一時間、殿村はようやく墓地にたどり着いた。はやる気持ちを抑えながら、手桶に水を汲む。掃き掃除をしていた小僧さんに挨拶をし、火のついたお線香も貰う。そしてようやく墓の前に立つ。とうとう自分の家紋がわかる。はやる気持ちを抑えながら、そっと墓石を見上げていくと……


丸。

激しく吊り上がった目。

縦長に開かれた口。

目と口の周りの皺。


そこに、しわしわのグレイがいた。


【グレイ】 Greys

主にアメリカなどで多く目撃されている、宇宙人のタイプの一つ。

誘拐事件や政府との陰謀説など、謎も多いミステリアスな存在。


まさか、家紋がグレイだなんて……。

激しくショックを受けた彼は、それでも一枚だけ写真を撮って帰った。

学校へは「家紋は良心に話を聞き、先祖のお墓まで調べたけれどわかりませんでした」と報告した。


「えっ、グレイ? そんな家紋があるんですか?」

話を聞いた小川は目を丸くした。家紋好きの彼女だが、聞いたことがないという。

「あるんだな、それが」

「本当なら一度見てみたいです」

単なる社交辞令としてではなく小川は言う。

「見るか? ……実は今持っている」

「えっ」

あの日一枚だけ撮った写真。皆のカッコいい家紋とは違い、グレイだった自分の家紋。他の子に見せるのは恥ずかしかったから提出をするのはやめたけれども、自分だけが見るなら、それはやはり大切な、自分のルーツを示すもの。

「ウサギや蛇の紋があるんだから、グレイの紋があってもおかしくない、なんて開き直って眺めているうちに、なんだかお守りのように思えてきてな」

定期入れから取り出したぼろぼろの写真を見て、殿村の心に再び炎が燃え上がった。ただし、今度は怒りの炎ではない。強い信念の炎だ。

明日PTA会が開かれる。そこで殿村は、白石母の要望を受けて授業の内容を変更することを報告し、無神経な授業をしたことを謝罪する予定になっていた。しかし今、かつての経験を振り返ってみると、あれは非常に貴重な体験だった。クラスには元華族の子もいれば庶民の(正確に言えばえた非人の)子もいたけれど、家紋や家柄の格差が根深いいじめを呼び覚ますことなどは無かった。むしろみんながそれぞれの出自に誇りを持ち、お互いの立場を尊重するようにさえなった。

ほれ、と写真を小川に手渡しながら、殿村は決意する。明日はモンスター白石母にはっきり言ってやる、そんなことでおたくの龍空をいじめさせなどしません、と。


そんな殿村の隣で写真を受け取った小川は、それをまじまじと眺め、いきなり大笑いした。

「せ、先生……この紋は顔じゃないですよ……『三つ銀杏』、三枚の銀杏の葉っぱです……」

苦しそうに涙を流しながら、小川はグレイの正体を教えてくれた。



(了)




投稿日時:2013年11月01日 22:33

お題/条件:銀杏

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