Re・Birth

「おかしいな、生きてる」

佐和子は思わずつぶやいた。今日は佐和子の86歳の誕生日である。

まさか86歳まで生きられると思っていなかった。

それはただの予感ではない。他の人に言っても信じてもらえるかどうかは分からないが、佐和子には特別な超能力があった。

それは、60年前の自分の夢に出現するというものだ。


子供のころ、1年に一度だけ、不思議な夢を見た。

進学や就職、あるいは恋愛や友情関係など、佐和子の人生に大きな影響を与える悩みがあるときに必ず見る夢。

一人のお婆さんが現れて、こちらの方がいい、こうするべきだ、などとアドバイスをしてくれるのだ。

そのアドバイスは必ずしもその時の佐和子の希望通りではなかったが、長い目で見ると確かに正しかったのだと思えた。

こうして佐和子はアドバイスに従って、順調に人生を過ごしてきた。

ところが、ある時から突然その夢を見なくなった。

気づいたのは26歳の時。

当時付き合っていた恋人にプロポーズされた佐和子は、その日の夜当たり前のようにアドバイスの夢を見ると思っていた。プロポーズというのは間違いなく人生の大きな岐路の一つであると思ったからだ。

ところがその日佐和子が見たのは、大学時代の友達と外国の美術館を回っているという、プロポーズともお婆さんとも全く関係ない夢だった。

それ以来佐和子がお婆さんの夢を見ることはなくなった。


還暦を迎えた佐和子は不思議な夢を見た。

あたりは全くぼやけていて、色も形もはっきりとしない。目の前には一人の赤ん坊がいて、おくるみに包まれてすやすやと眠っている。

その赤ん坊を知ってるような気もしたが、よくわからなかった。

それ以来佐和子は毎年誕生日になると、赤ん坊の夢を見るようになった。赤ん坊は少しずつ大きくなってゆく。それに伴い周りの景色もはっきりするようになってきた。

63歳の誕生日に見た夢、赤ん坊のそばにいる男女の顔を見て佐和子は驚いた。それは忘れもしない、佐和子自身の両親だったからだ。

そして気づいた。子供のころ夢で見ていた不思議なお婆さんは、未来の(つまり今の)佐和子で、お婆さんのアドバイスは他ならぬ未来の自分からのアドバイスだったのだと。


還暦とは一つの生まれ変わりだという。どういう理屈かはわからないが、佐和子も60を過ぎて、一廻り前の自分に語りかける能力を得たようだ。

といっても、際限なく語りかけることができるわけではない。佐和子が若い時の自分に語りかけることができるのは誕生日の1日だけ。そして話しかけるときの自分は、60年前の誕生日からその次の誕生日の1日前までの1年間のうちのどこか1日だけ。

それがわかった佐和子は、必死に昔のことを思い出し、自分の人生にかかわる大きな日を選び、いろいろとアドバイスをしてきた。

親友と喧嘩した時には、自分から謝りなさいと言った。謝ることができずにそのまま縁遠くなってしまったはずの彼女から年賀状が届くようになった。

中学の受験の時には、成績が少し足りなくても後悔しないために、本当に行きたい学校を受験しなさいと言った。あこがれの存在だった学校から同窓会の案内が届くようになった。

高校で初めてできた恋人と気まずくなった時には、あんなくだらない男のことで悩むのは馬鹿馬鹿しい、こちらから振ってやりなさいと言った。ほかにもいろいろ。

昔の自分にアドバイスすることで、人生をやり直すことができる。佐和子の中の後悔は少しずつ消えてゆき、幸せに塗り替えられていった。

ただ、それも佐和子が25歳の時までの話。26歳の佐和子は、その夢を見なかった。だから佐和子は思っていたのだ。私は86歳の誕生日を迎えることが出来ない、だから26歳の時に夢を見ることが無かったのだ、と。


その86歳の誕生日を迎えた佐和子がすることはただ一つ。プロポーズをされたあの日の夢に出現し、26歳の自分に伝えるのだ。

「そのプロポーズを受けてはいけない。数カ月後に出世頭の先輩から告白をされるから、それを受けなさい」と。

長く付き合っていた恋人は、優しい男ではあったが仕事の面ではあまり優秀とは言えず、一生を通して大した出世をしなかった。周りがどんどん出世していく中でろくに給料ももらえず、佐和子はずっとみじめな思いをしていた。3人の子供たちにも苦労をかけたし、旅行やレジャーを楽しむこともなかった。

もし、他の人と結婚していたら。こんな苦労をすることはなかった。あんな思いをしなくて済んだ。佐和子の中でこの結婚は、いつの間にかもっともやり直したいことの一つになっていた。


眠りにつくと、すぐに靄につつまれ、気がつくと佐和子はひとりの女性の後ろに立っていた。26歳の佐和子だ。

佐和子はかつての自分に向かって話しかけた。

「あなたが今日あの人からされたプロポーズのことだけどね」

すると26歳の佐和子は振り向いた。手には包丁を握り、鬼のような形相をしている。

「私ね、今日、大好きな人からプロポーズされたの。もちろん受けるつもり。あなたはそれをとめに来たんでしょう?」

彼女は包丁を構える。

「いつもいつも私の人生に介入して、もうこりごり。これは私の人生、あなたの人生じゃないの。もう我慢できない……」

そう一気に言うと、止める間もなく彼女は突進してきた。

胸に痛みが広がる……。


飛び起きると窓の外はまだ暗かった。忘れていた記憶がよみがえる。夢のお婆さんはいつの間にか出なくなったのではない。佐和子自身が殺したのだ。

「そうね、それはあなたの人生よね」

かすかな胸の痛みを感じながら佐和子ひとり呟く。

「そして、これは私の人生」

誰かを殺したり殺されたりする夢は、新しい人生のスタートを意味するという。

佐和子は蒲団の上で伸びをする。

86歳、この年になって初めて、未来の自分でも過去の自分でもない、今の自分のために生きられるような気がした。







投稿日時:2013年11月17日 00:11

お題/条件:主人公を老人にし、老いをひとつのテーマにした作品

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