銭湯

一度目は冬。

関東でも珍しく雪が積もるくらいに降っていた、寒い夜のこと。

冷えた手をこすりながら、早くお湯に浸かって体を温めて、お風呂を出たらこたつに入ってキューっと冷たいビールの一杯でも飲んで、などと考えていた時だった。

暗い道を、一人の人が歩いてきた。

「あの、すみません」

「は、はい、なんでしょう」

「たしかこのあたりに……お風呂屋さんがあったと思うのですが」

「お風呂屋さん?」

「あ、銭湯……」

「『おふろ☆キング』なら、この道をずっとまっすぐ行って、最初の角を右に曲がればすぐですよ」

「ありがとうございます」

道に迷ったらしい。このあたりは住宅街だから、細い道が複雑に走っていて、かなりわかりにくいのだ。

確かにこんな寒い日なら、銭湯の広い湯船にゆったり手足を伸ばして浸かりたくもなる。

その様子を想像して、思わず足を速めた。

その時は、それだけだった。


二度目は春。

卒業式を終えた満開の桜が、春先の大雨に打たれて散ってしまった、薄暗い夕方のこと。

もう少しすれば満開の桜の入学式だったのに、惜しいな、と思いながら道を歩いていると、脇から一人の人が歩いてきた。

「あの、すみません」

「は、はい、なんでしょう」

「たしかこのあたりに……お風呂屋さんがあったと思うのですが」

「お風呂屋さん?」

ふと頭に引っかかるものがあった。

「『おふろ☆キング』なら、この道をずっとまっすぐ行って、最初の角を右に曲がればすぐですよ」

「ありがとうございます」

会話を終えて歩き出す。

少し行って交差点を曲がろうとして気が付いた。

確か、二か月ほど前、あの雪の日に、同じようなことがなかったか……?

思わず振り向いたが、相手も角を曲がってしまったのか、そこにはただ桜の花びらの敷き詰められた道が続いているだけだった。


三度目は初夏。

気温は熱いのに梅雨の名残か雨も降り続いており、じめじめべたべた気持ちが悪い。

さっさとシャワーを浴びてすっきりしたい、そう思いながら足を速めるうちに、見覚えのある道に差し掛かった。

そして歩いてくる一人の人。

「あの、すみません」

今度はすぐに記憶の糸がつながった。

間違いない。春の雨の日に、そして冬の雪の日に会ったあの人だ。

「……なんでしょう」

「たしかこのあたりに……お風呂屋さんがあったと思うのですが」

「『おふろ☆キング』なら、この道をずっとまっすぐ行って、最初の角を右に曲がればすぐですよ」

「ありがとうございます」

繰り返しも三度目となる会話を終えると、相手は歩き出す。

わずかに思い悩んで、思い切って振り返る。

「あ、あの……!」

だが、既に人影はなかった。







「ということがあってね」

彼女は乗り出すようにして話を続ける。

「あれ、絶対同じ人だったと思うんだ! こんなことあるんだってびっくりしちゃって!」

興奮冷めやらぬ様子の彼女に、俺はため息をつく。

「そりゃ、住宅街で同じくらいの時間帯に同じ道なら、いつもその時間に帰宅しているリーマンとかなんじゃないのか」

「それはそうかもしれないけど、でも、こんな偶然、ちょっと怖くない?」

「そんなことより」

まだ何か言いたそうな彼女の言葉をさえぎって、俺はわざとらしくため息をついた。

「駅から徒歩3分の銭湯に行くのに、毎回迷うお前のほうがよっぽど怖い」





投稿日時: 2013年04月02日23:35

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