僕と彼女と“彼女”の話


今から話すことは、人によっては眉をひそめるような内容かもしれない。

モラルがないとか、彼女が可哀想だとか、そんな感想を抱くかもしれない。

だから、最初に言っておく。

僕は、彼女を愛している。


彼女と出会ったのは、もう3年も前のこと。

買い物の途中で偶然出会った彼女の愛らしさに、僕は一目で虜になってしまった。

ご都合主義というわけでもないのだが、彼女も一目で僕を気に入ってくれたらしい。

まだ幼さを残す彼女は当然のように世間知らずで

「うちに来るか?」

僕の誘いに無邪気な顔で乗ってきた。

当然そのチャンスを見逃すわけがない。

なんと次の日から僕の家で同居を始めた。


彼女が家に来てから、僕の生活は明るくなった。

仕事場と家を往復するだけの毎日に、彼女という花が彩りを添えた。

「ただいま」と家に帰った時に、走って出迎えてくれる存在がある。

それだけで仕事の疲れが一気に吹き飛んだ。


今までなら一人虚しくつまんでいたコンビニ弁当。

「それちょうだい」

「だめ、これは僕の」

「けちー」

たいして美味くもない冷えた唐揚げも、なぜかおいしく感じられた。


休みの日、朝起きてこない僕の布団に潜り込んで甘えてくる彼女。

「ねぇ起きて。せっかくのお休みなんだから遊ぼうよ」

日頃の寝不足も祟って起きたくない僕。

「んー、あと5分……」

寝ぼけ眼でアラームをかける。

30分くらいたってからアラームが鳴る。

仕方なく目を覚ました僕が最初に見るのは、傍らで寝息を立てる彼女の姿。


彼女は、僕の全てで、僕の宝物で。

僕は彼女を世界一愛している。



あれから3年。

「ただいま」

「おかえりー」

すり寄ってきたのは彼女ではない。

先日知り合った……別の“彼女”。

「さみしかったよー」

出会ったころの幼い彼女を彷彿とさせる“彼女”に、僕はもう夢中だ。

若さを感じさせるしなやかな体、恥ずかしげもなく甘えてくる無邪気さ、僕を好きだと言って憚らない明るさ……全て彼女にはないものだ。

「んー、今日も可愛いね」

全力で絡みついてくる“彼女”に、思わず僕の顔も緩む。

「ね、遊ぼ? 今日はいつもより遅いから、いつもよりいっぱい我慢してたんだよ!」

「ちょっと待って、今着替えるからさ」

「えー、着替えとか後でいいから遊ぼうよ!」

「待てって、スーツが皺になるから!」

「スーツとあたしとどっちが大事なのー」

「そりゃ当然……オ・マ・エ」

「やーん」

そんな馬鹿なことを言いながら会社帰りの姿のままいちゃいちゃしていたら……刺すような視線を感じた。


も、もしや……


おそるおそる振り返ると、そこに彼女がいた。


半開きの扉から顔だけを突き出すようにしてこちらを見ている。

瞳孔がすぅっ、と細くなり、まるで蛇のようだ。

や、ヤバイ……。


このところ、彼女はずっと機嫌が悪い。

理由はもちろん“彼女”のことだ。

今僕の家には、僕と彼女と“彼女”が住んでいる。

知らない女がいきなり家に来て、しかも僕と仲良くしている。

彼女にしてみれば面白いはずがない。


当然そんなことは僕も承知しているから、彼女の前では“彼女”といちゃつかないようにしていたのだが……


「はは、い、いたの?」

冷や汗を流しながら問いかける僕を無視して、彼女は別の部屋へ行ってしまった。

まずいなぁ。

僕の腕の中できょとんとしている“彼女”をひきはがす。

「ごめんなー。ちょっとあいつの機嫌取ってくるから」

「えー? 彼女なんか放っておけばいいのに」

“彼女”もちょっとだけ顔をしかめる。

こちらとしても、僕に誘われて家にきたら別の女が出迎えたのだから面白いはずがない。

「そういうわけにはいかないんだって……愛してるよ」

少しむくれた“彼女”の頭を撫でて、僕は彼女のいる部屋へ向かった。


「おーい」

恐る恐る声をかける。

彼女は窓のそばにたたずんでいた。

「そう怒るなって」

反応はない。

「機嫌直せよ」

無視。

「こっち来いって」

無視。

「そうそう、今日お前の好きなおやつが安売りしてたからいっぱい買ってきたんだぜ。ほら」

鞄から彼女の好物を取り出して一歩近づく。


と、彼女が恐ろしい形相で振り返った。

「うるさいわね! おやつとかどうでもいいの! ほっといて!!」

「そ、そんな言い方……」

「馬鹿! 浮気者! 大嫌い!!! どっか行きなさいよ!!!」

彼女は僕をグーで殴ると、横をすり抜けて出て行ってしまった。

……ほら、可愛くない。

本当は僕のことが好きなくせに、僕に甘えたいくせに、そうやって意地を張るんだ。

「わかった、僕ももう知らないからな!」

意地を張った彼女には何を言っても無駄だ。

僕は逆切れにも近い捨て台詞をはいて、寝室に戻った。


着替えて、ベッドに潜り込む。

同僚から借りた漫画をぺらぺらとめくり、欠伸をかみ殺す。

薄い漫画はすぐに読み終わってしまい、部屋の電気を消す。

暗くすると眠くなるが、なんとか瞼を押し戻す。


……来た。

足元に気配を感じる。

「ねぇ……怒ってる?」

彼女が静かに言う。

僕は何も答えない。

意地悪しているわけじゃない。ここで答えると、彼女はまた意地を張ってしまうと、経験で分っているんだ。

彼女が布団にもぐりこんでくる。僕の体に温かいものが触れる。

「ねぇ……」

彼女が僕の腕に頭を乗せてくる。ここまでくれば、もう大丈夫だ。

「怒ってない」

「よかった」

「僕こそごめん、無神経だった」

「そうよ……私と言うものがありながら……」

彼女はそういうが、今は怒っていない。布団の中で、僕を独り占めしているから。

「あのさ……こういうことがあったからちゃんと言っておくけどさ……」

彼女を優しく撫でながら、僕は言った。

「新しい子を家に連れてきたからって、お前を嫌いになったわけじゃないし、お前のことはこれまでも、これからも、一番愛してるんだからな」

彼女は黙って聞いている。

「僕はお前のおかげで、家に帰る幸せを知ることが出来た。家族っていいなと思うことが出来た。お前がいなかったら、僕はどうなっていたかわからない……本当に感謝してる」

彼女はなにも反応しない。

でも、聞いているのは間違いなかった。

「それと同じ幸せを……迎え入れてくれる家がある幸せを、あの子にも与えたかったんだ。今はまだあの子のこと良くわからないかもしれないけど、慣れたらきっとお前のいい友達になってくれると思うし。僕があの子に取られるなんて心配はないからさ、どうか……“彼女”と仲良くしてくれないか?」


「冗談じゃないわ」

彼女は突然立ち上がると、布団から出て自分のケージに戻ってしまった。

僕が“彼女”の名前を読んだのが不満だったようだ。


はぁ……と溜息をつく僕の耳に、彼女と“彼女”が唸り合う声が聞こえてきた。


赤ちゃんの時から僕と暮らしていた先住猫の彼女。

保護活動をしている人から引き取ったばかりの“彼女”。

彼女も大切だが、“彼女”ももう僕の家族だ。

どうにか仲良くしてもらいたいのだが……


「シャー!」「シャー!!」

随分激しい威嚇……これも“彼女”が家に来てからは毎日のことだ。


はぁぁぁ……

僕はさっきよりも深い溜息をつく。

……二匹が仲良くなってくれるのは、まだまだ先のことのようだ。



投稿日時: 2013年05月20日23:57

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