木守柿

駅から十余分程歩くとその寺はある。石段を上がるとすぐ右側に大きな柿の木があって、毎年枝が撓るほどに沢山の実が生る。今年も枝という枝に宝石のような実が生った。

「いよいよ明日ね」

「いよいよだ」

風に揺られて柿の実たちが囁き合う。明日は住職が全ての柿をもいで檀家に配る日だ。

「僕、明日までにもっともっと赤くなる」

「私も、今よりずっと甘くなるわ」

柿の実たちはめいめい息を止めたり笑いあったりした。そうすると色はより赤く、味はより甘く、口当たりはより円やかになるのだ。

そんな仲間の様子をつまらなそうに眺めている柿の実がいた。まだ色も黄で、その実は硬い。様子を見かねた隣の柿の実が、息を止めるのをやめて話しかけた。

「君、明日は待ちに待った日なのに、どうしてそんなつまらなそうな顔をしているの。悪いけど君はとても食べごろとは言えない様子だし、今からでもいっぱい笑って、少しでも美味しくした方が良いんじゃないか」

黄色い柿の実は答えた。

「あなたや皆はそうかもしれないけれど、私は木守柿だから」

「木守柿って何だい」

「私にもはっきりとは分からないのだけれど」

黄色い柿の実は一呼吸おいて続けた。

「ここに残ってママを守る役目と聞いたわ」

「ここに残る」

隣の柿の実は繰り返した。そして目をぱちくりとさせて聞いた。

「明日もここにいるってこと?」

「明日も、明後日も、その先も、ずっとずっとここにいるってこと」

「そうなのか」

「そうなの。私は誰にも食べられないし、だから美味しくなる必要もないのよ」

そういうと黄色い柿はそっぽを向いた。

「さみしくないの」

「さみしいに決まってる。誰かに美味しく食べてもらうことが幸せなのに」

隣の柿はようやく気づいた。黄色い柿はつまらないのではなく、必死に悲しさやさみしさを堪えていたのだということに。

「私も皆と一緒に行きたい。ママは好きだけど、たった一人でママを守り続けるなんて考えられない」

「それなら僕が変わろうか」

「今、なんて」

黄色い柿は信じられないというように目を丸くした。

「変わろうか、木守柿」

「いいの? ここに残ることになるのよ?」

「いいんだ。実をいうと僕は別に食べられても食べられなくてもどっちでも構わない。だったら、食べられたいと思っている君が食べられたほうがいいと思う」

力強く言う隣の柿を見て、黄色い柿は初めて笑顔になった。

「ありがとう。それなら、美味しく食べてもらえるように、急いで熟さなくちゃ。食べてもらえないと思っていたから、すっかり遅れてしまったわ」


次の日、太陽が空のてっぺんを少し過ぎたころ、住職と小僧が連れ立ってやってきて、熟れた柿の実を一つ一つ丁寧にもいでいった。小僧が隣の柿に手を伸ばすと、住職がそれを止めた。

「ああ、その柿は今年の木守柿だから、残しておくように」

「はい、わかりました」

小僧はそのまま、黄色い柿に手をかけた。一晩頑張った柿は、今では少し濃い橙色になり、緊張した面持ちで小僧の手に収まった。

「本当にありがとう。お役目、がんばって」

昨日まで黄色かった橙色の柿が微笑むと、隣の柿も笑い返した。

「うん、頑張るよ。君も美味しく食べてもらえるといいね」

それが、隣の柿にとって、兄弟たちとの最後の会話になった。


隣の柿を残して全ての柿をもいでしまうと、辺りはすっかり寂しくなった。これまでは誰かの笑いあう声が絶えず聞こえていたのに、今では微かに風が枝の間を抜けていく音がするばかり。散歩のおじいさんたちも、学校帰りの子供たちも、もう柿の木に見向きもしない。昨日までは足を留め、たわわに実った柿の実を見上げて楽しそうにしていたのに。

残された柿の実は、木守の役目を引き受けたことを後悔し始めていた。あまりにさみしくて退屈で、笑うこともやめてしまった柿の実は、次第に色褪せてしなびていった。


そんなある日、一羽の椋鳥がやってきた。鳥が来るのは久しぶりだ。仲間がいた頃は毎日のように小鳥がやってきて、早熟な仲間を啄んでいたものだが。

「やあ、久しぶり。すっかり様変わりしたね」

椋鳥は気安い調子で柿の実に話しかけた。

「椋鳥さん、久しぶり。もうここには誰もいないよ、僕以外」

「ふうん、皆もう収穫されたのだね。そして君は木守柿というわけか」

椋鳥は柿の実をじろじろと見た。

「木守柿を知っているの」

「もちろん」

椋鳥は得意げに尾を立てた。

「僕たち小鳥は、冬になる前に木守柿たちに挨拶するのさ。立派な木守柿のいる柿の木には、来年もお世話になるからね」

そうして少し、険しい表情になった。

「でも、正直に言うと、君はあまり良い木守柿ではないようだね」

「椋鳥さん、良い木守柿とはどういう木守柿を言うの。僕は木守柿の役目をよくわかっていない。ただずっとここにいなければいけないということしか知らないんだ」

「それなら教えてあげるよ」

椋鳥は真っ白な胸を膨らませた。

「君たちのママ、柿の木は、たくさんの柿の実を育てて疲れているんだ。美味しい実をたくさんつけるには力が要る。だから、来年また美味しい実をつけられるように、どこかでお休みをしないといけないのさ」

木守柿は静かに聞いている。自分がここまで育つ間に合ったいろいろなことを思い出しながら。強い雨にさらされた日もあった。激しい風に吹きつけられた日もあった。強い日差しに干からびそうになったことも。その全てから柿の実たちを守ってくれたママ。

「木守柿がいる間、柿の木はゆっくり休むことが出来る。木守柿がいないとその柿の木は休むことが出来ない。ゆっくり休めた柿の木は次の年も良い実をつける。休めなかった柿の木は、次の年はあまり良い実をつけることが出来ない」

椋鳥は羽根を大きく広げた。

「それで、良い木守柿ってどういうものなの」

「良い木守柿とは、一人になっても、仲間が大勢いたときと同じように、子供や大人や小鳥や動物の足を留めさせる、魅力的な柿の実のことさ。たくさんの人が集まって笑顔を見せる。たまに鳥やリスなんかが来て木守柿を啄む。そうやってにぎやかに楽しくしていると、木は気持ちよく休むことが出来るのさ」

椋鳥は開いた羽根を閉じた。

「だけど、君はあまり魅力的じゃない。この木の周りに人はいないし、なんだか物悲しい感じだ。これじゃ来年君のママがつける実は、ほろ苦い味がするかもしれない」

「だけど僕、一人でさみしくて」

木守柿がいうと、椋鳥は小さく首を振った。

「違う、違うよ。さみしいからと萎れていてはいけないんだ。周りに人が来てくれるのを待つのではなく、君が人を呼ばないと」

「僕が人を呼ぶ?」

「そう。そして、それができる木守柿が、いい木守柿なんだ」

いつの間にかすっかり陽が沈んでいる。椋鳥は小さくくしゃみをすると

「それじゃ、すっかり寒くなってしまう前に僕は行くよ。次に会うときには、君がいい木守柿になっているといいのだけれど」

と言って、飛び去って行った。


木守柿はすっかり考え込んでしまった。


それから数日後。椋鳥が仲間と一緒に駅のあたりを飛んでいると、どこからか風に乗って甘い香りが届いた。

「どこかの木守柿だ。すごくいい香りがする」

「行こう、行こう」

匂いに誘われるままに飛んでいくと、そこにあの木守柿がいた。他の鳥が啄んだのか、いびつな形になっている。赤く柔らかく熟した実は、みるからに美味しそうだ。木のすぐ脇を散歩中の老夫婦が「あの実もすっかり熟したねえ」などと言いながら通り過ぎていく。

「やあ、すっかり見違えたね」

椋鳥が話しかけると、木守柿は嬉しそうに微笑んだ。

「椋鳥さん、いらっしゃい。よかったら僕を一口食べていってよ」

こうして木守柿は、たくさんの小鳥や小動物たちに一口ずつ味わってもらい、その全員から「こんな美味しい柿は初めてだ」と言われた。そして冬を目前としたある日、とうとうすっかり食べつくされてしまった。

木守のお役目も、ここでお終い。動物たちの笑顔や、そばを通る人たちの笑い声は、ママの柿の木にもちゃんと届いたことだろう。来年はきっと、今年以上に美味しい柿の実がたくさんたくさん生るはずだ。木守柿はとっても幸せだった。 




投稿日時:2013年10月31日 18:43

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