その背中の羽を
「ねぇ、空を飛ぶのってどんな気持ち」
植え込みから見上げてつぶやく。
その声は彼には届かない。
彼は今、必死に鳴いている。
美しく透き通った羽を震わせ、まだ見ぬ妻を呼んでいる。
「風をきって進むのは、やっぱり気持ちいいの」
再び問いかける。
やはり声は届かない。
辺り一面に響き渡るのは、汚らわしい茶色の羽から発せられる喧しい声。
その中で彼の鈴のような声はかきけされて、未来の妻に届かない。
「勿体無いよね、折角それほどの美しい羽と声を持っているのに、誰にも気づいてもらえないなんて」
彼に向ける視線は羨望と嫉妬に溢れている。
もしも僕にそれがあったなら。
「ジジジッ」
耳障りな音を立てて、何かが目の前に落ちて、僕の思考を無遠慮に中断させる。
汚らわしい茶色が限りなく醜い死に様を晒している。
嗚呼、嫌だ。まったく、ここは嫌だ。
無計画な木々に囲まれた狭い空、申し訳程度に葉を茂らせる草花、その根元に佇む力無き僕。
こんなところに留まっていないで、清らかなところへ行けるのに……もしも僕にそれがあったなら。
僕は知っている。
何日もしないうちに、彼もまた同じように無様に地に落ちるということを。
そうしたら、ほら、今まさに目の前で起きているように、厚かましい黒いものたちによってバラバラにされて、どこかへ運び込まれていく。
もしかしたら緑の艶々した頭は残るかもしれない。彼の頭は僕の体よりやや大きくて、色はもっと深い。
残された時間で彼は妻に会えるのだろうか。
会えない気がする。
あれほど美しい彼に相応しい雌が、こんなところに来るだろうか。
今日もまた日が落ちる。
そして僕は夢をみる。
目の前には腹をみせて力なく鳴く彼。
気の早い黒いのが既に周りを取り囲んでいる。
僕は問う。
「ねぇ、空を飛ぶのってどんな気持ち」
彼は答える。
「わからない。考えたこともなかった」
あの美しい声が僕のためだけに発せられる、その事実が僕を昂らせた。
「それなら何を考えているの」
彼は答える。
「この声は、誰かに届くのだろうか、と」
「それなら」
彼の足が動きを止める。
「それなら僕に届いていた、君の声」
彼はまた何か言おうとした。でももう言葉にならない。
彼の羽に手をかける。
彼の緑の頭によく似合う羽。
僕の緑の体にも似合うはずだ。
引き抜く。
彼が慟哭する。
まだ生きていたのか。
良かった、最後にもう一度その声を聞けて。
そこで目が醒める。
彼を知ってから毎日のように見る夢。
僕はもう十回近く彼の断末魔を聞いている。
そういえば今朝は彼の声が聞こえない。
昨日彼がいた場所を見上げる。
いない。
隣の木を見上げる。
そこにもいない。
目線を下げる。
そこに彼がいた。
地に落ちてさえ美しい彼。
急がなければ。
黒いのが彼をバラバラにして連れ去ってしまう。
僕は彼の元へ
その悲鳴が誰のものだったのかはわからない。
常識的に考えれば、あの大きくて無作法なものに踏み潰された僕の声か、失礼にも僕を踏み潰したものの声のどちらかだろう。
だけど、僕には彼の声に聞こえた。
「共に逝こう」
あの伝説の忌まわしい植物のように、僕を誘う彼の声。
だから僕の心臓は止まったんだ。破裂したからではなくて。
「ねぇ、空を飛ぶのってどんな気持ち」
もう何も判断できないはずの目に、横たわる彼の姿をうつして。
僕は最期の問いかけをする。
やっぱり答えは返ってこなかった。
2013年08月01日00:28
※三題噺:カエル、セミ、マンドラゴラ
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