猫説 桃太郎
昔々あるところに桃から生まれた桃太郎という青年がおりました。
桃太郎は村人たちから財宝を奪った悪い鬼たちを退治するため、鬼が島へ行くことにしました。
育ての親であるおじいさんとおばあさんは驚き、心配し、桃太郎を止めようとしましたが、彼の決意はとても固かったので、二人ともあきらめて桃太郎を送り出すことにしました。
旅立ちの朝、おじいさんは桃太郎に一振りの真剣を、おばあさんは心をこめて作った黍団子を渡しました。
二人の気持ちが痛いほど伝わってきて、桃太郎ははらはらと涙しました。
「おじいさん、おばあさん、このことは決して忘れません。私は一日も早く鬼が島の鬼を退治して、必ずや元気な姿で戻ってまいります」
「おう、おう」
おじいさんとおばあさんの目からも涙がこぼれました。
幸せな家族の、別れのときです。
三人は抱き合って泣いていましたが、ふと桃太郎が顔を上げました。
「そういえば、猫はどこにいるのでしょう」
実は、おじいさんたちの家には数年前から一匹の野良猫が住み着いていました。
はじめは鶏でも狙っているのではなかろうかと警戒し追い払っていたおじいさんとおばあさんでしたが、その猫は決して鶏を襲わず、それどころか家にいる鼠を退治してくれたので、いつしか家の猫のようになっていたのです。
桃太郎にとって猫はいい遊び相手で、一番の仲良しだと思っていました。
「さあ、今日は一度も姿を見ていませんねえ」
「桃太郎の旅立ちの日だというのに薄情なものだ」
「猫なんてそんなものですよ。さあ、そろそろ行かないと、早起きが台無しになってしまいます」
「そうですね。では、行ってまいります」
猫にも一言別れを告げたかったのですが、見当たらないものは仕方ありません。
桃太郎は今一度おじいさんとおばあさんに別れを告げ、元気よく歩き出しました。
それを物陰からじっと見つめているものがおりました。猫です。
猫は面白くありませんでした。
なぜなら桃太郎が、自分ひとりでさっさと鬼が島へ行くことを決めてしまったからです。
桃太郎は家の手伝いもし、剣の稽古もし、たくましい若者に育ちましたが、猫からすれば世間知らずのお坊ちゃんです。
自慢の剣も、一度も実戦を経験したことはありません。
それなのに志ばかりは一丁前で、なんだかむずがゆくなるのです。
猫は不機嫌そうに尻尾をぱたり、ぱたりと振りながら考えました。
縄張りの外へ出るのは危険です。鬼と戦うのはもっと危険です。
でも、このままでは、桃太郎はこてんぱんにやられてしまうでしょう。
何せ鬼はとても強く、しかも何頭もいるのです。
猫はあきらめたように立ち上がると、ひとつ大きく伸びをしました。
そして桃太郎の後を追って走り出しました。
しばらく行くと桃太郎の姿が見えてきました。
猫は先回りして、道沿いの木に登りました。
自分を置いて行った罰として、桃太郎が下を通ったら一声鳴いて驚かせてやろうと思ったのです。
ところが、予想外のことが起こりました。
暑い日差しに負けたのか、ぐでんとだらしなく横たわっていた野良犬が、食べ物のにおいにつられてか目ざとく桃太郎にすり寄ったのです。
「桃太郎さん桃太郎さん、お腰につけた黍団子、一つ私にくださいな」
せっかくおばあさんの作ってくれた、大切な大切な黍団子、そんな犬畜生にくれてやるなど言語道断。
猫が木の上で毛を逆立てるも甲斐なく
「やりましょうやりましょう。これから鬼の征伐についていくならやりましょう」
お人よしの桃太郎は犬に黍団子をくれてやりました。
驚いたのは猫です。
大切な団子をくれてやるばかりか、犬を鬼退治のお供にするというのですから、驚かないはずがありません。
なにせ犬ときたら、図体ばかり大きく主人に忠実ではあるものの、どうにもおつむのほうはからきしで、主人に仕込まれた愚にもつかない芸を嬉々として繰り返すくらいしか役に立たないのです。
猫はとても不愉快になって、ばりばりと木の枝をひっかきました。
桃太郎と犬の姿が見えなくなりしばらくすると、猫の気持ちもようやく落ち着きました。
世間知らずの桃太郎だけでなく愚鈍な犬まで加わっては、ますます鬼にとっては格好の獲物、返り討ちに合う姿しか想像できません。
犬に対して気分が悪くなっている場合ではない、ここはひとつ私が大人になって、桃太郎を(ついでに犬も)無事に連れ帰る役目を果たさねば。
空に向かってあくびをし、新鮮な空気を脳と胸に送り込むと、猫はものすごい勢いで走り出しました。
そして難なく桃太郎たちに追いつきました。
ところがそこで猫が見たのは、犬以上にとんでもないものでした。
「桃太郎さん桃太郎さん、お腰につけた黍団子、一つ私にくださいな」
山から下りてきた好奇心旺盛な猿が、桃太郎の腰と顔を交互に見つめてねだっているのです。
あろうことか桃太郎はこれも
「やりましょうやりましょう。これから鬼の征伐についていくならやりましょう」
と言って、猿に黍団子をくれてやりました。
ああ、本当に、なんて世間知らずなお坊ちゃんなのだろう!
黍団子を受け取ってにやにやしている猿を、桃太郎の後ろから犬が今にも噛み殺しそうな勢いでにらんでいます。
犬猿の仲、という言葉があるくらい、犬と猿は仲が悪いのです。
悪知恵ばかりが働く小賢しい猿は、それにわざと気づかないふりをして桃太郎と親しげに並んで歩きます。それでいて、桃太郎には見えないところで、犬に向かって真っ赤なお尻をぺちぺち叩いてみせるのです。
桃太郎の忠実な家来となり下がった犬は文句の一つも言えません。
そんな様子を茂みに隠れてみていた猫は、これはもう自分が出て行ったところでどうにもならないのではないか、と不満そうに鼻をひくつかせるのでした。
二度あることは三度あるといいます。
「桃太郎さん桃太郎さん、お腰につけた黍団子、一つ私にくださいな」
桃太郎の死角で犬と猿がいがみ合う殺伐とした道中に、ますます事態をややこしくしそうな影が現れました。
大空から舞い降りたそれは、美しさと勇敢さを自慢とする雉です。
勇敢といえば聞こえはいいですが、その実単に無鉄砲でええかっこしいだということを猫はちゃんと知っています。
「やりましょうやりましょう。これから鬼の征伐についていくならやりましょう」
それなのに桃太郎はこれも悩むことなく、袋から黍団子を取り出しました。
「忠実な犬、賢い猿、勇敢な雉。鬼退治にはこれ以上の仲間はあるまい。このような素晴らしい仲間に巡り合えて、私はとても運がいい」
美味しそうに黍団子を啄む雉を見ながら、桃太郎は満足げにつぶやきました。
「そうですとも! 我ら三匹の力を合わせれば向かうところ敵なしです!」
お調子者の猿がすぐに桃太郎に合わせます。
「なあに、鬼ごとき、この鋭い牙ですぐに息の根を止めてやりますよ!」
主人にいいところを見せたい犬もぐるぐる回りながら意気込みます。
「鋭いというなら私の嘴。上空から滑降して、あれよあれよという間にその目をつぶしてやりましょう」
雉も優雅に羽を広げながら調子よく続けます。
「向かうところ敵なし、明日はいよいよ鬼が島だ! 皆の者、よろしく頼むぞ!」
「「「オー!!!」」」
すっかりその気になった一行は、ろくに作戦も練らずに眠ってしまいました。
夜中。
雲のかかった弱い月明かりを頼りに、一切れの板が鬼が島へ流れ着きました。
もはや桃太郎一行は話にならない、そう判断した猫は単身鬼が島へ乗り込んだのです。
鬼が島では鬼たちが車座で不機嫌そうにしていました。
「もっといい酒はないのか」
「もっといい女はいないのか」
「せっかくの満月だというのに、こうも分厚く雲がかかっては興ざめだ」
「なにやら酒が進むような愉快なことはないものか」
鬼たちの前には酒樽がありましたが、互いの顔もはっきりしないような夜に酒が進みません。
猫は真ん中に進み出ました。
「おや、皆様、そんな不景気な顔でどうしたのです」
「なんだお前は」
鬼たちは見たことのない小さな生き物に驚き、問いただしました。
「私は猫、月の化身。今宵のように厚い雲のかかる日は、私がこうしてこっそり抜け出し下界を楽しんでいるのです」
「月の化身というくせに少しも月らしくない。色味はむしろすっぽんだ。お前のどこが月の化身だというのか」
「なんたる無礼。なんたる侮辱。そうまでいうならこの瞳をご覧じろ」
鬼たちはつんと澄ました猫の怪しい魅力に取りつかれ、一人ずつその瞳を覗き込みました。
やがて
「やあ驚いた、目の中に金色の丸い月がある」
「なんとまあ、空にある時よりなお美しい」
「それも二つも、左と右と」
鬼たちはまんまと猫の言葉に騙されました。
「これは素晴らしい、我々の宴会にお月様がいらしてくださった」
「今日は飲もう、夜通し飲もう」
「とっておきのいい酒を出してこい」
「記念じゃ記念、女子供にも飲ませてやれ」
先ほどまでの辛気臭さが一転大騒ぎになりました。
こうして鬼たちは島にとってあった酒という酒を一晩で飲み干してしまいました。
翌日。
意気揚々と桃太郎たちが乗り込んだ先で見たものは、すっかり酔いつぶれて前後不覚になった鬼たちでした。
桃太郎たちは「無益な殺生はすまい」と鬼たちを縄で縛り上げ、二度と悪さをしないことを誓わせると、鬼たちが人間から奪った宝を奪い返して意気揚々と引きあげました。
「おじいさん、おばあさん、ただいま帰りました」
桃太郎の帰りを今か今かと待っていた二人は、元気な息子の姿を見て飛び上がらんばかりに喜びました。
そして荷車いっぱいに積んだ金銀財宝を目の当たりにし、喜びは一層大きくなりました。
「おお、すごいねえ、すごいねえ。とても誇らしいよ桃太郎」
「でも一番嬉しいのは、お前が無事に帰ってきてくれたことだよ。おかえり、桃太郎」
二人に涙ながらに迎えられ、桃太郎もまたうれし涙を流しました。
そして照れくささを隠すように、三匹のお供に黍団子をまた作ってやってほしいと告げました。
「はいはい、今すぐ作りますから、腰かけてお待ちなさいな」
おばあさんが縁側に敷いてくれた座布団の上に腰かけると、横で日向ぼっこをしていた猫は薄目を開けて桃太郎を見つめ、尻尾をゆっくり一度だけ振ると、また目を閉じました。
桃太郎はそんな猫を優しく撫でて「まったくお前は気楽でいいな」と苦笑いするのでした。
(おわり)
2014年07月31日 01:41?
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