第7話 森林

「天界というか、最早第二の地上なのではないか?」

「あぁ。大神様の能力だからな。何もおかしなことはないだろう」

「え、卑下して

「褒めているんだ」

天より、風呂行きの命令が出た翌日。

市は再び天界にやって来ていた。


天はどうやら業務中だそうで、正が案内を担当してくれる。

彼は天につきっきりなのだと思っていたが、案外違うらしい。

真っ昼間に下っ端を風呂場に案内してくれるのだから、実は暇人なのかもしれない。


「そういえば、先日は世話になったな」

市は思い出したように手を叩いた。

先日というのは、市が地獄行きを免れた件だ。

話しかけられた正も、それが分かっているようで、チラリと市を見やる。


「どうしてワシのような若造を助けたんじゃ?混合神とて、他にもおるじゃろうに」

市の質問に、正は即座に答えなかった。

二人の畳を擦る音だけがフロアに響く。


「・・・・お前は知らなくて良い」

「・・・そうか」


これ以上の追求はするな、ということだ。

関心を持ちやすい市も引き際は弁えている。

神はプライベートが窮屈なのだ。





「ここだ」

しばらく歩くと、正が門にかかるプレートを指さした。

「六十二番地。先輩も言っていたな。番地が付いているのか」

「現在で約七百ほどの番地がある。理由は知らない」

気が遠くなる数字だ。


どうして天界にそれほどの土地が必要なのだろう。

何も下界へ降りろとは言わないが、才能の無駄遣いというやつだろうか。

市がプレートを前に止まっていると、正が再び口を開いた。


「一から百は公共施設だ。それからは六つの国が続いている」

「国?」


またも天界らしくない言葉だ。

天界に国という括りがあるなんて知らなかった。


「国と言っても、実際にその土地に住んでいる者はいない。今は子供の住処になっている程度で、管理は全て大神様が担っている」

かつて国でもあったのだろうか。でなければ天界にわざわざいらぬ土地を作る必要があるはずはない。


(いや、あの父親の場合は子供のためだけに作りそうか。それ以前に、楽しみから作るとも言い出しそうだな)

市は苦笑する。


しょうが、自由奔放と言った理由が最近はよく分かる。

何か特定のものに固執しやすい性格なのだろう。

「国について気になるなら行ってみればいい。禁域ではないからな」

「うむ」


これで話は終わりだろう。

彼は何か知っているのかもしれないが、父の許可なしにペラペラと話すことはよろしくない。



*****



「中には専門の天人が配属されている。何かあるならそいつらに言え」

「うむ」


女湯の前まで来たところで正は足を止めた。

意外にも湯屋は繁盛しているらしく、それなりの人数がいる。

神と天人は、ともに天界に住まうが、身分の高低は桁が違う。

同じ湯に浸かることは許されないため、恐らくこれは女神専用の湯屋だろう。


市は表にかかるのれんをくぐった。


神の男女比は決して同じではない。

やはり男性が多くなる傾向にあるようで、女神は今でも少ない。

比率をどちらに傾けるかは神を作る天の気分次第だろうが、女神は数も少ない上に、若干ながら不遇な扱いを受けることも少なくない。



のれんの先には広々とした脱衣所があった。

が、市には服を脱ぐという概念があるようでない。

どちらかといえば、これも一種の着替えるという行為に近い。

服も神の能力で作られているからだ。

要は、服という存在がないため、脱ぐという行為よりも、着替えるという行為を能力で行うのだ。


今日の市は、さすがに天界のため例の簡易正装だ。(和傘なし簪控えめ)

それを手を叩いてポンッと脱ぎ消すと、楽しみを滲み出しながら、本命の戸を開けた。



*****



「最高じゃーーーーー」

市は脱衣所で酒を呷っていた。

【学ばない奴】


風呂を存分に堪能した直後の酒ほどいいものはない。

親切にも、脱衣所にいた天人が飲み物を勧めてくれたため、遠慮せず酒を注文すればこの有様である。


市は決して酒に強くはない。

だからそのまま踊る様を映像に撮られたというのに、懲りない。



「どうやら、満足いただけたようだね」

市の手が止まる。

表情が一気に真顔へ戻る。

例の如く、振り向かなくても声の主は分かるし、振り向いていけない。

何度この人に心臓を止められたら気が済むのだろうか。


「ここは女湯だと認識していたのですが」

「あぁ。そして私は君たちの父だ」

「・・・間違いありません」


父に我が儘など存在しない。

彼の行動、言葉全てが正解であり常識となる。

父は娘の裸体を躊躇無く見るものというのが、天界の常識らしい。


と、またも天の手が市の髪に触れた。

今度は前回の黒髪とは違う、いつもの金髪である。

「うん。やっぱり美しい金髪だね」

「それは良かったです」


気に障らないように、まるで辞書通りの返答を繰り返す。

それがデフォルテであり、模範解答だろう。


が、何を気が狂ったのか、天は訳の分からないことを告げた。

「市。少し付き合ってくれないかい?」

「・・・私でよければ」

なるだけ気に障らないよう模範解答を告げたことは、無駄になった。



******



「風呂を気に入ってくれたようだね」

市は正装を纏って天についていく。

今に限っては本当の正装だ。

赤い和傘を持ち、髪には重い簪が挿され、服も幾分が豪華なものである。


「はい。おすすめいただきありがとうございました」

途中、他の神から、市には視線が刺さるが、父の行為が全て正解。

表情にその感情は浮かべられない。

頭を下げて父が通り過ぎるのを待つしかない。


「突然だけれど、市は三日後、空いているかな?」

「特に何もありませんが」

突然の問いの、市は戸惑いながらも素直に答える。


「三日後、天界で上神を集めた宴が催されるんだ。そこに踊りで参加してくれないかい?」

「宴、ですか・・・」

上神とは、いわばベテランの神ということ。

年代が詳しく公開はされていないが、要は下っ端とはランクが違う神様なのだ。

父が宴を主催することから初耳だが、そこに下っ端が踊りをやってほしいと。


「勿論構いませんが、私などでいいのですか?」

「君がいいから私はこうしてお願いしているよ?」

天は笑顔で市を覗き込んだ。

今度こそは目を合わせないように、全力で顔を背ける。


「・・・・顔を見せるのは嫌かい?」

「嫌というより、それが決まりですから」

市は言い切る。

天と顔を合わせてはいけない。

裏を返せば、天の顔は誰も見たことがない。


「ご安心下さい。先日の失態は既に記憶から削除しています」

これは虚言ではない。

市が本当に自らの記憶から、大神の顔を見たという記憶を削除したのだ。


「つれない規則を作ったものだ。君の綺麗な目で私を見てもらえないなんて」

「それは残念です」

まったく思っていない。



「じゃあ、三日後の夕刻に迎えを送るよ。舞の内容は任せるからね。装束も好きなものでいい」

「かしこまりました。本日はありがとうございました」


用はそれだけだったようで、天は寂しそうな雰囲気を醸し出しながら別れる。


彼が去るまで、神はその場を動いてはいけない。

じっと頭を下げ続け、天の気配が消えたところで、ようやく起動再開だ。



(早く行ってくんないかな)

少し進んではこちらを振り返り、また進んでは振り返る。

身内と別れる子供のような素振りである。



******



ようやく天が視界に入る位置から消え、市も帰路につく。

と、天と散歩をしているうちに風呂場の六十二番地から随分と離れていたようで、見慣れない景色が目に入った。


森林だ。


市らの背丈を大きく上回るほどに自由に伸びた木々が行く手を阻んでいるが、相当大きな土地だと分かる。

不意にプレートを見やる。


『二百番地』


百を超えているということは、ここは正の言っていた国の一つだ。

その正の発言通り、生物のいる気配はない。

無法地帯なのだろうか。

それでも管理は天が担っているというのだから、平穏は保たれているのか。


しかし、妙に不気味な場だ。

市はすぐにそれらから視線を逸らした。


引き際は弁えている。これは首を突っ込んではいけないものだと勘で悟る。

どうせ、天から何かされなかったか、と今日も生が訪れるだろう。

世話好きな先輩だ。

それを自分の中で理由にし、市は帰る足を速めた。




市の視線と去る背中を、(背後に瞬間移動した)天はじっと見つめた。

と、背後に人気ひとけを感じ、声をかける。


「市に国の話をしたんだね」

背後に降り立った者は、後ろについたまま頷く。

「貴方様こそ、宴にお誘いされるなんて」

正だ。

「彼女が唯一の期待だ。あの出回った映像を見ただろう?見極めることが出来ればその可能性も出てくる」

二人にしか分からない話題が淡々と進んでゆく。

「『はな』だけが事実を知る存在だ。禁忌を突き止めなければ、私は彼らと同じ末路を辿ることとなるかもしれない」

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ひっそり神様、やってます。 有衣見千華 @sen__16

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