第12話
扉の先は案の定また違う異空間に繋がっていた。
足に冷たさを感じて下を向くと、水の中だった。
水位は足首までの深さぐらいで、池のように流れは無いが水で溢れた場所だ。
空間自体はおれたちが最初にたどり着いた森の中と大差はないかもしれないが、美しい光が空から降り注ぎ、周辺には青い花々が咲き誇り、まるで森の中に隠された神聖な場所のような雰囲気を醸し出している。
小さな川以外にこんな水場は無かったし、そもそもこの植物も青い百合のような形をしているがそんなものはどこにも生えていなかった。
そして右も左も見ても、この空間の果ては見えない。
「あれは……宮瀬乙女と、怨霊だねぇ」
中央にあるしめ縄が施された岩の上で、巫女の装束を身にまとった宮瀬さんは、怨霊と思わしき存在に横抱きにされていた。
意識はあるみたいで、彼女はけたたましく笑っているが、怨霊はそれを慈しむような視線で見つめ微笑んでいる。
喫茶店の傍で出会った姿とは違う。
宝玉のような瞳を持つ、男でありながら天女の如き美しさの怨霊。
長い青い髪は水の化身のような、正しく神々しさが現れている。
だが、それらは全てまやかしだ。
「ごらん、娘よ。貴女の為に新しい贄が来てくれたよ」
おれたちの乱入に気づいた怨霊が、こちらをちらりと見遣るとそう言って宮瀬さんに微笑んだ。
いきなり生贄扱いなんて、取るに足らない相手だと暗に言われているようで若干腹は立つ。
「あははは、あははははは」
「そうかそうか、喜んでいるようで何よりだよ。よしよし、可愛い娘。どうか此度の贄も受け取っておくれ」
本当に宮瀬さんは喜んでいるのだろうか。
笑っているその表情は、ここからでは見えなかった。
「おれらは食材じゃねぇよ」
「そうそう。鍋にしたってそんなに美味しくならないよ」
人を勝手に贄にするんじゃねぇっての。
むしろ、これから捌かれるのはてめぇの方だ。
「『深き怨念に立ち向かうは、水をも斬り裂く鋭き刃』」
椿さんが文字をえがけば、文字が集まり姿を変えて、そこから一振りの打刀が現れた。
既存の作を元にしているのか、拵も鞘もしっかりした造りだ。
椿さんはそれを使って戦うつもりなのか。なるほど、おれと違って殴り合いの喧嘩なんかしたことなさそうな椿さんにはぴったりだ。
「はいこれ!こいつでぶった斬っちゃって!」
「は」
刀をいきなり投げられて、おれは慌てて受け取る。
まさか投げられるとは思っておらず、反射的に受け取ったはいいものの、どういうことなのか困惑する。
「はぁぁあ? おれが? あんたは戦わないのかよ?」
「えっ、俺は無理だよ。もしかして素手で戦えるとか思っちゃってない?こんなの人間の力は通用しないからだめだめ、これで戦ってね」
どうやら椿さんに戦うつもりはないらしかった。
嘘だろ。なんでおれが人外相手に一騎打ちをやらされるんだよ。椿さんの方がこういうの慣れてるんじゃないのかよ。
てかあいつらを前にしてこんな言い合いしてる場合じゃないんだよそもそも!
「あーもう分かりました! あとで覚えてろよ!」
仕方なく刀を手に、前に出ていく。
奴は興味無さそうにちらりとこちらを一瞥しただけだった。
「順番に殺して欲しいんだね……そうか、いいよ。これも余興と思えば悪くない」
鈴の音のような、美しく透き通る声。
どこか宮瀬さんの面影を感じると思ったが、逆なんだ。
宮瀬さんがこの怪異の側面を持ち合わせていたからなんだ。
くそ、もうこうなったらやるしかないだろ。
「遊びじゃねぇ。本気だ」
「ごらん、娘よ。彼も貴女のために死んでくれる人間だよ」
死なない。勝手に殺すな。
おれは鞘を抜き、刀を構える。
まがい物でも神だから生半可な力では勝てないだろう。
だが、こうしてまともにこの国の言葉を話しているところから、やっぱりその中身の元は人間だったとよく伝わってくる。
ただ、怨霊は宮瀬さんと会話しているように見えて宮瀬さんの返事はなく、一方通行なのか宮瀬さんにはもはや誰の声も聞こえていないのか。
(どっちにしろ、こいつを倒せば済む話だ……)
「眷属よ」
怨霊の声とともに、水の中から何か無数の縄のようなものが這い上がってくる。
いや、縄ではない。
あれは蛇だ。
いくつもの蛇がおれの手足に巻きつこうとこちらへはい寄ってくる。
「どけ、触るな」
幸いにも動きは遅いので、手で拾って投げ、それを斬ることの繰り返しでなんとかなる。
問題は返り血で臭くなることか。
「小鞠くん容赦ないね」
「危ないからもっと下がってろよ」
俺の足元は透き通った水ではなく赤く濁り始めていた。
しかしこの蛇、斬っても斬っても沸いてきて鬱陶しいな。
「あははは、あはははは」
相変わらず壊れたみたいに宮瀬さんは笑い続けている。
「小鞠くん、受け取って!」
「ん!? な、なんだこれ?」
後ろから何か紙みたいなものが飛んできたかと思ったら、そのままおれの体に張り付いて溶けたみたいに無くなってしまった。
椿さんは何を飛ばしたんだ?
「俺の霊力だよ。時間をかけてるとおれも君も体温が奪われる。早いとこ決着をつけちゃおう」
「よく分からんけどありがとうございます!」
何だか無性に力が強くなった気がする。
刀の重みが体に合うようで、今なら何でも斬れそうな気がしてきた。
「喰らえっ!」
蛇を無視してそのまま怨霊に駆け寄ると、足元の水が飛び散り、あたりにばしゃばしゃと跳ね返る。
そのまま刀を振りかざし、勢いのまま下ろしたが。
「弾かれた……!」
怨霊の目の前に水の障壁のようなものが現れ、刀は弾かれておれは後ろにのぞける。
この場所の水全体が奴の武器になるのか。
水の向こうで怨霊は美しくほくそ笑んでいた。
「大丈夫! さっきも言っただろう。その刀は水をも斬り裂くって。落ち着いて振ってみて」
「っ、分かりました!」
落ち着いて、目の前の斬るべき相手を見極める。
人の操るものではない術に惑わされては相手の思うツボだ。
この程度、今更おれは驚いたりしない。
毎晩怪異が尋ねてくるようなアパートに住んで、今は何人もの幽霊と暮らしてるんだ。
こんなことで気圧されるものか。
斬る、躱す、斬る。
繰り返しては、徐々に相手の体勢を崩していく。
「面倒な生贄だ。中に何か、厄介なものがいる」
優雅に舞いながら、奴はおれをじっと見つめている。
なにぶつぶつ言ってんだ。ハッキリ喋れや。
「なんにもいねぇよ! 厄介なのはてめぇだけだっ」
奴はおれを見つめて、なにか考えている。
斬り合い中に考え事とは余裕じゃないか。
今が好機だ。
おれは全身全霊の力を込めて、そのまま刀を突き立てる。
多分、正しい使い方じゃないかもしれないけど、これなら離れた距離も関係ない。
槍のように、鋭く突き刺すように、椿さんの送ってくれた霊力をそのまま乗せて、ぐっと力を込める。
「消えろぉぉぉ!」
刀身が一瞬、きらりと煌めく。
障壁が崩れる手応えを感じた。
次の瞬間。
「娘……?」
おれが貫いたのは、怨霊じゃない。
怨霊を庇うように飛び込んできた、宮瀬さんだった。
怨霊が初めて表情を崩し、目を見張っている。
おれに刺された胸から血を流し、宮瀬さんはドサッと水の中に倒れた。
「よしよし、上手くいったね」
後ろから椿さんがざぶざぶと水を掻き分けて歩いてくる。
「おい、これほんとに大丈夫なんだよな……」
血を流しているのに水に浸かっていてはまずい。
こんなふうに血が流れるとは聞いてなかったから、上手くいったと言われても不安になる。
急いで宮瀬さんを抱き上げようとするが、それより先に怨霊が手を伸ばした。
「かわいそうに、娘よ……愚かな者にこのような傷を……」
可哀想とも思ってなさそうな平坦な声だった。
治癒方法でもあるのか。それとも、宮瀬さんが死んだとしても構わないのか。
怪異の考えていることなんてよく分からない。
でもたぶん、宮瀬さんを刺したおれを今から殺す気なのは分かる。
「椿さん……」
「大丈夫。『神殺し』は上手くいったよ」
椿さんに促され徐々に後ずさる。
一瞬、宮瀬さんと目が合った。
彼女は怨霊の腕の中で、おれが刺した刀の刀身に直接手をかけて、ゆっくりと抜き取った。
刃に触れたことで、宮瀬さんの白い手は見る見る間に血で溢れる。
血の跡が生々しい。抜いた分、余計に胸元の血も広がった。
「龍神様」
宮瀬さんは優雅に微笑む。それは喫茶店で見る笑顔と何ら変わりない。
そして宮瀬さんは、刀をそのまま怨霊の片目に突き刺した。
ぐちゅり。聞くに絶えない音がする。
「……ああ」
怨霊は唖然としたように、刀の刺さった自分の顔に手を当てる。
それから少しして、怨霊は火がついたように怒鳴りだした。
足元の水が震えて、急激に水位が増していく。
「娘、娘よ! 貴女の願いを聞き入れてやったのに、何故だ! 娘よ! どうして、どうしてこの私を!」
「あなたはもう神ではありません」
それでも宮瀬さんは刀身から手を離さず、力強く押し込む。
おれたちは黙って見守った。手出しをしなくとも、もう全て終わる。
「娘よ! 許さぬ! 決して許さぬぞ! 貴女も私と共に眠るのだ! 娘よ!」
「あなたの眠りを妨げてしまったことは謝ります。わたくしの浅はかな願いで、あなたを傷つけてしまいました。この村があなたにした仕打ちも、全てわたくしの一族の責任にございます。本当に申し訳ありませんでした。どうか安らかにお眠りください」
宮瀬さんはようやく刀身から手を離し、怨霊に謝罪をする。
「そして……さようなら」
怨霊は何も言わず、水の中へ倒れ込んだ。
残った片目に光はなく、宮瀬さんを映しているようで何も見ていないようだった、
腰ほどまでに増えていた水はあっさりと引いていく。
世界が割れるように、空の光が剥がれ落ちて、硝子の欠片のように空へ散っていく。
最後に見えたのは、干からびた小さな蛇の死体だった。
「終幕だね」
椿さんが微笑む。
「あの、もしかして、さっき言ってたとっておきの武器って」
「もちろん。小鞠くんのことだよ」
今回は作戦といい打刀といいほとんど椿さんのおかげだが、なんだ、そういうことだったのか。
だったらおれも、守られる側じゃなくてちょっとは同じ場所に立てたのかな。
(そういえば椿さん。なんでおれが刀使えるって知ってんだろうな……)
神殺しも、おれの過去も、おれはこの人に何一つ伝えた覚えは無い。
これも、知らないフリってやつか。
でもなんだか、悪い気はしなかった。
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