第11話

 少ししてからおれたちは動き出したが、もうずっと同じ道を歩いているようにしか思えなかった。

 何度も森の中の景色をぐるぐる巡っている気がしてならない。


「結構歩いたけど本当にこの道で合ってんのか……?」


「合ってる。木に付けた傷が再生してない限り合ってるから大丈夫」


 そう言いながら椿さんも若干自信無くなってるじゃないか。

 異空間だから時間感覚も狂ってくることだし、この状況はあまり良くは無い。


「ここがあいつの結界の中ってことは、おれたちがこうやって歩き回ってんのも、もしかして見られてたりするんですかね」


「多分ね。いつも俺がそっち側だったからなんだか気分悪いなー。宮瀬乙女を敢えて野放しにしたとはいえ、その先手の打ち方は面白くないよ」


 見事に立場が逆転したこの状況、やりづらいことこの上ないだろう。


「そういえば、椿さんの術は普通のとどこか違うんですよね」


 椿さんは邪道だとか言っていた。

 正統派の朝凪さんとの対比する表現だろうが、他のものを見たことないおれにはあまりピンと来ない。


「そうそう。だから真似てくるなんて思わなかったんだよ。こういうの使うの俺ぐらいだし……というか、小鞠くんさ。気にならない?術師家系の人間でもない奴が変な力操ってるっていうの」


 そう言われて少しドキッとした。

 気になると言われれば気になるに決まってる。

 そもそもおれは、椿さんについて知らないことばかりだ。

 一緒に暮らしているくせに椿さんがこれまでどんな人生を送ってきたのか、おれは何も知らない。

 どうして作家になったのか、椿凛世という名前も本名なのか筆名なのか、どうして怪異に執着するのか。

 知りたいことはいくつもある。

 でも、おれは聞かない。


「まあ……世の中には色んな人がいるし、別にいいんじゃないですか。椿さんに興味が無いとかそういうわけじゃないんですけど、そもそもおれに知っていて欲しいんなら、最初っから聞いてもないのにべらべら喋ってくるじゃないですか」


 詮索して欲しくないことはしない。

 おれもそうだから。

 ただそれだけの話だ。


「小鞠くん俺の事よく分かってるね。ちょっとびっくりしちゃった」


「別に、知らなくていいことは知らないままでいいってだけなんで」


「じゃあ俺も、知らなくていいことは知らないフリしておいてあげるね」


 さっきの話だろう。余計なお世話だが、今は黙って受け取っておく。

 おれたちは友達だとか身内だとかそういう関係じゃなくて、ただの作家と編集者だ。

 だけど、お互いの全てを知らなくとも背中を預けられるぐらいの信頼はあるんだって、おれは思っている。


「あっ、ほら!なんか開けたとこに来たよ!」


 早いところどこか違う場所にたどり着きたいと思った矢先、おれたちは森を抜けることに成功したみたいだ。


「てかこれ……村じゃねぇか」


 人の気配はないが、人々が住んでいた村落と思わしき場所だ。

 作物が成長途中と思わしき畑に、置き去りにされた農具。

 扉が空いたままの民家や、誰かがさっきまでいたような形跡はあるのに誰もいない。


「ここ、雰囲気悪いねぇ……。おそらくここは水成村だと思うけど、前に来た時よりずいぶん嫌な空気が増えてるよ」


 同感だ。幽霊屋敷で感じるような薄ら寒さとは全然違う。

 空気が肩に重くのしかかってくるような感覚がする。


「でも……これも取材旅行と考えれば楽しくなってきたかも」


「そういう見方もあるのか……」


 椿さんの能天気な高笑いが虚しく響く。

 ま、たしかに地方に足を伸ばしたぐらいじゃあ行けない場所だから貴重な体験と言えばそうなのかもしれないが。

 と、そんなくだらない会話をしていたら突然椿さんがピタリと足を止めた。


「椿さん?」


 静かに、と小声で言われたので大人しく待つ。

 椿さんはじっと何かに耳を傾けているようだった。

 しばらくすると、ようやく口を開いてくれる。


「笑い声が聞こえるね」


「え?そんなのおれには聞こえなかったですけど……」


 誰の笑い声なんだよ。

 もしかして、いやもしかしなくてもまた違う化け物とかがいるわけじゃないよな。


「とりあえず行こう。こっち、着いてきて」


「ちょ、椿さん……」


 この村の雰囲気といい、その笑い声とやらはあまり楽しくなさそうな笑いだということは分かる。

 曇り空はますます黒くなっていき、おれたちが歩く道を暗くしていく。

 次第にぽつりぽつりと小雨が降り始めた頃、雨音の隙間からおれにも笑い声が聞こえてくるようになった。


 あはは。

 あははは。


 女性の甲高い笑い声だが、ある種の耳をつんざくような悲鳴のようにも聞こえる。

 狂ったように、何度も何度もただ笑っている。

 これが誰の声か、見なくても察しはついた。


「ここだね」


 他の民家とは違う、広い屋敷の前にたどり着く。

 立派な生垣に囲まれているが、門は開け放たれている。

 少しずつ奥へ進んでいくが、辺りを見る限り敷地は幽霊屋敷よりも広大で、明らかに村人と一線を画している。ここはもしや宮瀬家か。

 中からは激しい笑い声が続いていて、異様な雰囲気を漂わせている。


 椿さんがそっと玄関扉に手をかけて、おれたちは慎重に家へ上がる。


「血痕……?」


 薄暗い廊下に、点々と続く赤黒い液体の痕のようなもの。

 乾いているかもしれないけれど、踏まないように避けて歩く。


「となると、やはりここは現実の水成村じゃなくて宮瀬乙女の心象風景ってことだね」


「これが、宮瀬さんの……」


 無人の村。時間が止まったような世界。どこまでも暗い曇り空。

 それが、宮瀬乙女の心の中にあると。

 あの淑やかな微笑みの裏は、いつも雨だった。


「この部屋、いるね」


 椿さんはある部屋の前でピタリと立ち止まった。

 笑い声は次第に強くなっていく。

 血痕はこの先も続いているが、この部屋にも向かったような形跡があり、二つに枝別れていた。

 ゆっくり扉を開けていく。

 だが、おれがその中を見ることは無かった。


「……椿さん?」


 視界が急に真っ暗になる。

 椿さんの手が、おれの目を覆い隠しているんだ。


「見なくていい。これは見ちゃだめだ」


 初めて嗅いだ、鼻をつく不快な臭い。

 中でなにが起きてるんだ。

 けたたましい女性の笑い声だけが響いている。

 でもこれはさっきと声が違う。宮瀬さんの声じゃない。

 じゃあ、ここにいるのは誰なんだ。


「ここに人間はいない。行こう」


 珍しく焦ったような椿さんの様子に、おれは大人しく手を引かれる。

 人間『は』いない。ということは、そこに居たのは宮瀬さんでも他の人間でもない化け物だったのか。

 少し離れたところでようやく視界を解放される。


「椿さん、なんなんですかいきなり。何があったんですか」


「あんまり聞かない方がいいと思うんだけど……まあ、死体だよ」


 案の定だった。

 椿さんのおかげで直接見ていないので恐怖感はさほど無い。

 笑い声を聞いた限りでは生きた人のようにも思えたのだが。


「死体が、笑ってたんですか?」


「うん。笑っていると言えるような可愛いものじゃないけどね。体の肉がえぐれた状態の死体だったから、慣れない人は見ない方がいいかと思って。ごめん」


「いや、それは別にいいんですけど……もしかしてその死体って、宮瀬さんの家族の誰かなんじゃないですか」


「宮瀬乙女の心象風景という仮定が合っていればその可能性も高い。あれはおそらく腹違いの姉だろうね。この先にも他の人たちが出てくるだろうよ」


 小説には腹違いの姉が殺されていた時の描写があった。

 遺体の様子と化け物の見た目は記述と一致している。

 宮瀬さんと彼女は仲の良い姉妹だったともあった。


「一々遭遇してちゃキリがない。このまま本陣だけを目指すかな」


「そうですね。寄り道ばかりしてもどうせ化け物しかいないんですし」


 宮瀬さんの家族を化け物呼ばわりして申し訳ないが、あれはもう人とは呼べない。

 あれを人だと認識してしまうのは、きっと良くない。

 おれたちは足音を忍ばせながら、屋敷の奥へ進んでいく。

 誰かの笑い声は遠くからまた聞こえてきた。

 ガタン、と何かが繰り返し倒れるような物音のする部屋や、男の人の泣き声のようなものが聞こえる部屋。

 多分その中にいるのは椿さんが見たものと同じだろうから、おれたちは無視して進むしかない。


「怖い?」


「別に」


「震えてるけど?」


「……武者震いだからいい」


「あはは、強がるねぇ。でも外も中も薄暗くて、廊下は血塗れ部屋は化け物だらけ、なんて屋敷、気味悪くて仕方ないのは当然だよ。こんなことなら取材で使う筆記具を持ってこれば良かったな」


「……」


 認めよう。

 普通に怖い。

 さすがに無理だ、この状況。屋敷の中にやばいのがうじゃうじゃいるのが分かっていて平気で歩けるわけがない。

 椿さんが居なかったら多分おれは玄関に入った時点で逃げ帰っていただろう。

 でも椿さんはおれとは対照的に足取りは軽い。

 職業病め、と言ってやりたい気分だ。


「そう怖がらなくても大丈夫さ。とっておきの武器を用意してあるから、この勝負、絶対勝てるよ」


「なんだそりゃ……。本当なんですよね」


「ほんとほんと。絶対絶対」


 椿さんは自信満々ににっこり笑ってみせる。

 とっておきの武器とか初めて聞いたぞ。おれを元気づけようと出任せ言っただけじゃないのか、と思ってしまう。励まし方にももうちょっとなんとかあるだろ。

 あぁ、胡散臭い。なんなんだほんとに。この男の信用ならないこういうところ、めちゃくちゃ嫌だ。


「……ん?この部屋、なんで襖が空いて」


 廊下を曲がった時、すぐ近くの部屋の襖が開け放たれているのが視界に入った。


「待って小鞠くん!多分そこは……あー、もう遅いか」


「え……」


 広い部屋の壁に、ただ一人の人間が磔にされている。全身血塗れの男の人だ。

 骨が折られているであろう、あらぬ方向に折り曲げられた、手足が自由を求めるように蠢いていた。

 死んでいるはずなのに、生きているようで、おれはその光景から目を離せなかった。


「この人、おそらく宮瀬乙女の許嫁の青年だね」


「すみません、おれ……そんなつもりじゃ、なくて……」


 無神経な行動だったかもしれない。

 椿さんに黙ってついて行けばよかったのに、軽率だった。


「いい、いい。いつかは他にも遭遇すると思ってたから別にいいさ。失敗する時もある。危険性もなさそうだし気にする必要ないよ」


「……とりあえず、行きましょう」


 たしかに、俺が見るにはもっと心の覚悟が必要だった。それを思い知らされるには十分に、惨たらしい光景だった。

 ただ、宮瀬さんの心象風景を探る以上、彼から目を背けてしまうのはどうしても不誠実な気がしたのも事実だ。

 今見たことは忘れてはいけないものだ。たとえおぞましいと感じても。



「見つけた。この先だね。準備はいいかい?」


 屋敷の一番奥。

 祭祀を行う場だったと思わしい。扉には札が貼られ縄で締められている、閉ざされた部屋だ。

 おれと椿さんは目を合わせ頷く。

 中からは、少女の泣き声のような笑い声が聞こえてきた。

 椿さんがいつも携帯している万年筆を取りだし、宙に文字を書く。


「『偽神を狩るは我が筆先。この領域、断ち切らん』」


 ぱちん。

 触れてもいないのに縄は二つに切断され、ゆっくりと扉が開いた。

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