第8話

 降り出した雨は夜になっても降りやまず、天候は悪化する一方。

 おれはびしょ濡れで幽霊屋敷に帰ることになった。


「おかえりー。おやおや、ずぶ濡れになっちゃってかわいそうに。傘借りなかったの?朝凪とか貸してくれそうじゃん」


 玄関をする開けて早々、出迎えてくれたのはいつも通り絹子さんだったが、慌ててタオルを取りに行ってくれている間に椿さんが覗きに来た。


「借りたけど壊れた」


 おれは片手に持っていた傘だったものを椿さんに差し出す。

 強風でうっかり吹っ飛ばされてポキッと折れてしまったんだ。


「あらら。そりゃ大変だ」


「これ弁償しないといけないだろ……。やっちまった。こんなことなら最初っから濡れて帰れば良かった」


「別に傘の一本や二本ぐらいであいつは怒んないと思うよ」


「そういう問題じゃないんで。てか酒臭いんだよ、あっち行ってください」


「えー、小鞠くんはいじわるだなぁ」


 そう言いながら椿さんは上機嫌そうに去っていこうとする。

 おれが苦労して帰ってきたというのにこの人は楽しく酒盛りをしていたようだ。まあそれは別にいいんだが。

 いくら怒られないと言ってもさすがに気分的に申し訳ないだろう。

 迷惑をかけたくないと言ってはいるものの、結局朝凪さんには迷惑をかけてばかりじゃないか。


「あ、絹子さん」


「お待たせぇ!お着替えも持ってきたから早くこれで拭いちゃいなさいな」


 ちょうどその時絹子さんが戻ってきて、おれに勢いよくタオルを巻き付ける。


「まったくもう、こんなに体を冷やしちゃってぇ。人はか弱いんだから風邪でも引いたら大変よぉ」


「き、絹子さん……苦し、苦しいです」


 人はか弱いって絹子さんも元人間じゃないか。


「本当は迎えに行ってあげたかったけど、アタシたちここから出られないからねぇ。こうやって拭いてあげることしかできなくてごめんねぇ。ほら、髪の毛だってこんなになっちゃって。早くあっためてあげないと風邪をひいちゃうわ。あぁ、本当に心配だわぁ〜!」


「や、大丈夫です。ほんと、ほんとに!ちょっと!」


 髪をわしゃわしゃとタオルで揉みくちゃにされて抵抗さえできない。

 なんなんだ。おれは犬なのか。


「あ、椿さん!後でちょっと話があるんですけど」


「え?なに?もしかしてバレた?」


「いや、ちょっと聞きたいことがあって」


 で、バレたとは。

 おれに黙ってよからぬことでもしたのか。


「あ、そういうのね。分かった分かった。いつでもいいからおいで」


 おれの疑いの視線から逃れるように、椿さんはそさくさと逃げていく。

 そういう意味深なことをするのは気になるからやめてくれ。悪事は勝手にやってくれていいから。いや良くないけども。



 というわけで、絹子さんに好き勝手お世話してもらった後、着替えたおれは椿さんの部屋に来ていた。


「それで、小鞠くんが知りたいのはどんなことかな?」


 夜も更けた頃、外では未だに降り止まない雨が音を立てている。

 椿さんの部屋は相変わらず、本棚に収まりきらなかった書籍があちこちに積み上げられ、書きかけの原稿や没にした原稿が散らばっている惨状だった。


「宮瀬さんについて、少し気になることがあって」


 喫茶店から出版社に戻っても、ずっと今日の出来事が気になって仕方がなかった。


「実は今日、会社の先輩と喫茶店に行って来たんですけど、帰りに宮瀬さんを探してるっていう男に遭遇したんです。その男が言うには、宮瀬さんは自分にとって大切な人だって」


「乙女ちゃんのこと、教えたの?」


 椿さんは特に驚くわけでもなく淡々と質問を返してきた。

 この人はさっきまで酒を飲んでいたはずだが、全く酔っている素振りも見せず真面目な顔をされるので、なんだかこっちが緊張しそうになる。


「いえ、喫茶店にそんな人はいないと嘘をつきました。そしたら、すぐに諦めて帰っていったんですけど……」


「どうして嘘を?」


「ただ、なんとなく……この人に宮瀬さんのことを教えちゃいけないような気がして。椿さん、心当たりはありませんか?もし本当に宮瀬さんの知り合いだったら申し訳ないじゃないですか……」


 おれがそう言うと、椿さんは首を横に振った。


「いや。乙女ちゃんの身内は誰もいないし、許嫁も死んでるからね。元々村の人とは関わりが薄かったみたいだから、その可能性は無さそうだ」


「関わりが薄い?宮瀬さんの家は村八分だったんですか」


 そんな描写は小説には無かった。

 宮瀬さんは普通の村娘で、ふとしたことがきっかけで音量に出会ってしまっただけ。

 村の人とも普通に関わっていた覚えがある。


「あー、そうじゃないんだよね。小説には書かなかったけど、乙女ちゃんの家はちょっと特殊だったんだよ。地主とかじゃないんだけど、ま、なんていうか村の中でもちょっと格上のお家かな。そのまま小説に書くと万が一関係者に知られたら苦情入るかなって。傍系の家とか結構あるみたいだし」


「そ、そうなんですか……」


 斜め上の方向から来た。

 しかし、格上の家とはこれまた気になる言葉が増えてしまった。

 彼女の立ち振る舞いが優雅で気品に溢れているのはそれが理由なのか。


「……もしかして、巫女とか」


 ぱっと考えて思い付いたことをなんとなく呟いてみた、のだが。


「おっ、あったりー!やっぱり小鞠くんは冴えてるねぇ」


「え!?」


 なんと驚くことに当ててしまったみたいだ。

 霊的なものに好かれやすく、また浮世離れした存在ということで率直に巫女だと考えただけなのだが、まさか正解だったとは。


「この際だから小鞠くんには全部知っておいでもらおうかな。ちなみに正解だったのは今の回答だけじゃなくて、君が遭遇した男性への対応もだよ。とりあえず順を追って話してあげるからこっちへおいで」


「いや、あの、椿さん……?」


 どうした。やはり酔いが覚めていないのか、この男は。

 椿さんは本棚の中身を数冊入れ替えた後、空いた場所に手を突っ込んで何かを漁っている。

 おれには酔っ払いの奇行にしか見えない


「ちょっと、酔っ払いの奇行とか思ってないよね?」


「いや、そんなこと思ってないですけど」


「そ。ならいいけどーって、ほら空いた」


「は……」


 ガチャ、っと何かが外れるような金属音がした後、本棚がすっと奥に押し込まれる。

 その先には一部屋分の空間があり、本棚がまるで扉のようになっていた。

 一体どこにこんな空間が。間取りを考えたらこんな部屋はあるはずない。

 今おれの目の前にある部屋は一体なんなんだ。


「ちょ、椿さんなんなんですかここ……」


「俺の部屋だよ。本しかないけど。これ絹子さんにちゃんと許可取ってるから大丈夫大丈夫」


 椿さんがずんずん奥へ進んでいくので、おれは仕方なく大人しく着いて行く。

 部屋の中は壁一面に本棚がぎっしりと並んでいて書庫のようだ。

 いや、実際椿さんはそうやって使っているんだろう。

 適当に近づいて背表紙を眺めてみるが、娯楽本というよりは専門的な文献だろう。

 分厚い辞典みたいなのもぎっしり並んでいる棚もある。

 この空間の中に、椿さんが積み上げてきた膨大な時間が凝縮されている。

 おれは思わず、この部屋に圧倒されていた。

 この人がしていることはほとんど怪異の研究みたいなものだと分かってはいたが、ここまで熱を注いでいるとは。

 ありきたりな言い方しかできないけど、やっぱり椿さんにとって、怪異とは特別な存在なんだと改めて認識する。


「ここは幽霊屋敷なんだ。『家主』の思った通りに作り替えられる家なんだから有効活用しなきゃでしょ」


 椿さんはそう言いながら、一冊の本を手に取った。


「俺の研究ノートだよ。これに宮瀬乙女について書き記してある」


 本ではなくノートだったのか。

 確かに皺や頁を折った痕などがあって、少し使い込まれているように感じる。


「早速解説させてもらおうか、と行きたいところだけど、まずは水成村についてご紹介しようかな」


「宮瀬さんの出身地ですよね」


「そう。山間にある小さな村で、外部との関わりが極端に薄い。住人もそこまで多くないが、この村にはある伝承があった。『龍神伝説』だ」


 今よりも昔、明時の世よりもずっとずっと昔の頃。

 水成村は干ばつにより作物が育たず、人々が飢えに苦しんでいた。

 そんなある時、どうか雨を降らせてくれと涙を流しながら天に祈る娘が一人いた。娘はそのまま祈り続けるも餓死してしまうが、彼女の流した涙の雫の痕から突如として水が湧き上がってきた。

 さらにその水と共に、突如として大きな龍が姿を現した。

 曰く、その龍は水を司る神であり、娘の熱心な思いに心打たれて村を救うために姿を現したのだと言う。

 龍神は干ばつに苦しむ村に雨を降らせ、川の流れを作り、人々が生きていけるだけの水を与えてくれた。

 それ以来村人は龍神へ深い感謝の念を伝えると共に村で祀り、十年に一度供物を捧げ、村の治水を祈願しているそう。


「というのが水成村に伝わる伝承だ。これが村名の由来にもなっている」


「へぇ……」


 水が成る村、だから水成村というわけか。

 そういう龍神信仰は全国では珍しくない話だろう。かく言うおれの出身地も地元の神が村全体で信仰されていた。


「問題はこれが全くの大嘘ってことなんだ」


「はぁ!?」


 さらっととんでもないことを言われた。

 話の流れが大きく変わってきたな。

 そんな信仰が、嘘とは。


「龍神信仰は確かにあったんだけどね、どうも村人たちが信仰している相手は龍神には思えなかったんだ。妙に思って色々調査してみたところ、面白い事実が浮かび上がってきた」


 ノートを開いてごらん、と言われたので開いて頁を捲ってみる。

 水成村についての文章がびっしりと並んでいる。

 どれだけ時間をかけて調べあげたのだろう。

 全て読んでみたいが、とりあえず今は言われた箇所に目を通してみる。


「これは……」


 思わず言葉を失うおれに、椿さんは楽しそうに語り続ける。


「龍神信仰を主導する宮瀬家は強い権力を得たことで目が眩んだんだろうね。次第に宮瀬家の人々は龍神への供物と称して人々から必要以上の搾取を行うようになり、いつしか祈祷さえもまともに行わなくなった」


 ノートには龍神の加護が失われたとされる年から、川の氾濫が多発したと記されている。

 何年何月、どのくらいの被害かなど細かに記載されているが、恐らく村で記録されていた文書などが元にあるのだろう。


「形骸化した信仰では、龍神も人々には力を貸してはくれないだろう。村から龍神は去ってしまい、その加護は失われた。だが宮瀬家の人々は地位が転落することを恐れ、龍神に変わる新たな守り神を用意した」


「そんなこと、可能なのか……?」


 つまり、信仰の形はそのままに中身をすり替えてしまったのだと。

 おれは固唾を飲んで続きを聞く。


「それが上手くいっちゃったんだよねぇ。ほんと強欲な人間ってすごいよ。当時の宮瀬家の中で一番霊力の高かった青年を生贄にして、表向きは龍神の怒りを鎮めた英雄扱いして祀りあげるなんてね」


「もしかしてそれが、あの怨霊の正体……?」


「その通り!小説では怨霊とさせてもらったけど、あれは実際怨霊の類と大して変わらないものだったからね」


「村では神だったんじゃないんですか」


「前にも話しただろう?怪異は人が怪異であると定義することで生まれる。それと同じさ。村人が青年を村を守る神として定義し続けたことで、彼は人ではなくまがい物の神として押し上げられてしまった。最も、それを信仰していない俺や外部の人間にとっては村が作り上げてしまった歪んだ化け物でしかないってだけさ」


 三滝坂の時もそうだった。

 怪異はどのように定義されるかによって存在を左右される。

 村人がその青年を神であると信じ続けた末に、彼は本当はまがい物でしかないのに神として定義されてしまった。

 そして現代になって、狂った信仰の果てに生まれた怪異は宮瀬乙女に手を出した、と。


「いくら霊力が高かったとはいえ元はただの人間だ。上手くいくはずがないだろうに、無理やり神としての型に縛り付けて何食わぬ顔で今まで信仰してきたんだからほんと恐ろしいよ」


 椿さんは呆れ顔でやれやれといった仕草をする。


「水成村がやばいってことは分かったけど、じゃあなんで怪異は今になって宮瀬さんに目をつけたんですか?」


「それはこの先に書いてあるよ」


 椿さんは俺の持っていたノートに手を伸ばし、ペラリと頁を捲る。

 おれは黙って視線を落とし、文章を読んだ。


『宮瀬乙女は水成村で唯一​、───────』


 その時だった。

 椿さんの部屋の方からダンっと激しい音が聞こえてきた。

 おれはすぐさま顔を上げて音のした方向に向かう。


「おや?」


「喜兵衛さん、どうしたんですか。そんなに慌てて」


 椿さんの部屋の扉を開けたのは、この屋敷に住み着く武士の幽霊、喜兵衛さんだった。

 普段は落ち着いていて丁寧な所作をする人なので、こんなに慌てた様子は滅多に見ない。


「大変ですよ椿さん!あの方が!あの方が、来てしまわれた……!」


 今にも腰に提げた刀を抜かんばかりの険しい顔だ。

 穏やかなこの人もとい幽霊がこんなに焦っている様子なんて、一体何があったというのか。


「あーはいはい。なるほどね。来るなら来るって言ってくれればいいのに、今度は何の用なわけ?」


 椿さんがだるそうな足取りで部屋を出ていく。

 この二人、というかこの屋敷全体だろうか。なにか共通理解のようなものがあるようだが、おれは何が起きているのかさっぱりだ。


「あの、誰が来たんですか」


「見ればわかるよ。君もよく知ってる奴だからね」


 そう言われただけなので、おれは大人しくついて行く。

 不思議なことに、外から車が走り去るような音が聞こえてきた。この辺りでは滅多に通らないのに。

 そしておれは玄関先へ向かってすぐ、顔を合わせた人物に驚愕することとなった。


「……朝凪さん、と宮瀬さん?」


「こんばんは。急な訪問で申し訳ないんだけど、まずこちらのご婦人の警戒を解いてもらえないかな」


 眠る宮瀬さんを横抱きにした、困り顔の朝凪さん。

 そしてそれらを思いっきり警戒して一歩たりとも踏み入れさせんと仁王立ちする絹子さん。


 なんだこれ。

 なにがどうしてこんなことになってんだ。


「ほんっと朝凪っておれの家に向いてないよね」


 あまりの情報量におれが完全に呆気に取られている横で、椿さんだけがけらけらと愉快そうに笑っていた。

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