第7話
数日後、おれは不本意ながらまた出版社の向かいの喫茶店に来ていた。
自分から進んで来たわけじゃない。
「やっぱり乙女さんって綺麗な人だよなー……」
「あー、そうですね」
五戸さんに引っ張られて来たのだ。
宮瀬さんは確かに美人だが、おれは五戸さんみたいに熱狂的にはなれないので申し訳ないが雑な返事しか出来ない。
正直、宮瀬さんの背景について部外者のおれはあまり首を突っ込むべきじゃないと思っているが、だからといって露骨に宮瀬さんを避けるのはなんだか違う気がしただけで、恋愛的な意味合いを彼女に見出したことはない。
(椿さんも美人だけど中身がああだからな……)
一瞬そんなことを思ったが、すぐにかき消す。
何を考えているんだおれは。少女とおっさんを較べてどうする。
「しかし、乙女さんって地方から帝都に来たらしいが全然田舎臭くないよな。方言も使わないし、それどころかどこかのお嬢様みたいだ」
「確かにそうですよね。」
おれと違って、宮瀬さんは帝都生まれ帝都育ちみたいな顔をしている。
方言に関してはおれも矯正するのに結構時間がかかったが、あの特有の喋り方だからなんだろうか。
「でも五戸さん、この前行った定食屋の看板娘が一番可愛いとか言ってませんでしたっけ」
「それとこれとは違うんだよ。御厨にゃまだ分からん話よな。お前はそういうこと言わないし、興味無さそうだもんなぁ」
茶化すように言ってやったところ、また子供扱いされた。
出版社の連中は揃いも揃っておれを何歳だと思ってんだ。
五戸さんだっておれの二、三歳年上なだけじゃないか。
「別におれ子供じゃないんでそれぐらい普通に思いますけど?」
「なんだよ、今日はやけに張り合うじゃねぇか。じゃどういう子が好みなのか俺にも教えてくれよ」
五戸さんがにやにや笑ってくる。
いいだろう。言ってやろうじゃないか。
この先輩におれの好みの人を聞かせてやろうじゃないか。
が、勢いよく言ったはいいもののおれにそんなものは存在しない。
さてなにか浮かばないかと少しの間首を捻ってみる。
おれが考える一番綺麗な人、は……。
「……長い黒髪」
「ほぉ」
「背が高くて」
「おお」
「目元が涼し気な感じの」
「なるほど」
「…………」
「御厨?」
それ、ただの椿さんじゃねぇか。
五戸さんは多分年上の美女を想像しているだろうが、おれの頭にいるのは二十代後半成人男性だ。
くそ、なんでよりによって椿さんが無意識に出てくるんだ。
「五戸さん、今の話忘れてください。おれお子ちゃまでもいいんで」
「何が起きたんだよお前」
こんなの絶対椿さんに知られたら笑われる。
確かにあの人の顔は綺麗だがそういうんじゃない。おれの語彙じゃ上手く言い表せないが、なんかこう、そういうんじゃないんだよ。
「あら、御厨さんではありませんか」
くだらない話をしていたら、宮瀬さんが横を通りがかっておれに気づいてしまった。
今の話を聞かれてなければいいんだが。
椿さんに知られたら絶対に笑われる。
なに〜? 小鞠くんって俺の顔が好きなわけ〜?とかってウザったらしく絡んでくるんだ。
おれには分かるんだぞ。
「御厨さん?」
しまった。
頭の中で椿さんのめんどくさ発言を思い描くのに集中しすぎた。
宮瀬さんに心配そうに顔を覗き込まれてしまった。
「ん?ああ、いえなんでも。ついこの間も来たばかりですが、今日は職場の先輩と来てるんです」
「あら、そうでしたの。こんにちは」
宮瀬さんはぺこりと五戸さんに礼をするが、なぜか五戸さんはおれのことをぽかんと見つめていた。
今のどこにそんな唖然とする必要が。
「御厨……お前、乙女さんと知り合いなのか」
そうか、宮瀬さんはおれを苗字で呼んでいた。
五戸さんには宮瀬さんについての情報収集以外で言及したことはなかった。
「知り合いっていうかなんていうか。あ、ほら。宮瀬さん、椿凛世の読者なんです。それで、椿さんとこの店に来た時に知り合って」
「椿凛世の!? あ、ああ〜、いやなるほどね。そういや御厨ってあの人に気に入られてるもんな」
「や、別に気に入られてはないですね」
とりあえず椿さんの名前を出してみたら上手く誤魔化せたみたいだ。
まさか、宮瀬さんは椿さんの怪異取材により帝都へ出てきた人だなんて五戸さんには言えない。
しかし、五戸さんも文楽社の人間だ。
椿凛世の作風を知っているから、明らかに顔が引きつっている。
「椿先生の小説はとても興味深いですもの。わたくし、あの方の作品にすっかり惚れ込んでしまいまして」
宮瀬さんはふふっと顔を綻ばせている。
それを見た五戸さんはすっかりでれでれした顔で宮瀬さんを見つめたりなんかして。
本当にこの人は惚れっぽくて調子のいい人だな。
先輩相手に失礼かもしれないが、そういうお気楽さが付き合いやすくていいんだけども。
「乙女さんが椿凛世を読むって意外だったな。あの人の小説って、面白いっちゃ面白いんだけど怖ぇんだよ」
店から出た後。
五戸さんはなんとなく、俺も読んでみるか、などと呟いていた。
そういう目的で椿さんの小説を読む奴は初めて見た。
意中の相手を口説くには、少々刺激的かもしれないが。
「すみません、そこの喫茶店について少しお聞きしたいのですが……」
店を出て早々に、すれ違った人に話しかけられた。
黒い背広を着た、背の高い男性だ。
「はい、なんです?」
五戸さんが対応する後ろで、おれはその人のことをじっと見ていた。
なんかこの人、妙だな。
歳の頃は五戸さんと同じくらいに見える。
人の良さそうな笑顔を浮かべた好青年といった外見だが、なにかが引っかかって仕方がない。
目を合わせたたった一瞬で、おれはその男から視線を外せなかった。
「宮瀬乙女という方がこちらで働いていると聞いたのですが、ご存知でしょうか?」
「ああ、それなら」
「知りません」
おれは五戸さんを遮って知らないと答えていた。
「……御厨?」
五戸さんが驚いた顔でこちらを見ている。
だって宮瀬乙女はそこにいる。
ついさっきまで会話していた相手なのに、突然おれが知らないなどと嘘をついたことで動揺させてしまった。
だがおれは、どうしてもこの男に宮瀬さんのことを教えるわけにはいかないと感じたのだ。
「そんな名前の人は初めて聞きました。その人となんか関係あるんですか」
「いえ、私の……大切な人なんですよ。ご存知ないのなら結構です」
あからさまに態度の悪いおれに対して、彼はにこやかに微笑むと喫茶店には入らずにそのまま去っていった。
しまった。今の態度じゃむしろ宮瀬乙女を匿おうとしているようにも見えただろう。
それじゃ逆効果だ。ここにいると言っているようなものである。
(待て……匿う……?)
匿うって、何から。
何に対して、宮瀬さんを守らなければならないと。
おれは今一体。
「おい御厨!」
五戸さんに肩を揺さぶられて、ハッと正気に戻る。
「お前どうしたんだよ、さっきから変だぞ」
「五戸さん……すんません……なんか、おれ……」
ふわふわした返事しかできないおれに、五戸さんは気を悪くするでもなく、先程の男が去っていった後に視線を向けていた。
「てか、さっきの人も結構怪しかったな。乙女さんのこと大切な人って言ってたけど、ほんとかよ。胡散臭いぜ」
意外なことに、五戸さんもおれと感じたことは同じだったようだ。
大切な人とはずいぶん曖昧な表現だが、それはあの男にとってだけの話なのか、宮瀬さんにとっても大切な人なのかで話は変わってくる。
なにせ、宮瀬さんの身内は誰も生きていない。
椿さんの小説の通りなら、ということだが、椿さんの話を聞いた限りそれは確かなことだろう。
さらに彼女は帝都へ来たばかりだ。親密な相手など作る暇と心の余裕があっただろうか。
「ちょっと、戻って乙女さんに確かめてみようぜ。もしかしたら乙女さんの付きまといかもしれねぇぞ」
五戸さんはそう言いなり引き返そうとしたが、ふと足を止めた。
「雨だ」
ぽつり、ぽつり。
冷たい雫に気づいた五戸さんは、足を止めて空を見上げている。
いつさっきまで晴れていたのに、急に天候が悪くなるなんて。
「あー……こりゃ酷いのが降るな」
五戸さんの言葉通り、その後はあっという間にざあざあと音を立てて空から大量の雨粒が降り注いできた。
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