第6話

 文楽社に戻ってから、こういうのは噂好きの人に聞いてみるかと、おれはとある人を探していた。

 お目当ての人物はちょうどぬぼーっとした顔で暇そうに煙草を吸っていたので、話しかけに行ってみた。


「五戸さん。向かいの喫茶店で働いてる新人の女給さんって知ってますか?」


 女給と聞いて五戸さんはすぐに反応した。


「おっ、どうしたんだ。御厨にしては珍しい話題だな。知ってるよ、乙女さんのことだろう?そりゃあんなに綺麗な人がいたら御厨でも気になっちまうもんなんだな」


「ああいや、五戸さんの思ってるようなやつじゃないです。彼女、朝凪さんと親しいようだからどういう関係なのか気になって」


 朝凪さんの名前を出した途端、五戸さんはきょろきょろと周囲を見回したあと、声をひそめて話す。


「それなんだけどよ、噂じゃ朝凪さんの許嫁だとか恋仲だとかって聞くぜ。朝凪さん、普段はそんな素振り見せないから忘れがちだけど名家の子息だし、乙女さんもどこから来た人なのか分かんないけど世間知らずのお嬢様っぽいし、案外有り得そうな話なんだよなぁ」


「確かにしっくりくる……」


 朝凪さんはああ見えて実は名門朝凪家の子息である。

 田舎から単身飛び出してきて世間のことなどなんにも知らないおれだが、朝凪家の他のご子息の屋敷で使用人として雇ってもらっていた時期があったので朝凪家のことは当然知っている。まあその分家でも色々あって早々に追い出されたんだが、つまり朝凪さんは爵位持ちで高貴な家の出の人だ。

 それなのになんで出版社勤めなのか分からないと度々口にされているが、本人は特にそれについて言及することはないので、そういえば朝凪さんってお金持ちの家の人だよねぐらいの感覚で扱われるようになっている。


(でも朝凪さんと宮瀬さんが出会ったきっかけは椿さんらしいし、許嫁ではなさそうだな……)


 とにかく宮瀬さんの出自が不思議だ。

 おれが気安く聞いていいのか分からなかったので触れずじまいではいるが。


「乙女さんが女給になったのも、朝凪さんの紹介らしいし親密なのは確かなんだよな。乙女さんって普段誰かと喋ってる時以外はぼーっとしてたり妙に物憂げな表情だったりするんだけど、朝凪さんが来たらすぐ笑顔になるし。物憂げな乙女さんも庇護欲がそそられて良いんだけど、やっぱり笑顔が一番だよなぁ。いいなぁ、朝凪さん。金持ちな上な美人さんの恋人もいるなんて羨ましい」


 それなのに嫌味なところがひとつも無い人だからすごいものだ。

 どこまで整っていれば気が済むのかと言いたくなるぐらい。


「まだ恋人って決まったわけじゃないですし、諦めるには早いんじゃないんですかね」


「テキトーなこと言いやがって。どっちにしろ俺に勝ち目はねぇ。俺にできるのはせいぜい通い詰めて店の売り上げに貢献するぐらいかな」


 五戸さんはそう言ってまた煙草を吸う。

 どうやら二人の関係を恋仲だと勘違いした噂が広まっているということはよく分かった。

 おれもついつい朝凪さんのお家柄について忘れがちになってしまうが、他所から見たらお似合いの二人に見えるのは同意できる。


(宮瀬さん、本当に何者なんだろうか)


 おれには基本的に関係の無い人なのだから気にする必要はないはずなのに、無性に気になって仕方ない。

 これは帰ったら椿さんに厳しく追求してみるか、と思った次第であったのだが。



 十三丁目の幽霊屋敷に帰って早々、居間でだらけていた椿さんに尋ねてみたところ、おれは思いがけない事実を知ることになった。


「乙女ちゃんについて知りたい?いいけど、君はもうほとんどのことを知っているはずだよ」


「なに?」


 おれの帰宅を嗅ぎつけた化け猫が、ふてぶてしくもおれの膝の上にドンッと飛び乗ってきた。

 それを撫でてやりながら、椿さんの発言がどういうことかとおれは大人しく話を聞く。


「一番最初に君に貸してあげた小説があったでしょう。あれは三滝坂の前に書いた作品で、題材は人ならざるものに魅入られてしまった少女の話だ。その取材先が乙女ちゃんの暮らしていた村なんだよね」


「え、てことは……」


 おいおいそんなまさか。

 椿さんはさらっと語ってくれたが、確か『亡者の偏愛』というタイトルだっただろうか、なかなかに惨い内容だったはずだ。

 人ならざるものに気に入られてしまった少女が、次々の身の回りの人物が惨殺されて追い詰められていく話だ。

 それもなかなかに酷いやり口で殺されていた。

 さすがに脚色だと思っていたが、まさかそんな、ええ。


「ふふ、信じられないって顔してるね。乙女ちゃんが帝都へ来ることになったのは結末の通りだよ。怪異は封印されて少女は壊滅した村を独り寂しく出て行く。もっとも、村を出ようって最初に言い出したのは俺なんだけどね」


 宮瀬さんの"救われた"という言葉の経緯はそういうことだったらしい。

 椿さんは仲良くなっちゃって〜なんて茶化していたがどうやら事の真相はずいぶんと重い話だった。

 小説では意外にも少女が生存する終わり方だったが、何もかもを失った様子は物悲しく、あまり後味は良いとは言えなかった。

 宮瀬さんは明るく振舞っているが、抱えた心の傷は計り知れないだろう。


「てか、それだったらあんな書き方していいのかよ」


「いいんだよ。俺は商業でやってる作家なわけだし、生半可に手抜きはできない。乙女ちゃん本人からももっと忠実に書いて欲しいって言われてたからね」


 それもそうか。本人から頼まれていたのなら尚更だろう。

 意外や意外にも、この男、締め切りは平気で破る割には小説の出来に関してだけは一切妥協しないのだ。

 いや、妥協しないからこそなんだろう。

 己の納得のいく怪異をえがきたいからこそ、締め切りに間に合わせるためだけに適当に書いたりなんかしない。

 編集部の取った対策としてはあらかじめ嘘の締め切りを教えておくという手法だそうだがそれはそれで社会人としてどうなんだという気はしなくもない。


「本当のところ、宮瀬さんは怪異から逃げきれたんですか」


 体調はどうだとか話していたのを思い出す。

 あれは彼女が病でも患っているのかと思っていたが、原因は怪異だったのだ。

 小説では怪異は封印されたが、実際のところどうなのだろうか。


「さあどうだろうね。それは乙女ちゃん次第だよ。俺たちが勝手に終わらせられることじゃない。乙女ちゃんは人外に魅入られた娘だ。あれは一度手に入れたものに対しては驚くほど執念深い」


「……」


 小説では怨霊とされていた。

 宝玉のような瞳を持つ、男でありながら天女の如き美しさとも描写されている。

 怨霊の美しさと醜さは表裏一体で、それが分かっていながらも人外の力に抗えず、徐々に崩壊していく少女の精神と、迫り来る怨霊の執念深さ。

 椿さんの口ぶりからして、これが全て終わったとは言えないのだろう。

 だがそれはおれのような赤の他人が気安く介入していいものじゃない。

 この話はこれで終わりだ。

 おれにとって宮瀬さんは会社の近くの喫茶店で働くただの女給さん。

 それでいい。



 そんなおれの考えを見透かしていたかのように、おれは思わぬ方向でこの件に巻き込まれていくとはこの時はまだ微塵も考えちゃあいなかった。





「取材旅行、中止したんですか」


 あれから一週間程経った頃。

 もう少しすればおれは幽霊屋敷で悠々自適生活、と思っていたばかりだったのに、夕食時、椿さんは食卓に着くなり旅行を中止すると言ったのだ。


「うん。甲州の方で水害だって。雨なんて降ってないのに。とりあえず今はやめといた方がいい」


 昼間どこかへ遊びに出かけていたと思っていたのだが、その件を調べていたのだろう。

 しかし、水害とはこれまた大事だが、『雨も降ってないのに』とはずいぶん気になる言葉じゃないか。


「へぇ、それはまた珍しいわねぇ。お出かけが無くなってしまったのは残念ですけれど、それって椿さんのお好きな話の類ではないかしら?」


 絹子さんがおれに茶碗を手渡しながらそう言った。

 絹子さんは生前女中だったそうで、やらなくていいと言われても世話をしたくなるそう。

 本人(霊?)曰く料理や掃除ももはや趣味らしく、椿さんは食事の用意を手伝ってもらうなどして本人の好きにやらせている。

 もちろん俺も居候らしく家事手伝いはさせてもらっている。


「その通りさ。被害に遭ったのはおれの目的地とは違うけど、よりによって甲州だからね。場合によってはこれからもっと忙しくなるかも」


「あの、甲州に何かあるんですか」


「ああ、宮瀬乙女の出身地だよ。山間にある水成村ってとこ」


 思い切って聞いてみたら、椿さんは顔色一つ変えずに答えた。


「それは……また…………」


 言葉に詰まるおれをよそに、平然とした顔で煮物を食べている。

 小説では地名はぼかされていたが、そんな名前の村だったのか。

 だとしたらその水成村とやらが、宮瀬さんの因縁の地だということになる。

 そんな所で、雨も降っていないのに突然水害が起きたと。

 宮瀬さんを苦しめた元凶は封印されたが、この件が終わったとは誰も言っていない。


 閉鎖的な田舎の村のあれそれ。

 あんまり、聞いていて楽しい話じゃない。

 ただそれだけ思った。おれは薄情な奴かもしれない。




「さっき庭で大きな蛇を見ちゃったわ。いやあねぇ、早くどこかに行ってくれればいいけど」


 その後、皿洗いをしていたらふいに絹子さんからそんなことを言われた。

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