第5話
「ということで、小鞠くんはおれの家に下宿してくれることになりました!」
ぱちぱちぱち。椿さんの乾いた拍手のみが響く。
文楽社近くの、昼下がりの喫茶店。
店内は多くの客で賑わっているが、おれたちの間に流れる空気感は冷え冷えとしていた。
「御厨くんが、凛世の家に下宿……。すまないね、何度聞いても理解できないよ」
朝凪さんにしては珍しく、深くため息をついている。
今日は朝凪さんにとある報告があって喫茶店に集っている次第だ。
その報告とは、おれが椿さんの家に下宿するというもの。
三滝坂の怪異の件について、椿さんはしっかり原稿を書き上げたのだが、おれにそれを渡す際、よければここに住まないかと誘ってきた。
椿さんに何かお礼がしたいとおれが申し出た直後のことだった。
椿さんへのお礼、すなわち家賃を納めるべくここへ下宿しないかということである。
おれの借りていた安アパートはぼろぼろだし、今後も別の怪異事件に巻き込まれないとは限らない。
椿さんの家なら家具類は一通り揃っているし、怪異事件の心配もない。なぜなら、そもそも既にあの家自体が怪異みたいなものだからだ。
さらに椿さんの家に住めば原稿を受け取りに、わざわざ久良木町まで行く必要も無くなる。
仕事の効率化にもなることだから、ぜひとも住まないかと誘われた。
もちろん最初は断った。
奴の化け物屋敷に誰が好き好んで住むかという話だ。無理に決まっている。
しかし椿さんが善意で勧めてくれているものは断りづらい。
お礼ならなにも住むまでしなくても、と思ったが椿さんは無駄に余っている部屋たちを活用して家賃収入を得ようと考えているらしかった。
本人曰く、これまでまでも知人や後輩の作家に声をかけてみたが、住んでくれる人はほとんどいないい上に住んでくれたとしても一週間と経たず逃げられてしまうのだと。
そりゃ幽霊屋敷なんだから当たり前だろう。
一部の物好きぐらいしか住まないような屋敷だが、おれなら住んでくれると椿さんは思ったらしい。
椿さんから提示された家賃は、おれが思うよりずっと安かった。
そもそもおれは原稿の催促をしに行っただけであるが、たしかに椿さんのおかげで三滝坂の怪異の一件は解決したのだ。
結局、お礼も何もしないままというわけにはいかず、押し切られて椿さんの家に下宿することになった。
まあ、どうせ長く住むつもりは無いから少しの間ぐらいはいいだろう、という次第だ。
「冗談だよね。僕になんの相談も無く御厨くんが決めるわけないだろう。絶対にやめた方がいい」
「いえ、もう決めたことなんで」
「じゃあ本当にあの家に住むのかい?椿凛世の幽霊屋敷だよ?怖くないのかい?」
「もう住んでますよ」
「そんな……。住むところに困っているんだったら、僕が用意してあげたのに……」
朝凪さんはがっくりと項垂れてしまった。
大体、十三丁目の幽霊屋敷のことを知っていればそもそも椿凛世への原稿の催促など引き受けなかった。
それさえ無ければおれは椿さんと出会わず、彼に妙に気に入られることもなく、変わらない平凡な毎日を過ごしていたはずだった。
発端となるお使いを頼んだのは他でもない朝凪さんだが、こんな展開になるなんておれも朝凪さんも想定してなかった話だ。
「おれが椿さんの家に住むことがそんなに変ですか?」
「違う違う、朝凪は小鞠くんに頼って貰えなかったことが悲しいだけだよ」
ミルクセーキがたっぷりと注がれたカップを片手に、椿さんは上機嫌にそんなことを言う。
「悔しいけど凛世の言う通りだね。でも、御厨くんがちゃんと納得して決めたことならそれでいいよ」
「ありがとうございます。あまり心配はかけないようにしますから大丈夫ですよ」
別に朝凪さんのことを信用してないんじゃなくて、ただ迷惑をかけたくないだけだ。
いつまでも朝凪さんに甘えてばかりはいられない。
「そうだねぇ。御厨くんは、凛世の屋敷の物の怪たちとは仲良くできそうかい?」
「それなりには……できているかと」
幽霊屋敷の個性豊かな面々を思い出す。
まず、化け猫。
あんなにかわいい猫なのに、おっさんの渋い声がするんだ。正直、ものすごく複雑ではあるけれど、やはり猫はかわいいので口さえ開かなければ癒しにはなる。
それから絹子さん。
初対面の時は困らされた相手ではあったが、積極的に家事手伝いをしているとすぐに警戒を解いてもらえた。
むしろおれにべったりで怖いぐらい。というか普通に怖い。
おれをかわいがりたいと菓子を持ってきたり遊んであげようと寄ってくるが、おれは赤子じゃないので勘弁して欲しい。よく見ろ、おれはどこもかわいくない。
あとは勝手に開いたり閉じたりする扉や、神出鬼没のどこから来たか知らん子供。
湯呑みが語りかけてきたり、井戸の中から這い出てくる女性、たまに庭で素振りをしてる武士っぽい男性やらなにやら。
姿形は問わずわんさか賑やかなのが出てくる。
幽霊屋敷の名に違わず化け物だらけでしっちゃかめっちゃかだ。
ただ、おれに危害を加えようとするものはおらず、自分たちを怖がらない人間は久々だとかなり友好的に接してもらっている。
「怖くない? 無理はしてはいけないよ」
「怖くないです。全然、まったく」
別に、怖くないし。ほんとに。怖くないし。
あんなんでビビるわけないし。
いきなり背後に立たれても、別になんにも怖くないからな。
「ふ〜ん、小鞠くんは強い子だねぇ」
椿さんが含みのある視線でにやにや笑っている。
「おれ子供じゃないんで」
「そうだったね。ごめんごめん」
余計なこと言うな。次からはあんたのことおっさんって呼ぶぞ。
「凛世も、あまり御厨くんを面倒事に巻き込んじゃあいけないよ」
「分かってる。それに、最近は怪異も特に見つからないし、そろそろ遠征でも行こうかと思ってたんだよね」
遠征、とは。
気になる単語が出てきたが、おれはそのまま話を聞く。
「次はどの辺に行くんだい」
「また尾張に行こうかなって。この前お世話になった酒屋の親父さんとこに挨拶がてら、前回探せなかった方面を探索しようかと」
「そうか、それはいいね。結果を楽しみにしておくよ。くれぐれも変なものを持って帰らないように気をつけてね」
「もちろん。その点はぬかりなく」
椿さんと朝凪さんは親しい友人のように見える。
気心の知れた関係のようだが、二人はいつから友人なのだろうか。
「あの、椿さん。旅にでも出るんですか」
「そんなところかな。取材旅行みたいなものだよ。長く家を空けるつもりはないから、すぐ帰ってくるさ」
「凛世の執筆は特殊だからね。帝都だけじゃ物足りなくなってしまうんだよ」
「へぇ……」
なるほど、新たな怪異を求め椿さんは全国各地へ足を伸ばしているというわけか。
取材旅行といえどその中身は穏やかなものでは無さそうだ。
「朝凪さんも怪異を見たことあるんですか」
椿さんの執筆方法について知っているということは、朝凪さんも怪異の存在を想像上の架空のものではなく実際にいるのだと認知しているということになる。
「そうだね。大体は御厨くんと同じ体験をしたと思うよ」
朝凪さんが見たものはどんな怪異だったのだろう。
あれからいくつか椿さんの小説を読ませてもらったが、朝凪さんがみた怪異も小説になっているのだとしたら一度読んでみたい。
と、そこへ喫茶店の女給から声をかけられた。
「ご歓談中失礼いたします。宗一さまに出版社さまからお呼び出しがあるのですが、いかがいたしましょう」
鈴の音のような澄んだ高い声に、なんだか違和感を覚える。
「ああ、今行くよ。ありがとう、乙女さん」
「お気になさらず」
なにか編集部で問題でも起きたのだろうか。おれも行こうとするが、朝凪さんは大丈夫だと言う。
「まだ休憩時間だし、御厨くんはもうちょっとゆっくりしてていいよ。それじゃ、僕は行くね」
朝凪さんは伝票をさっと手に取り慌ただしく出ていく。
別にわざわざ奢ってもらわなくてもそれぐらいいいのに、朝凪さんには気を遣ってもらってばかりだ。
「奢って貰っちゃったねー」
この男はなんとも思ってなさそうだった。
なんか甘味でも頼めば良かったなー、などとほざいている。
しかし、椿さんは放っておくとしてこの女給がやけに気になる。
(どこかで見たような……)
少し考えてから気がついた。
朝凪さんを宗一さまと呼んでいた少女だ。
文楽社ではなく喫茶店で働いていたのか。しかし、苗字ではなく名前でそれもさま付けで呼ぶとは。
朝凪さんの知り合いのようだが、こちらも気になる関係性だ。
さて、それで朝凪さんが去った後も少女はここへ留まっているが、何か用だろうか。
少女は椿さんの方にくるりと向き直る。
「お久しぶりです、椿先生。なかなかご挨拶にも伺えずすみませんでした」
「え」
なんと驚くことに椿さんにぺこりと頭を下げている。
「いいっていいって。乙女ちゃんもこっちに来たばっかりで忙しかっただろうし、ちょうど今日朝凪への報告ついでに会いに行こうと思ってたんだ」
「そうでしたか、それはありがとうございます。椿先生もお変わりないようで安心しましたわ」
「乙女ちゃんはどうだい。体の調子は」
「以前よりは良くなったかと思います。帝都はあちらと違って賑やかですから、気が紛れますのよ」
完全に置いてけぼりのおれは、二人の間をぽかんと見つめることしか出来ない。
お世話になったってなんだ。彼女は病気でもしているのか、二人は知り合いなのか。
というか椿さんがお世話してもらう側じゃないのか。
「あ、小鞠くんは乙女ちゃんのこと知らなかったね」
「申し遅れました。はじめまして、わたくしは
落ち着いた微笑をたたえた表情に、どこぞのお嬢様みたいな優雅な口調。
慣れない相手におれは若干たじろいでしまう。
朝凪さんのことを宗一さまと呼び、椿さんのことは椿先生と呼ぶ人だが、やっぱり名家の娘さんだったりしそうだ。
「どうも……。おれは御厨小鞠です。一応、文楽社で働いてる者です」
「お会いできて嬉しいですわ。宗一さまから、よくあなたのお話を聞かせていただくんですのよ」
「そ、そうなんですか」
朝凪さんはどんな話をこの人にしてるんだ。
気になるがあの人のおれの子供扱いを考えると知らない方がいい気がする、多分。
「あの、椿さんと宮瀬さんはどこで知り合いに……?」
ちゃらんぽらんな締め切り破り常習犯と深窓の令嬢(かもしれない)人のどこに接点があるというのだ。
「うーん、取材旅行の一環でかなぁ。意図的に探しに行ったわけじゃないんだけど、たまたま気になる怪異の存在を聞いて調べに行った時に現地の村で知り合ったんだよね。色々あって仲良くなっちゃった」
「あの、それ怪しいやつじゃ……」
仲良くってなんだよ。
あんたが言うといかがわしくなる。
「ひどいなぁ。俺はそんな悪い大人なんかじゃないよ」
椿さんはへらへら笑っている。
そういう態度だから疑われるんだぞ。
「椿先生はわたくしを救ってくださったお方ですわ。あの村から帝都へ出てこられたのも、椿先生が宗一さまを紹介してくださったおかげですもの。椿先生に会えなかったら、わたくしは今もあの村に閉じ込められたままでしたもの」
椿さんを庇うように宮瀬さんはそう言うが、一体何があったんだよ、その村で。
別の意味でますます怪しさが増してくる。
椿さんの遠征とやらの中身を詳しく聞かせてもらいたくなってきた。
「椿先生には、本当に感謝しかありまんわ……!」
宮瀬さんはきらきらした無垢な瞳で椿さんのことをうっとりと見つめている。
「おいあんたほんとに何も無いんだろうな?」
「ひどいよ! 乙女ちゃんはちょっと大袈裟なだけなんだよ!」
大袈裟と言われて気づいたのか、宮瀬さんはこほん、と仕切り直すように咳払いをする。
「ともかく、そういうことですので椿先生には大変お世話になったんですのよ。また後日、改めて伺わせていただきますね」
「急がなくてもいつでもいいんだよ。暇な時に遊びにおいで」
「しばらくの間はここで働かせて頂く予定ですので、椿先生も御厨さんもまたいつでもいらしてくださいね」
ぺこりと頭を下げた後、宮瀬さんは仕事に戻っていく。
いつの間にかそれなりに時間が経っていたらしい。
アイスコーヒーの中の氷はすっかり溶けてしまっていた。
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