4,三つの「W」
「ペンギンはどこからやってくるのか」
姫路が言った。姫路は男の声をしていた。男の中でも低めの方だろう。どう頑張ったって低い声の女性というセンはない。
僕は内心のがっかりを抑えられず、テンションが地に落ちたままの低い声で呟く。
「どこから……」
「稲荷、そんなにがっかりすんなよ」
口調まで違う。僕のイメージしていた兎・リシュー・姫路と全然違う。姫路は僕のことを紺ちゃんと呼ぶし、語尾だってそんなに粗野じゃない。
「うう」
「それともこっちのほうがいーい? 紺ちゃん」
「やめてッ」
姫路の美少女アバターから発される男の声を聞いて、僕は脊髄から答えた。
「普通にして、頼むから」
「だろー? そうなるんだよな」
見抜かれていて、バレている。もう嫌だよ、と叫びたくなる。だが叫べない。そこまで魂が軟弱ではないぞ、稲荷・F・紺。
「姫路はなんでメタで女装してるの」
僕は本題から逸れていることを自覚しながら、尋ねる。三十分前に知った姫路の秘密はまだ僕のいたいけな心を斧の角で殴り続けていた。
「え? せっかく第二の世界だから体験できないこと体験してみたいじゃん。そう思わない?」
「なるほど」
僕は自分の両足を見てから、かわいらしい姫路のアバターに視線を戻す。
「ちょっと、いや、よくわかる」
わかるが、斧の角で殴られ続ける僕の心はしくしく泣いている。
さらば何度目かの恋。
姫路は画面共有を使って、図面の上に例のペンギンが現れた箇所を記せと僕に指示を飛ばしてきた。動物園の海獣ゾーン、ペンギン水槽前。記憶のままに、僕はそこへ赤丸をつけた。
「何羽いた?」
「とにかくたくさん。数えている場合じゃなかった。僕の造った子たちよりたくさんいた」
「十八羽以上」
「資料で見たものそのままだったよ」
姫路の激しいタイプ音を聞きながら僕は当時を思い返す。もう三日も経つ。三日も経つのに、なんの手がかりも得られない。あのペンギンたちはなんなのか。どこから発生してどこへ消えたのか。
「バグにしておくにはもったいないクオリティだったって?」
「そこだけ画素数が違った……気がする。あのペンギンを僕が造ろうと思ったら、一匹に1年はかかる」
丸い目も、羽の毛羽立ちも、足音さえも。映像データ、画像、図鑑などを参考に作り上げた動物、絶滅した幻のペンギン。それをそのままあのメタ
「あんな動物モデラーがいたら、たぶん話題になってる」
そして奴らは、僕の造ったペンギンを喰った。そして空間の壁、世界の壁をすり抜けて、どこかへと去っていった……。
「何もわからない。まず、誰が、なんのために、どのようにペンギンをこの場にけしかけたのか」
姫路が唸る。僕は手のひらを眺めて、壊れてしまった我が子を思い出した。
「僕の造ったペンギンを破壊するため?」
「うーん……破壊してどうすんだ?」
「じゃあ、立花さんへの嫌がらせ」
「嫌がらせにしてはチンケだ。タッちゃんを困らせたいんならまずふれあいコーナー爆破した方が早い」
立花さんはタッちゃん呼びでも普通に聞こえる。不思議だ。
「ふれあいコーナーっていうと、やたらと注文が多かったラブラドール・レトリバーがいるところか」
あの子は会心の作だ。ふれあいコーナーだから、ペンギンやほかの展示物たちと違って足音や鳴き声まで作りこんである。
「タッちゃんはでかい犬好きだから」
「そこ?」
「そうだよ。そこだよ。……だからまず、このペンギンの件、動機が分からない」
姫路は画面の隅にピンクの字で「WHY?」と書き込んだ。
「そんで、誰がけしかけたかもわからない。タッちゃんに感謝する人こそいるけど憎む人がいるとは考えにくい。本人にも何回も聞いたけど、人から恨みを買うような真似はしていないはずだって」
「一方的に恨まれてるって線は?」
「あるかもしれないけど、手掛かり0だ」
付け足される「WHO?」
「そして、壁をすり抜けて存在しない角を曲がっていったってことは、そもそもあのペンギンはなんなのかってことも考えなきゃならない。バースを自分で跨げるオブジェクトなんかそうそうないよ」
「……そうだよね」
なぜ?だれが?のあいだに一際大きな「WHAT?」
僕は腕を組んだ。姫路も黙ってしまった。
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