3,ペンギン

 動物園に着いた僕たちはまず問題の海獣かいじゅうエリアに足を運ぶ。立花氏いわく、そのデータを喰うというペンギンの群れはペンギンの展示エリアから発生したとのことだ。

 一時休園の園内にいる僕のペンギンたちは、確かにところどころ欠けていた。破損したデータは黒々とした穴を彼らの体に開け、言われて見れば何かにかじられたような痕に見える。動けるものと動けないものとがいて、後者に関しては水際で飛び込むような姿勢のまま固まっフリーズしていた。

「あー、派手に壊れてるな、これは」

 三次元の僕が大きなため息をついたあたりで、姫路が言った。

ボク、ちょっとアバター抜ける。紺ちゃんはここから世界バースを観察して」

「了解」


 姫路の体が僕の側から消える。代わりに全体チャットに移ったらしい姫路から、すかさず指示が飛んできた。


「展示エリアへのロックを解除した。ペンギン水槽の中に入って、どれでもいいからペンギン持ってみて」

「了解」


 僕は現れた扉を開ける。水は零れることなく僕を包みこみ、そしてペンギンは逃げることなくきょとんとこちらを見た。僕はそいつをむんずと掴む。……つかめた。マウスをクリックする指の感触ひとつで、ペンギンをとらえる。限りなくそれらしく誂えられたエフェクトに過ぎない水槽の青い水は、僕の胸元でひたひたと揺れていた。


「持ち上げられる?」

「もちろん」


 ペンギンを持ち上げてみる。データが多少壊れた以外は、僕がデザインしたペンギンのままだ。五年前と大差ない。


「んー、ちょい待ち」


 姫路がそう呟いたかと思うと、あの愛らしいアバターが僕の隣に現れた。


「あそこで壊れてる方はどう? みたところ空間で座標が止まってるじゃない? でも、さっきから確かめてみたときは、あのペンギンは

「確かめてみるか」

 

 僕は宙に浮いて動きを止めてしまったペンギンに手を伸ばすが、何度僕がそれを掴もうとしても、バース世界の僕の手は何もつかめなかった。宙を掻く僕の手を確認した姫路は、再び姿を消し、全体チャットを駆使して僕に指示を出す。


「もうちょっと左はどう?」「間違えた右、紺ちゃんに向かって右」

「どっちだよ」


 上に浮かび上がる赤い文字を頼りに僕は微細にマウスを動かしてペンギンの質感を確かめていく。だけどその宙づりのペンギンはどうしてもつかめなかった。

 ――見えるのに存在しない。でもこれは間違いなく、僕がデザインしたペンギンだ。

 

「触れない? やっぱり? 別注したメタ空間とメタ物質オブジェクトが合体するなんてことある?」

「現にあるだろ、ここで」


 僕は虚空に向かって手をわきわきと動かして見せた。


「まったくつかめないオブジェクトがある、僕のペンギンと姫路の水槽がくっついてる」

「へんだなー。こっちは全然壊れてないんだよ。正常そのものだ」


 姫路が一人でぶつぶつ言っている。三次元で独り言を言わないタイプなのか、それとも思考の過程を僕にも共有しようとしているのか。それすら僕はわからない。でも僕はこの時間が嫌いじゃない。


「ペンギンの数がおかしいってこともないし。だって18匹でしょ? その存在してるのにしてない怪しい子を含めて18。だとするとペンギンの破損か、ハード筐体側の不具合が考えられるけど、僕と紺ちゃんが見てるものは同じっぽいし、タッちゃんの報告とも一致するし、ペンギンの破損だとしても、融合しちゃってるってどうなの」

 そこで僕は思い出す。データを喰うペンギンの話。

「その、立花さんが言ってた、どこからか出てくるペンギンていうのは」



 僕は一度そのチャットを送信してしまってから、気づく。僕の背後にペンギンが一羽立っていて、ぺたぺたとその足を鳴らしていた。確かに音がした。

 メタハウスの愛玩動物でなければ組み込まれないはずの足音が。


「……ペンギンだ」

「え? なになに? ペンギンn?」

 赤い文字が動揺を隠しきれずに揺れる。僕は素早く目視でペンギンの数を数えた。18。宙で止まっている彼も含めて18、僕の子供たちだ。それ以外に、ペンギンが一匹。

「19匹目のペンギンが出た」

 タイプしている間にも、足音のあるペンギンの数は増えていく。

 ぺたぺた、ぺたぺた。ぺたぺた、ぺたぺた。

「姫路、そっちから何か見えない?」

ぺたぺた、ぺたぺた。くえ、くえ。

「何も見えない! 反応なし! そっちに行k」

「ダメだ。観測してて。このメタバースの中にってことを証明して!」

 僕は姫路が降りてくる前に打ち込んだ。そして画面キャプチャを回し、増え続けて群れになっていくペンギンと対峙した。群れ。群れとしか言いようが無かった。そのペンギンは、僕の造った子供たちよりよほどペンギンらしく自然で、僕が苦心して参照したあらゆる資料を総合し、そのまま立体にしたかのようだった。

 なにせ、ペンギンが絶滅してしまって久しいのだ。だれもそのホンモノを見たことが無い。


 ペンギンはよちよちと思い思いの方向へ歩みを進めていき、僕のペンギンにかぶりつく。僕の子供たちは何も言わずに食べられていく。僕はかたずをのみ、その光景を見守った。姫路がすべて観測し記録していてくれることを祈った。そうでなければ。そうでなければ!


「ねえ、何も見えない! 何が起こってるの」

「くっそ!」


 それを見た瞬間、僕はペンギンたちから我が子を奪い取った。

 ペンギンはくえくえと鳴きながら、ばたばたと飛べない翼をはばたかし、ある一点へ向けて歩き出した。ぞろぞろと群れをなして進んでいく彼らの後を追う。彼らは海獣エリアを横切り、自動販売機の向こう側へ進んでいく。そして僕はそこで、世界バースの壁に阻まれる。がつん、と音を立てんばかりに軋んだ僕のアバターは、自販機の隣で無様にもがいた。

 ペンギンたちは壁の向こう側を悠々と歩いて遠くへ見えなくなった。描きこまれた角を曲がって、去っていく。


「なんなんだよ、これ」

「何が起きたの……?」


 姫路がアバターで降りてきた。僕は見えざる世界の壁を殴るモーションをした。


「世界の外側に出て行った。出現とほぼ同時に回した画面キャプチャがあるから、見てほしい」


 用件だけ打ち込んで、僕は椅子の背もたれに沈み込んだ。訳が分からなかった。

 バースを通り抜けるペンギンの群れだって?

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