三学期から学校に復帰した子

区隅 憲(クズミケン)

三学期から学校に復帰した子

「今日は冬休みが明けた三学期の始まりだが、みんなに紹介したい生徒がいる」


 1月のホームルームが始まると、川淵先生が女生徒を連れて入ったきた。私はその顔を見てハッとなる。


「……加守千恵里かもりちえりです。よろしくお願いします」


 女の子が控え目に頭を下げる。もの静かで大人しい雰囲気だった。


「加守は去年の4月末に急病で学校に来られなかったんだが、冬休み頃にやっと病状が落ち着いたんだ。復帰したばかりで色々わからないこともあるだろうが、みんな仲良くしてやってくれ」


 木ノ次中学校の1年1組で、まばらな拍手が鳴る。パチパチと響く教室の中を歩き、千恵里ちゃんは私の隣に座った。


「ひ、久しぶり千恵里ちゃん。私のこと覚えてる?」


 私は緊張しながら笑顔を作る。千恵里ちゃんはゆっくりと振りかえった。


「4月に私が学校で迷子になった時、千恵里ちゃん道案内してくれたでしょ? それで私たち、友達になったよね?」


「……ごめんなさい。全然覚えてない」


 申し訳なさそうに千恵里ちゃんは顔を俯ける。私は少し落胆した。


「ああ~、そうだよねぇ。流石に10か月も経ってるんだから仕方ないよね。私、三和神奈子みわかなこ。よろしくね千恵里ちゃん」


「よ、よろしく三和さん……」


「『神奈子』でいいよ。4月の時にもそう呼んでたでしょ?」


「あっ、うん。よろしく神奈子さん……」


 私が差し出した手をおずおずと握る。控え目に繋いだ手を振り合った。


(う~ん、4月の頃はもっと明るかったと思うけど、すっかり暗い感じになっちゃったなぁ。やっぱり長い間病気だったから元気もなくなっちゃったのかな?)


 私は千恵里ちゃんの顔をまじまじと見つめる。


(でも大丈夫だよね! 千恵里ちゃんも学校に慣れれば元気を取り戻してくれるはず。千恵里ちゃんには恩があるんだし、私が千恵里ちゃんを助けてあげよう!)


 そう心の中で決心すると、私は千恵里ちゃんにさっそく、昼休み一緒にご飯を食べようと誘った。



***



「あ~あ、掃除とかめんどくさいよねぇ」



 その日の放課後となり、私と千恵里ちゃんは校舎裏のゴミ捨て場までやってきた。二人でパンパンになったゴミ袋を両手に持っている。


「こういうのって普通、清掃員の人にやらせるべきだよね~。何で私たち生徒がやらないといけないんだか。どうせなら給料寄越せっての」


 ボヤキながらゴム袋をゴミ捨て場に放り投げる。作業を終えて振りかえると、千恵里ちゃんはゴミ袋を持ったまま遠くを眺めていた。


「何してるの千恵里ちゃん?」


「うん、あれ使えるのかなって思って」


 同じ方向を見ると、焼却炉があった。かなり古びており、いつ作られたかもわからない。


「う~ん、どうだろうね? 使えないことはない気もするけど、多分生徒は使っちゃダメだって先生に言われると思う」


「…………」


 千恵里ちゃんは焼却炉をじっと見続ける。

まだゴミ袋を両手に持ってるのに、それに気にかけている様子もない。

私は千恵里ちゃんの傍まで行くと、ゴミ袋を奪い取った。


「あっ!」


「はい任務完了~っと。掃除も済んだし、ちょっと私とお喋りしない?」


 ゴミ袋を片付けた私は、千恵里ちゃんに呼びかける。

千恵里ちゃんは焼却炉から目を離し、私のほうを向いた。


「まずはじゃあ……千恵里ちゃんは普段家でどんなことしてる?」


「……家の手伝いしてる。料理とか洗濯とか。お父さん外科医で忙しいから」


「へぇ~そうなんだ! お父さんがお医者さんなんて凄いね!」


「うん、私のお父さん神田市立病院の院長なの」


「あっ、それ近所! 私も定期的にその病院通ってるよ。頭痛持ちでさぁ」


 私は自嘲気味に笑う。少しずつ会話が弾んでいた。


「それじゃお母さんは?」


「……お母さんは、えっと……専業主婦」


「へ~そっかぁ。家族を支えてるんだね。得意な料理とかある?」


「……えっと、その、お母さん、何作ってたかな?」


「えっ?」


 急に千恵里ちゃんの声が歯切れ悪くなる。


「あっ、いや、その、私最近、お母さんとあんまり顔を合わせてないから」


「そうなの? ごめん、何か立ち入ったこと聞いちゃって」


「……ううん、気にしないで。神奈子さんは悪くないよ」


 どことなく気まずい雰囲気が流れる。

私は空気を変えるべく、もう一度明るい声を上げた。


「あっ、そうだ! 今日の放課後どこか遊びに行かない? カラオケとか」


「……ごめん、私、妹の世話しないといけないから。生まれたばかりなの」


「えっ、そうなの? 千恵里ちゃん妹さんいたんだ。あれっ? でもお母さんは専業主婦なんだよね? お母さんは赤ちゃんのお世話してないの?」


「……えっと、その」


 言葉に詰まり、また千恵里ちゃんは顔を俯ける。


「……お母さん、出産のとき帝王切開したから」


「ええっ!? それって大手術じゃん!?」


 私は思わず素っ頓狂な声を上げる。


「うん、凄く大変だった。出産の時、逆子だったの。それで、普通に生むのは命に関わるって言われて、お腹切ったの」


「そっかぁ……。私、帝王切開なんてドラマの中でしか聞いたことなかったよ」


「……うん。だから今も、入院中」


 沈んだ表情を千恵里ちゃんは覗かせる。

家庭が大変なことを知り、私は千恵里ちゃんに同情する気持ちが生まれた。


「そっか、そんな事情があるなら仕方ないね。じゃあ私も帰るね千恵里ちゃん。私に手伝えることがあったら何でも相談してね。出来る限り協力するよ」


「うん、ありがとう神奈子さん」


 そして私と千恵里ちゃんは別れの挨拶を交わした。



***



 1週間が経ち、私と千恵里ちゃんは少しずつ仲良くなった。自分で毎日手作り弁当を作ってるとか、病気の時は課題のプリントをたんまりとこなしていたとか、昼休みの雑談で千恵里ちゃんのことを知った。


「あ~あ、今日も私たちゴミ捨てかぁ。さっさと掃除の当番代わってほしいよね~」


 放課後の掃除の時間、私と千恵里ちゃんはまた校舎裏のゴミ捨て場に行った。千恵里ちゃんは私の後を黙ってついてきている。


「学校にはもう慣れた? 先生の授業とかちゃんと理解できる?」


 ゴミを投げ捨てながら、わたしは千恵里ちゃんに振り向く。


「うん、今は少しずつ取り戻してるところ。学校を休んでた時も自主勉強はしてたから、何とか」


「そっか。休んでる時も勉強してたなんて千恵里ちゃんは偉いね。私もあんまり頭良くないけど、わからないことがあったらいつでも相談してね」


「うん、ありがとう神奈子さん」


 ブー、ブー、ブー


 私のポケットから、スマホのマナーモードが鳴った。メッセージを確認すると、弟の良太からだった。


「あ~っ! また良太のヤツ早く帰ってゲームやろうって言ってる! どうせ私のことボコボコにしたいだけの癖に!」


「もしかして、弟さん?」


「あっ、うん。一つ下の弟。私が言うのもなんだけど、ホントシスコンなんだよねぇ。いつもいつも私のこと付き纏ってきてさぁ。全くいつになったら姉離れできるのかって感じ!」


 文句を垂れていると、千恵里ちゃんは何故か考え込む仕草を見せた。


「……男の人って、みんなそういうものだと思うよ。女の人から離れられないの」


「えっ?」


 ポツリと呟かれた言葉に、私はきょとんとした顔になる。


「寂しいんだと思う。女の人がいないと。だから、男の人は女の人が傍にいないとダメなんだと思う」


「急にどうしたの千恵里ちゃん?」


 俯けた顔を、千恵里ちゃんはハッとなって上げる。私から目を逸らし、視線を泳がせた。


「……ごめん、何でもない。私、変なこと言ってた」


 独り言のように呟くと、私の横を通りすぎてゴミ袋を投げ捨てる。そのままそそくさと私に背中を向けた。


「じゃあそろそろ私帰るね。今日も妹の世話しなくちゃいけないから」


「あっ、うん。頑張ってね千恵里ちゃん! また明日も会おうね!」


 逃げるように去っていく千恵里ちゃんに、私は大声で挨拶した。



***



 同じ日の学校の帰り道、私は定期健診のために神田市立病院に向かった。

院内は人で溢れかえり、みんなうんざりした表情を浮かべている。


(あ~あ、今日も混んでるなぁこの病院。診察は5分もかからないくせにホント嫌になっちゃう)


 1時間ほど待たされてやっと自分の番号が呼ばれた。

薬を渡され、そのまま会計も済ませた。


(あっ、ちょっとおしっこしたくなってきた)


 私は案内の地図を確認し、トイレへ向かう。

トイレの角を曲がろうとした時、話し声が聞こえてきた。清掃員らしき二人組の中年のおばさんが目に入る。


「ねぇ知ってる? ここの院長先生の話。最近就任したばかりの加守院長」


 ひそひそと人目を憚るように会話をしている。

……加守……加守……あっ、千恵里ちゃんのお父さんのことだ!

それに気づくと、とっさに角に隠れて聞き耳を立てる。


「ネットの掲示板で見たんだけど、この病院の院長先生って不倫してたらしいわよ? それが原因で去年の2月に奥さんとも離婚したんですって。奥さんももうこの町から出て行って行方知れず」


(えっ?)


 私は耳を疑った。確か千恵里ちゃんのお母さんって、いま入院してるはずじゃ……。


「あらそうなの? 私もこの病院に長く勤めてるけど、そんな先生がこの病院の責任者だなんて心配だわ。変なスキャンダルを起こしてクビにでもなったら、この病院潰れちゃうかも。全く、一人娘がいるっていうのにしっかりしてほしいわよね」


(一人娘?)


 ますます疑問が大きくなる。確か千恵里ちゃんには、生まれたばかりの妹がいるはずじゃ……。


 プルルルル プルルルル


 その時、ポケットから着信音が鳴る。画面を開くと、『加守千恵里』の名前が表示されていた。


「もしもし千恵里ちゃん。どうしたの?」


「ねぇ神奈子さん。私たち、友達だよね?」


 開口一番、唐突な質問が耳に届く。


「う、うん。もちろんだよ千恵里ちゃん。どうしたの急に? 千恵里ちゃんから電話かけてくるなんて初めてだよね?」


「神奈子さん、今から木ノ次中学校の校舎裏まで来てくれない? 大事な話があるの」


「えっ、でももう7時前だよ? どうしてこんな時間に?」


「じゃあ、絶対来てね。約束だから」


 ツー、ツー、ツー


 一方的に電話が切られた。


(千恵里ちゃん、何だか様子がおかしいよ。大事な話ってなに?)


 胸に不安が過り、私は急いで木ノ次中学校へ向かった。



***



 木ノ次中学校の校門を抜けると、急に変な臭いが漂ってきた。何か吐き気を催すような、煙たくて不快な臭い。とっさに私は鼻を覆う。


(何なのこれ? 千恵里ちゃんは大丈夫なの?)


 私は弾かれたように駆け出して、校舎裏に辿り着く。

焼却炉の前に千恵里ちゃんが立っていた。投入扉が開きっ放しになっており、中からごうごうと炎が燃え盛っている。


「千恵里ちゃん!」


 私の声に千恵里ちゃんが振り向く。けれど月明りに照らされた瞳には、生気が感じられない。


「千恵里ちゃん、何してるの!? 何この臭い!?」


「妹だよ。名前もつけてあげられなかったけど」


「えっ?」


 私は凍りついたように足を止めた。


「な、何言ってるの千恵里ちゃん? 変な冗談言わないでよ」


「……ねぇ、神奈子さん。私はいつまで、嘘をつかないといけないのかな?」


 千恵里ちゃんは低い声で呟くと、突然制服のボタンを外し始めた。パサリ、とブレザーを地面に落とす。


「私はね、どうしたらいいのかわからなかった。でも、お父さんのことが好きだった。お母さんまでいなくなったのに、見放されるなんて怖かった」


 千恵里ちゃんはスカートのチャックに手をかける。裾元まで下げると、またパサリと衣服を落とす。そして今度は、露わになった下着に手を伸ばす。


「ちょ、ちょっと何言ってるの!? 何やってるの!? 全然意味がわかんないよ!」


「痛かった。痛かったよあの時は。神奈子さんは刃物で切られたことある? 私、喉が千切れそうなほど叫んじゃった。それでも外に漏れちゃいけないから、口塞がれて、無理矢理体も縛り付けられて。けっきょく血だらけになった後、大事な女の子の部分も失っちゃった」


 足首まで下着をずり下ろし、取り払う。千恵里ちゃんはYシャツ一枚の姿になった。そのYシャツの裾を腕でたくし上げる。捲り上げたお腹が、背後の炎に照らされてくっきりと見える。


「それでも私は、お父さんを守らなきゃいけなかった。だってこれが、私とお父さんの家族の形だから」


 へその下には、縦長の大きな傷跡が刻まれていた。




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