about him(2)②
屋外と言っても、ここの敷地は、どこまであるのか分かりかねるほど広い。歩こうと思えばどこまでも歩けそうな様子があった。
しかし、なんとはなしに足を動かしてみると、辿り着いたのはいつもの中庭だ。
先客がいた。
<こんにちわ>
「ああ、こんにちわ」
のんびりと猫と戯れていたのは、先ほどチカムユニカにアルパカと間違われた、もう一人の白いふわふわした人物だ。
額に何かの角の跡がある。全体的な様子から察するに(空気を読んだということだ)、それは鹿角なのだろう。
彼の名前は、ハッカという。
<今日は一人?>
「そうだな。お前は、今日は暇なのか」
ハッカの隣に座り込むと、彼の上に乗っていた一匹がこちらへ渡ってきた。胡坐を組んだ足の間でくるくると回っていたが、やがてぽすんと丸く収まった。
俺が尋ねると、ハッカは<いつも暇だけどね>と笑った。
アルパカと同じようにふんわりとした空気を持っているのだが、彼とは違って言葉遣いはしっかりとしているので、ほかの住人が言うほどほわほわしたイメージは俺には無いのだが。
前にそんな話をハッカ本人としていたのだが、<それはニウエシュカだからなんだよ>と返されてしまった。
彼が呼ぶ俺の名前が、俺が把握している名前の音と若干ずれることも含め、その意味を、未だに把握できていない。
「イクトラを見なかったか。ちょっと探しているんだ」
足に収まった猫の背を撫でながら尋ねると、ハッカはうーんと考えながら頭上の木漏れ日を見上げた。
<さっき、モェルガイスと話していたのは見たけど、その後どこに行ってしまったかな…>
「親分とか…… ああ、じゃあ俺が聞いたのはその後だったのか」
<? なにかあったの?>
追いかけている状況を察してくれたのだろう、ハッカは少し心配げに俺を見下ろした。
遠目からでも、その双眸は不思議な造形をしている。人の目とは異なる横長の光彩を持っているのだが、まるで若草色の宝石のように綺麗だ。
思わず黙って見入ってしまったときには、<ちょっと恥ずかしいな>と照れさせてしまった。
俺は笑い返したのだが、多少苦かったかもしれない。
「それが分からないんだ、俺にも。怒らせてしまったようではないのだけど。
ハッカは何か聞いていないか」
俺が尋ねると、ハッカはなんだか寂し気に笑った。
いつも朗らかに笑っている彼だ。だから、そんな笑い方をするとは思わなかったので、ぎょっとしてしまう。
「すまない。何か悪いことを聞いてしまったか」
<大丈夫、ニウエシュカ、あなたは悪くないよ。
ただね、私は『お兄ちゃん』とは、あなたほどお話ができないんだよ>
「……… どゆこと」
彼の言葉は難しいわけではないのに、その意味を掴みかねる。こういうところは、もしかしたらアルパカに似ているのかもしれないのだが。
ハッカは、何か考えるように俺を見つめていた。どう説明したものか、とそれは悩んでいるようにも見えた。
猫を撫でている手が止まってしまっていたらしい、小さくて暖かな頭が手のひらに押し付けられた。ああ、とそれに気づいてもう一度撫で始めると、木漏れ日が落ちるようにハッカの声が降ってきた。
<あるいは、あなたと『お兄ちゃん』は似ているのかもしれない。
だから、彼もあなたが気になるのかな>
どこからの接続だったのか(それは彼の中で整理された続きだったのか)、ハッカの話しは唐突にも聞こえたが、俺は続きを聞くために彼を振り仰いだ。
<あなたもまた、その中に何も持っていないよね。
『お兄ちゃん』はそれを補おうとしているけれど、あなたはそれでも構わない…そういうものだと思っているね。
そこが『お兄ちゃん』とは違うんだ。あなたは、つまるところ、誰かを必要としていない>
そうじゃない?とハッカは聞いてくる。
それは決して責めるものではないのだが、俺は頷きかねた。ここで頷いてしまってはいけないような、誰かを深く傷つけそうな気がしたのだ。
その様子を、ハッカはどこか安堵したような笑みで見ていた。
<…… あなたのような存在をね、私は知っているよ。白い小さな女の子なんだ。
気を付けて、ニウエシュカ。あなたは、その色を持ってはいないんだ>
「な、何を……?
すまないが、お前が何を言っているのか、俺にはさっぱり……」
聞き続けていれば分かるだろうかと思って聞いていたが、結論付けられてもまだ、俺には彼が何を言っているのか何一つ理解できなかった。
ただ、先ほどのハッカの寂しそうな笑みが気になって仕方ない。
<うーーん…… そうだなあ……何と言ったらいいのか>
「俺のことはいいから、お前とイクトラと、何があったんだ。
上手く話すことができないなら、俺が間に入るぞ」
俺の言葉に、ハッカは<ああ>と、今思い出しました、みたいな顔をする。
そうして、ふふ、と今度は可笑し気に笑うのだ。
<ずっとそれが気になってたんだね。
ごめん、ね。大丈夫だよ、それは、大丈夫っていうか…… 仕方のないことなんだよ>
「そう、なのか……? 俺が間に入っても?」
<ずっと一緒にいることもできないじゃない?>
そこで言い詰まってしまったのは、彼の言葉への同意でもあったが、同時に、イクトラとハッカが歩み寄る可能性も皆無であると、推し量ってしまったからだ。
言葉が通じる同士ならば、たとえ最初はたどたどしくとも話し続ければ相手が何を言っているのか分かるようになってくるものだ。
それがない、と。ハッカは言ったのだ。
あの人の開かれた窓をもってしても、それが叶わないというのか。色の付いた眼鏡の奥で笑う笑顔が脳裏をよぎる。
身体が細くて弱いらしいのに、それでも、なんとかしてしまえるような力を持っているように見えるのだがなあ。
「なにか」
言葉が分かるのが、俺では無くて、イクトラの方だったら良かったのに。
「…… なにか、彼に伝えたいことがあったら、俺に言ってくれていいんだからな」
<うん。ありがとう>
出来ることがそれしかないのだが、ハッカはにこりと笑って、そう言ってくれた。
「たいちょ」
ハナガタミへ戻ってきたところで、後ろから声を掛けられた。聞き馴染んだ声に振り返れば、ゆっくりとした足取りでアルパカが歩いてくる。
よお、と軽く挙げたその手を、はっしと掴まれた。
「? ねむそう。どうしたの」
「眠いが、どうしたと聞かれると、分からん」
かたりとアルパカは首を傾げる。「なにしてきたの」
え、なに、て。何を聞きたいんだこの子は。疲れてるとかそういうことかな。
「いろいろ。 ハナガタミの人と話してきただけだぞ、トレーニングとかはしてないし、怪我もしてない」
「はながたみのひとと…… はっかと?」
「ああ、そうだな、ハッカとも」
「ああ」
なるほど、とアルパカは何か納得したように頷く。のだが、一体何に納得したんだ。
なんでそこで一番にハッカが出てくるんだろうと思いながらアルパカを見上げていると、彼はハシバミの瞳をぱたぱたと瞬かせて俺を見下ろした。
「へやにもどって、ねるってこと?」
「うん。少し寝た方がすっきりしそうだからな」
「そんなにねむいの」
「人の話を聞いてたら寝てそうなくらいには」
ええ……、とアルパカは呻くように口を曲げる。「あるける?」と取られた手を軽く引かれた。
さすがにそこまでは朦朧としているわけではない。俺は彼の腕をポンポンと叩いて笑う。
「歩ける歩ける、さすがに。
お前の姿を見ると安心するのか、さらに眠くなってきたけどな」
まるで条件反射だ。
アルパカは驚いたようにハシバミを瞬かせたが、やがて小さく笑った。
「へやまでおくる」
「そうか、」
ありがとうな、と。俺が礼を言うと、アルパカは嬉しそうに目を細めたのだ。
さて。
部屋を出ると廊下の先は吹き抜けになっている。階下は談話室だ。
ここに来てからずっと親しくさせてもらっているわんこの子の声が、楽し気に聞こえてきていた。
それから、もう一つ。低くは無いけれど、少し掠れているような、空気の含有量が多めの響きをした声。
「あ、うん、えーと、…… じゃあ、最近何話したの」
「好きなもののお話なのなー!」
…… そう言えば、そんな話もしていた。あのわんこの子の好きなものの話しを聞いた覚えがある。
そこで、俺はもう一つ思い出した。そうして、ああ、おそらくはそれが、イクトラが動いたきっかけになったのかもしれない。
イクトラは、あのマフィアの子のことを気にかけていたようだったし。
ああ……もしそうだったら、たしかに、思い当たることも一つある。
そう思いながら階段を下りて、しかし、もしかしたら全く思い違っているかもしれなくて。
ひとまず、俺はようやく見つけた彼に、声を掛けたのだ。
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