about him(3)/ 幾寅
頭が小さいのだろうか。見た印象よりも実際の身長が低くて驚いてしまう。
黒目黒髪は俺たちと同じなのだが、顔立ちや肌の色が明らかに日本人ではない。イメージで言うと東南アジア圏なのかなと感じている。
完全に真っ黒い双眸というのは、実は日本人でも珍しいのだと聞く。そんな珍しい真っ黒な瞳があまり温度の感じられない様子で俺を見下ろしていた。
きっくんもよく同じような眼差しをするのだが、きっくんの要因は知っている。この彼はどうなのだろう。
「こんばんわ、隊長ちゃん。今君の話をしていたんだ」
「どうぞなのなーー!」
ジンが自分の隣の椅子を引いて座面をポンポンと叩く。無邪気な様子に、隊長ちゃんもにこりと彼に笑いかけた。
そう、彼はキリキのように表情を動かせないわけじゃない。笑うし、困るし、戸惑いもする。どれも真実彼の感情だ。
だがその中で、気配もなくするりと差し込む虚構がある。だから誰もそれが嘘であることを気づくことができない。彼のそばにいる赤毛の仲間を除いて。
「貴方が、俺のことを聞いて回っていると聞いたけど、なにかしてしまったか」
「ああ、ごめん、気にさせてしまってたんだな。
ちょっと興味があって。本人に直接聞く前に事前調査をしようかと」
「主観と客観では評価も異なるからな」
さらりと隊長ちゃんは返してくるが、たぶん皮肉や嫌味ではなかったと判断する。
口調が静かなというか平坦なので、表情が無いと怒ってるのかそうでないのかちょっと判別が難しそうだなと思った。
ジンの隣にいるからか、今の彼の表情は柔らかい。ナイスアシスト、ジン。
「ノエのことか」
ふと隊長ちゃんが核心を切り出した。俺が彼に興味を持ったきっかけという意味で核心、なのだが、俺は一言も誰かにそれを言った覚えはない。
ということは、俺が隊長ちゃんを聞いて回っている理由を、彼自身何かしらの手がかりや推測で掴んだということで…… つまり、もしかしてこの人、ノエに嘘ついたって認識はあるのか。
「うん、まあ、そうなんだけど。
ええと念のため、ノエにアイスバインが好物だと言ったって話なんだが、覚えてる?」
「ああ、覚えてる。副隊長の好物を《代わり》に伝えた」
「あ、なるほどーー」
「あいすばいんってなんなのなーー??」
アイス? と首を傾げるジンを撫でくり回したくなってしまう。かわいいなあこいつは。
煮込んだ肉の料理、と隊長ちゃんもニコニコと笑って教えてあげていた。
「ノエは君の好きなものを聞いてたみたいだけど、あれか、意思疎通の齟齬みたいな」
「俺の好きなものを聞いていたのは分かっていたんだが、あいにくこれと言った好物が無いんだ。彼には前に伝えていたんだが、なにか、気を遣わせているらしい。
たびたび確認してくれるのが申し訳なくてな。副隊長の好物なら本人も喜ぶだろうし、ノエの悩みも解消するだろうと思って、そう伝えた。
結果的にノエを更に戸惑わせてしまったようだから、すまなかったな」
その話は確かにノエから聞いたことと同じだった。ほんとにそう言ったってことか……
嘘ではない。代わり、だったのだ。
まあ、そこまでは、理解しようと思えば理解できるのだが。
「タイミングとか考えなかったのかい……」
「九…… ロレンソのことかな」
「九?」
言いかけた言葉が気になるが、にっこりと隊長ちゃんが笑うので言及はしないぞ。
そうそう、と俺は頷いて話を進めた。
「あいつが突っ込んでくるとは思わなかったしなあ」
「ほお」
はは、と苦笑気味に隊長ちゃんは笑うのだ。
俺は妙な違和感というか、背中がぞくぞくするというか、薄ら寒い感覚を覚えていた。彼の言動にだ。なにか致命的な勘違いを俺はしているような気がしてきた。
隊長ちゃんは俺の様子を捉え違えたのか、言葉が足りないと考えたらしく話を続けた。
「俺もちょっと驚いた。
人の機微には聡くても具体的な行動に出るというか、外の人間を配慮するようなタイプではないんだ、あいつは。だから、結果的に誰が困るわけでもない話ならば、そのまま流すと思ったんだがな。
ノエとはよく話しているし、料理仲間のようだし、気楽に付き合える相手なのかもしれないな。
そうだったら、彼が嘘を吐かれているのを見るのは不快だったろう」
俺はなにがしかの引っ掛かりを感じながらも、隊長ちゃんはしかし嬉しそうに話すのだ。
ロルくんは確かに近づきがたくて俺もあまり話したことはないが、ノエとは気が合うようでキッチンの方でよく話しているのを見る。ノエから聞く彼の話は思っているよりも全然緩くて、イメージとは実際違うのだろうなと思いつつ、それは相手がノエだからなのかもしれないとも思っていた。
だから、今の隊長ちゃんの話は理解できる。気の合う相手に対して誰かが嘘を吐くのを、やはり黙っては見ていられないだろう。
「アルパカ以外に誰か気の合う奴ができたなら、俺も嬉しい」
そう語る隊長ちゃんは安心しているようにも見えた。ロルくんのことが気がかりだったのだろう。
だが、俺は先ほどの何かが引っ掛かったままだった。この違和感はなんだろう。
もう一度隊長ちゃんの言葉を反芻し、ああ、と思い当たった。
「結果的に誰も困らないって言ったけど、隊長ちゃん、確かお肉苦手じゃなかったっけ」
「うん……? ああ、ノエから聞いたのか。まあ、食べられないわけじゃない」
「いや、その、最終的に君が困るんじゃない、それ。
仮にロルくんが突っ込まなかったとして、ノエはそのまま君の好物だって思って作るわけだから、君に食べて欲しいわけで、でも君は苦手なものを食べることになるんだろ。
ノエは君に無理させてることになってしまうし」
「ああ、それは大丈夫だ」
「だ、え、大丈夫???」
今の話の何が大丈夫だったんだと思いながら俺は隊長ちゃんを見つめてしまった。
彼はさらりと、そう、本当に困ったことなんて無いとばかりに言うのだ。
「食べきるので、ノエは俺の好物だと思ったままのはずだった」
ああ、と俺は違和感の正体に気づいた。
この人の話には、この人自身のことが何も語られていない。主観がないのだ、視点が…… もはや俯瞰しているのだ。
その視点の中に彼自身がいればまだよかったのだが。
「お、お茶取ってくるさーー!」
何かを察したジンがハッと立ち上がった。
確かに、一服した方が良い気がしてきた。
「手伝うよ」
俺の様子を一瞥した隊長ちゃんもまた席を立ち、ジンの後を追った。ロルくんをして人心の機微に敏いと言った彼だが、それを気づく本人もまた敏いのだ。
俺が困惑していることを見て取ってしまったのだろう。
二人がキッチンへ向かったのを見やり、白衣の胸ポケットに無意識に手を伸ばしてしまった。タバコを取りたかったのだが。
室内だ。止しておこう。
うっかり手を出したら予想以上に深い。
きっくんのように原因がハッキリしているわけでも、ノエのように全く無自覚であるわけでもない。
知っていて、自覚していて、その上で、─── 希薄なのだ。
この希薄さを何と言葉にしていいのか分からない。分からないのだが、どうにも彼が外に発する何か(認識や感覚か)が薄い。大事に想っていないわけではなさそうだし、彼の言葉が空虚であるわけでもない。
なんだろう、この希薄さは。
まるで存在しない何かと話しているような……
そこでようやく俺は気づいた。
気づいた自分すごいなってくらいの気づきだ。
お盆の上に伏せたグラスと麦茶の入ったカラフェを持って戻ってきた二人を見上げる。俺は驚いた顔をしていただろう。
「どったさーー」とジンが頭を傾げている横で、何か、諦観のような色を浮かべた隊長ちゃんがじっと俺を見ていた。
この人は、この人の中に自分自身がいない。
からっぽなのだ。
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