このハコの中で演じ続けるあなたへ

初美陽一

誰もが演じている

 劇場は時に〝ハコ〟という俗称で呼ばれる。箱物ハコモノの略称、というのが通説だ。


 このハコで、ボクは演じる。演劇という一つの物語を、声で、体で、表現して。


 照明が落ちた真っ暗闇は、誰もが息を潜めて、音もない。

 全ての輪郭が曖昧で朧気おぼろげになり、ボク自身の存在さえだとは、とても思えず。


 ここにいるのか、そこにあるのか。

 生きているのか、死んでいるのか。


 ための目印は、立ち位置を示すための、蓄光テープのみ。


 音も形もなく、何も分からなくなるほど、漆黒に埋め尽くされ――緊張に早鐘を打つ鼓動だけが、やけに鮮明で。

 不安に押し潰されそうになる、そんな中で。


 ほう、と灯りがゆっくりともり、周囲を照らして、鮮やかに色づけていく光景は。



 まるで、そこに世界が、生まれていくようで―――



 そこで生きる演者にんげんも、それぞれの物語じんせいも、誰もが本気で役割を全うしていて。


 先ほどまで朧気で、生きているのか、死んでいるのかも、分からなかった存在は。

 今や、高揚に胸を高鳴らせながら。


 この小さな世界ハコで誕生して、駆けだし―――光へと、飛び込んだ。




『――――私、遅れなかった。そうよ、もちろん、大丈夫よね。

 一日中、不安で、不安で、本当に怖かったんだから―――………』



 ……………………………。

 ……………………。

 ……………。

 ………。




 物語は終幕おわり


 ステージへと向けて、降り始めた雨のようなパラパラとした拍手が、勢いを増すごとに間隔を狭めて、ますます音も大きくなって土砂降りに。


 長雨のように続いたそれが、名残惜しむように止みだした頃――演者たちがカーテンコールのために出てくると、再びの大きな拍手が。


 この世界ハコの中で、全力で演じた生きた役者たちが一人一人、拍手に応えてお辞儀をしたり、配役に応じておどけてみせたり。


 ボクもまた役を終え、演じていた世界ハコから、のだ。


 演劇の世界には、虚構ではない感情が全てある。

 喜びも、怒りも、哀しみも、楽しさも。


 迫真の演技は配役キャストなど思わせぬほど、リアルで。

 吐き出す感情は、時として虚飾に塗れた現実よりも、よほど真実で。


 役者だけではなく、観客も同じように共感し、生きている、本物の世界ハコ


 拍手してくれる観客の中には、立ち上がっている人も、泣いてさえくれている人もいる。


 いつだったか、誰かがこう言っていた。



『人は生きている限り、大なり小なり、演じているんだよ』と。



 最後にボクも、ひときわ大きな拍手を降らせてくれる観客たちへと、深くお辞儀をしながら、いつも思う。


 ボクが、演劇という世界ハコの中で、必死で演じる生きるのは。


 この現実という大きな世界ハコの中で、必死に演じ生き続ける〝あなた〟に届けたいから。


 どうか、あなたの演じる生きる力に、なりますように。


 どうか、ほんの少しでも、覚えていてください。



 あなたは大切で尊い人。



 ― end ―

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