08 魔力の通貨

 ノースエランスの街は玄関口と呼ばれるだけあって、多くの人で賑わっていた。

 レンガ造りの家が建ち並ぶ大通りには、荷物を山積みにした馬車がひっきりなしに行き交っている。


 しかしマギアフレールと比べて公共施設としての魔導装置がほとんど無く、マギアフレールにおける10年前の田舎のような光景であった。

 それでもずっと囚われの身同然だったフォーナインとスカイにとっては珍しく、ふたりであちこち見てまわる。


 商店街のパン屋の前を通りすがったところ、店主が小さな男の子の首根っこを捕まえて出刃包丁を振りかざしていた。

 スカイは我が子の窮地を発見したかのごとき素早さで割って入る。


「おやめください! なにをなさっているのですか!?」


「なんだアンタ、ジャマすんな!」


 パン屋の店主は強気にスカイを睨んだが、その白百合のような可憐な姿を目にした途端、手のひらのかわりに言葉を裏返らせていた。


「そ……その……! なにをなさってって、このガキの腕を切り落そうとしてるんですよ!」


「ええっ!? なぜ、そのようなことを!?」


「これを見てください! コイツが小汚い手でパンを触るから、汚れちまってぜんぶダメになっちまったんです!」


 店主が軒先に並べられたパンをアゴで示す。パンはどれも黒い手の跡が付いていた。


「コイツはこの近くの孤児院のガキで、しょっちゅううちのパンを盗んでるんでさぁ!」


 男の子はジタバタ暴れながら「盗んでない!」と言い返す。


「そこに、タダって書いてあるじゃないか!」


 軒先の看板にはこうしたためられていた。



 マギアフレールの方はご自由にお持ちください(アルコイリスのヤツは有料)



「お前はアルコイリス人だろうが! それとも、字が読めないのか!?」


「でもこんなにたくさんあるんだから、少しくらいくれよ! みんな腹が減ってんだ!」


 パン屋の脇にある路地裏からは、男の子よりもさらに幼い子供たちが心配そうに覗き込んでいる。

 事情を察したスカイはよりいっそう男の子に加担した。


「そうです! 子供は世界の宝! 未来の宝石なんです! ですからお願いします、少し分けてさしあげてください!」


「そ……そう言われても……! だいいち、こんなみなし子のガキが宝石なわけないでしょう!? どう見たって石っころだ!」


 フォーナインはスカイと店主のやりとりを傍観していたが、その脳裏にはある光景がフラッシュバックしていた。

 彼は幼い頃、大勢の子供たちといっしょに集められ、焼けた鉄板の上に寝かせられていた。


『おらおら、鉄板の温度を上げられたくなかったら、もっと魔力を絞り出せ!』


 あちこちで「熱いよぉ!」と泣き叫ぶ声がするなか、大人たちがその上を踏みにじるように歩いている。


『いいかぁ、お前らは砂利だ! 踏みつけられてジャリジャリ鳴いて、魔力を吸いあげられるためにいるんだ! そう、F型は人間じゃねぇ、石っころなんだ!』


「……いいえ! 石ころの子供なんていません!」


 ぴしゃりと頬を打つような声に、フォーナインは我に返る。

 スカイはパン屋の店主に詰め寄っていた。


「もしいるとしたら、それは大人の責任です! あなたのような方が、子供の可能性を無くしてしまっているんです!」


「こっ……こんな汚ぇガキに可能性なんてあるわけないでしょう! ってか、さっきからなんなんだアンタ! これ以上うちの商売をジャマするのなら、いっしょに腕を斬り落とすぞ!」


 店主はとうとうキレてしまい、出刃包丁を突きつける。

 しかしスカイは一歩も退かなかった。


「ここまで言ってもわかってくださらないのですね! でしたら、パンを買います! この店にあるのをぜんぶ! それなら文句はありませんよね!?」


「えっ? か……買ってくれるのなら、文句はありませんけど……」


「みなさん、わたくしがパンをごちそういたします!」


 スカイが路地裏に向かって手招きすると、子供たちが「わーっ!」と飛びだしてくる。


「ありがとう、おねえちゃん!」「どういたしまして!」


「2つ取ってもいい?」「2つといわず、お好きなだけお持ちください!」


「孤児院のみんなにも持って帰りたい!」「どうぞどうぞ!」


 思い思いにパンを取りまくる子供たちに、笑顔で応えるスカイ。

 微笑ましいその光景に水を差すように「ちゃんと金は払ってくださいよ」と店主。


「はい、おいくらですか?」


「ご……いや、じゅ……! いやいや、30万MPだ!」


 スカイは王女という身分を隠す意味で、庶民的な白いワンピースに着替えていた。

 しかしそんな格好をしても深窓の姫君オーラがしとどに溢れていて、本人は気づいていないがずっと街の視線をひとりじめしている。


 パン屋の店主も高名な貴族のお嬢様だと思っていたので下手に出て、そしてこうしてふっかけていた。


「わかりました。そのくらいなら持ち合わせておりますので」


 スカイは落ち着いた微笑みを浮かべ、腕輪をはめているほうの手を上品な仕草で掲げる。

 プラチナシルバーに光るそれを、店主の差しだしている水晶板の上に置いた。


 水晶板には青い魔法陣が浮かび上がっていたが、腕輪が触れた途端に赤くなり、ブブーッと警告音のようなものを発する。


「あ……!」と大切なことを思いだしたような表情で、手で口を押えるスカイ。


「そうでした……! 崖から飛び降りたときに、腕輪の魔力もすべて使い果たしていたのでした……!」


 細い手首が、腕輪ごとガッと掴まれる。


「くそっ、なんか変だと思ったぜ! お前も孤児院のガキだったんだな!? グルになってパンを盗もうったって、そうはいかねえぞ!」


「ち……違います! 誤解です! いまは持ち合わせが……! でも必ず……! 離してくださいっ!」


「おっと、逃がさねぇぞ! この俺をバカにしやがって! 手首を切り落してやらぁ!」


 あてがわれた鈍色の刃に、スカイの青ざめた顔が映る。


「お……おやめくださいっ……!」


 しかし少女の懇願も虚しく、凶刃は振り下ろされた。


「い……いやぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」


 少女は絹を裂く悲鳴とともにきつく目を閉じる。震えながら運命の時を待ったが、その瞬間はなかなかやってこない。

 おそるおそる目を開けてみると、そこには……。


「な……ナイン様っ!?」


 ギロチンのような出刃包丁の刃を、中指と人さし指で挟み込んで止めるフォーナインがいた。


「なっ!? す……素手で包丁を止めるなんて……!? くっ、狂ってやがるのか!?」


 店主はすっかり取り乱していたが、フォーナインは冷静そのものだった。


「俺がかわろう」


「やっぱりコイツ、頭がおかしいぞ! 自分から手首を切られようとするなんて! あっ……もしかして、お前が払おうってのか!? お前みたいな物乞いに、

30万もの魔力が払えるわけねぇだろうが!」


「そうだな、いまの俺は【払う】ことなどできない。加減がうまくできそうもないからな」


「な……なんだとぉ!?」


 息巻く店主をよそに、フォーナインは手首の腕輪を水晶板にかざす。


「ただ、叩き潰すのみ」


「ハァ!? デカイ口を叩いといて、ド底辺の木の腕輪じゃねぇか! それでどうやって……!」


魔払いペイメント出力スロットル0.00000000001%イレヴンオーワン


 魔法陣は緑色に光り、決済完了の小気味いい音を奏でる。

 カウントダウンのように浮かび上がっていく数字の桁数に、剥き出しの店主の目がどんどん丸くなっていった。


「え……? ゼロの数が5……? いや6……? な……7っ……?」


「3000万MPか。なら、この店ごともらおうか」


「えっ……ええええええええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」

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