02 ちょっと仕事辞めてくる
少女はペコッと頭を下げたあと、「あっ」と思いだしたように言葉を続ける。
「申し遅れました、わたくしはクリアスカイと申します! どうぞ、スカイとお呼びください!」
クリアスカイと名乗った少女は清純そうな見た目と丁寧な言葉遣いとは裏腹に、物腰はアクティブだった。
「俺はフォーナインだ」
「では、ナイン様ですね! ……あら? そちらの、肩にあるのは……?」
フォーナインの剥き出しの両肩には管のようなものが痛々しく突き刺さっていて、その管状の先端からはうっすらと煙がたちのぼっていた。
「ああ、これは魔力を拡散する魔導装置だ。俺はこうやって、5式の魔力を撒いてるんだ。5式の魔力は補充できる魔力はわずかだけど、嗅ぐとリラックス効果があるからって、ずっと付けさせられている」
「えっ、ずっと!? そんなことをなさっていたら、魔力がすぐに枯渇してしまうのでは……!?」
「俺は人よりちょっと魔力が多いんだ、だから平気だ。他にも、ホラ」
フォーナインは上着の襟を引っ張って胸板を見せる。するとそこには、丸々と太ったヒルのような生き物がびっしりと貼り付いていた。
「ええっ!? ま、まさかそちらは、魔蟲さん!? なぜそのようなものを、お身体に……!?」
「賢者の実験だよ。魔力を与え続けたした魔蟲がどうなるかっていう研究をしてるみたいだ」
「魔蟲さんは、少し噛みつかれただけでもたくさん魔力が吸われてしまうといいます……! そんな危険な生き物を、そんなにたくさん……!? まさかそれも、ずっとなさっているのですか……!?」
「ああ、ここ1ヶ月ほど付けたままだ」
それは想像を絶する答えであった。
フォーナインが置かれている状況を例えるなら、畜生以下の扱いを受けている牛。
畑を耕す労働を24時間体制でさせられながら、肉を削がれているようなものである。
あまりにも非人道的……いや、命に対する冒涜のような行為であった。
「ま……まさか、ナイン様は……
フォーナインは【さん】付けに違和感を覚えたが、それ以上に少女の顔が翳っているのを見て、しまったと思う。
彼女は格好からして高貴な身分の女性だ。そんな女性を魔畜󠄀の分際である自分がお姫様だっこをしたとなったら、極刑は免れない。
フォーナインはスカイを離そうとしたが、彼女はなにを勘違いしたのかむしろ抱きついてくる。
そしてフォーナインにとっては、耳を疑わざるをえないような一言を放った。
「こんな、地獄に落とされた牛さんのようなことをしていてはいけません! ナイン様は、とってもすごいお方なのですから!」
スカイは改めて名乗りをあげた。
自分はクリアスカイ・オーバーレインボウ、【アルコイリス小市民国】の姫だという。
彼らの現在地は【マギアフレール大魔帝国】だが、ちょうどアルコイリス小市民国との
スカイはマギアフレールの勇者に無理やり嫁がされることになったのだが、王都に向かう途中で嫌になって逃げ出した。
追っ手に崖っぷちまで追いつめられるが、勇者の嫁になるくらいならと決死の覚悟で崖から飛び降りる。
スカイは物体を浮かせるスキルを持っていたので、それを使って自分の身体を浮かせて着地の衝撃を和らげようとした。
しかし途中で魔力が尽きて落ちてしまうのだが、ぐうぜん居合わせたフォーナインに助けられたというわけだ。
「わたくしの国には、ナイン様のようなすごいお方が必要なんです!」
スカイは真摯に訴えたが、フォーナインの心には響いていないようだった。
「すごいと言われても、俺はF型。星屑のように数多に存在するが、自分の力では光ることすらできない屑なんだ」
血液型にはA型からF型までの種類があるのだが、F型は他者に魔力を供給することしかできない。
ようは、生ける電池というわけだ。
フォーナインもさんざん言われてきた、「お前のかわりなんていくらでもいるんだぞ」と。
だからこそ、人間モルモットや人間アロマのような非道なる仕打ちにも堪えてきたし、聖女の靴の裏も必死に舐めてきた。
そんな被虐の時間が長かったせいか、スカイの言うことがにわかには信じられないフォーナイン。
しかし、スカイの瞳は真剣そのものだった。
「お願いです……! わたくしといっしょに、わたくしの国に来てください……!」
その潤んだ瞳には、もはやフォーナインしか映っていない。
「わたくしの国には……! いいえ、わたくしには、ナイン様が必要なのです……!」
――……魔畜󠄀の俺が、誰かに必要とされる日が来るなんて……!
ふたりの思い、それはまるで凹と凸が出会ったかのようであった。
磁石のように惹かれあい、ひとつになるように結合する。
瞬間、フォーナインの脳が激しくスパーク。「ううっ……!?」と頭を押さえてよろめく。
その脳裏の深淵に沈められていた記憶、がんじがらめの鎖が弾け飛び、急浮上してあふれだす。
そのショックでフォーナインは幼い頃の記憶ばかりか、前世の人生までもを思いだしていた。
「お……俺は……社畜……! 生き血を吸われていることにも気づかず、地を這い泥をすする豚だった……!」
フォーナインの前世は、【
働きづめの挙句、過労死の最後を遂げる。
その後、転生してアルコイリスに生まれるが、幼い頃に【レイド人材派遣】の人事担当にさらわれ、これまで魔畜󠄀として第二の
そして、彼が取り戻していたのは記憶だけではない。封印されていたもうひとつのスキル、【無限魔力】をその手にしていた。
いまフォーナインの身体には魔力が駆け巡り、生きる活力となってみなぎっている。
その膨大さのあまり、肩に刺さっていた管は外れて矢のようにどこかに飛んでいき、胸に貼り付いていた魔蟲は破裂した。
飛び散った魔蟲の血で、フォーナインの身体とコートは深紅に染まり、胸当てとズボンは黒く変色した。
その姿はまるで、闇という名の母胎から取り上げられたばかりの赤子のようだった。
「ああっ!? ナイン様、大丈夫ですか!?」
スカイはどこからともなくレースのハンカチを取り出すと、自分が汚れるのもかまわずフォーナインの顔を拭う。
現れた顔は精悍そのもので、まるで生まれ変わったかのよう。スカイは思わずドキリとしてしまった。
「な……ナイン……さま……?」
「スカイ、ちょっと待っててくれ」
フォーナインは抱っこしていたスカイを降ろすと、力強い足どりでテントに向かって歩いていく。
「あ……あの……どちらに……?」
心細そうなその声に、フォーナインは立ち止まった。
「ちょっと、叩きつけてくる」
その背中は熱く燃えているかのように、陽炎がたちのぼっている。
「世界が敵になっても、必ずここに戻ってくるから」
力強いはずなのに、ささやきは心安らぐ闇のよう。
そして少女は、夜に咲く花のような感情が芽生えるのを感じていた。
「ナイン、様……」
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