無限の魔力を持つ元社畜、魔力が通貨の世界で無双する

佐藤謙羊

01 お姫様に指をしゃぶらせ魔力補給

「海から来た男が女の運命を変えるように。空から来た女は、男の運命を変えるのです」


 そこは森の中に建てられた、サーカスも開催できそうなほどの巨大なテントの一角。

 テントの中だというのに立派な調度品が設えられ、天井のシャンデリアが室内をきらびやかに照らしていた。


 中央には女、部屋の雰囲気に負けない豪奢なローブに身み玉座に座っている。

 彼女は組んでいた脚を振り上げ、足元に這いつくばっていた男を踏みつけた。


「さぁ魔力を献上するのです、フォーナイン。オスのカマキリのごとく、その身を捧げられることを無上の喜びと感じながら」


「はい……聖女……様……」


 フォーナインと呼ばれた男は虫のように蠢めいておもてをあげる。その顔立ちは端正であったが、薄汚れていて精気がまるでない。

 額には【9999】のタトゥーが彫られていて、服装は拾ったようなコートを素肌に羽織り、古びた革の胸当てとズボンを身に着けている。

 ひと目で最下層の人間とわかる彼は、ブーツの靴底を天からの恵みのように、うつろな瞳に映していた。


 そこに光はない。フォーナインはもう長いこと、主人たちの姿を見ていない。

 彼の眼は彼女たちを、テントに映る影のような姿で捉えていた。


 神がその後光のまばゆさで直視できないように、抗うことのできない絶対的な存在であったのだ。


 フォーナインはなんのためらいもなく、いや、むしろ自らすすんで靴底に舌を這わせた。

 舌ごしに与えられ、じわじわと立ちのぼってくる魔力に聖女は至福の表情を浮かべる。


「ああ……いいですよ……焼きたてのパンの香りを嗅いでいるような気分……わらわの身体はバターのようにとろける……。褒美として、マギアフレールの王都へ帰った暁には、さらなる黄金の麦畑を授けましょう……」


 巨影が手にしていたのは首輪で、いまフォーナインがしている錆びた鉄のそれとは比較にならないほどに輝いていた。


「銀の首輪……? ということは、専属に……?」


 信じられないようなフォーナインに対し、影はハロウィンのカボチャのように笑んだ。


「そうです、お前に終世の居場所をさしあげましょう。わらわの生涯をつづった書物の、末端にいる権利を。ただし、このことは内密にするのですよ?」


「は……はい……」


「そう……わらわこそが、お前の運命を変える女神なのですよ……」


「はい……聖女……いえ、女神よ……」


 フォーナインはよりいっそう情熱を込めて靴底を舐めしゃぶる。

 聖女は人の気配を感じて首輪をしまう。背後から、ふたつの巨影が長い影を伸ばしながら現れた。


「また魔力補給ぅ?」


 ハリネズミの背中のような髪型の影が言う。背中に担いでいる剣がV字形に飛び出している肩を、呆れたようにすくめながら。


「ドラゴンの討伐も終わったから、あとは帰るだけなのに」


「勇者よ、聖女の魔力は樽の中のワインと同じで、常にみたされていなくてはならないのです。欲しがる天使のためにも」


「そう、なんだかよくわかんないけど……。ねぇフォーナイン、寝る前にこっちも頼むよん」


「は……はい……勇者……様……」


 勇者の隣にいた、尖塔のようなフードを被った巨影が言った。


「フォーナイン、今日の討伐の報告書と、魔蟲まちゅうの報告書を今日中にワシのところに持ってくるのじゃ、よいな」


「は……はい……賢者……様……」


「なら今日も徹夜だねぇ、あ~あ、かわいそぉ~」と、勇者がからかった。


 みっつの蔑み笑いに見下ろされるフォーナイン。

 そこに、ふたつの愛想笑いが加わる。


「どーもどーも、勇者パーティの皆様! レイド人材派遣のゲハジオヤでございます!」


「ちぃーっす! 同じくドチンピラっす! このたびは討伐おめでとうございます!」


 テントの扉がわりのカーテンをめくって現れたのは、ゲハジオヤと名乗る薄い髪の脂ぎった中年と、ドチンピラと名乗る派手な髪色の軽薄そうな若者。

 作業服のジャケットにネクタイとワイシャツという姿で、揉み手をしながら部屋に入ってくる。


「うちの派遣した魔畜󠄀まちくどもはどうでしたか!? 少しはお役に立てましたでしょうか!?」


「おら、クソ魔畜󠄀まちく野郎! もっと気合い入れてしゃぶれよ! 手ぇ抜いてっと契約解除すっぞ!」


 ゲハジオヤとドチンピラは同時にフォーナインの脇腹を蹴り上げた。

 フォーナインが苦しそうに息を吐いて蹲ったところを、玄関マットで足を拭くかのように踏みつけはじめる。


「あ、そうそう、勇者様、ご結婚おめでとうございます! 式は明日の朝からなんですよね?」


「相手はアルコイリスのお姫様なんでしょ!? ウワサによるとすげー美少女とか! いいっすねぇー! あとでこっちにもマワしてくださいよ! なーんて!」


 巨影たちも、よってたかってフォーナインを足蹴にしていた。


「表向きは結婚式だけど、ようは奴隷式だよ。サッサとすませて、あとはテキトーに遊んでやってボロ雑巾みたいに捨ててやるつもりさ、コイツのようにね」


「ならその女を捨てる前にこっちによこすのじゃ、コイツみたいにモルモットとして使ってやるのじゃ」


「じゃあ、モルモットにしたあとでこっちにマワしてくださいよ! なーんて!」


「フォーナイン、いつまでそうしているのですか。魔力の献上が終わったら、部屋のゴミを捨ててくるのです。お前と同じで、臭くてたまらないのです」


「う……ううっ……」


 フォーナインは返事にならない呻きとともに靴底の雨から這い出す。

 追い打ちのように後ろから尻を蹴り飛ばされ、部屋の隅へと追いやられた。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 フォーナインはテントから出ると、星明りを頼りに遠く離れた場所にある崖下へと向かう。

 その麓で、ゴミ箱の中身をぶちまける。


「今日も徹夜か」とこぼしながら顔をあげたところ、思わず息を飲んでいた。


「えっ……? 人……? 女……?」


 空には満天の星空と、ぼんやりと光るひとりの少女が浮かんでいる。

 長い金髪を天の川のように、白いウエディングドレスを羽衣のようになびかせるその姿はあまりにも美しく、フォーナインが夢だと勘違いしてしまうほどに幻想的であった。


 少女は横たわった姿で、崖に沿うようにしてゆっくりと下りてくる。

 背伸びすれば届きそうな高さまできたところで、少女は苦悶の声を絞り出した。


「う……ううっ……! も……もう……! ダメですっ!……!」


 身体から放たれていた光がふっと消え去り、同時に吊っていた糸が切れたかのように急速に落下。

 フォーナインはとっさに両腕を伸ばして少女を抱きとめた。


 腕のなかに収まった彼女は小柄で軽く、透き通るような肌をしている。

 年の頃は15~6歳くらい、顔立ちは端整だがいまは苦しそうに歪めており、額に玉の汗を浮かべて喘いでいた。

 桜色の唇が震え、掠れた声が漏れだす。


「パパ上様……ママ上様……。これで……よろしかったのですよね……」


 辛うじて開いているような瞳にはフォーナインの姿は映っておらず、言葉はうわごとのようであった。


「嫌なことには下を向くのではなくて、上を向いて羽ばたきなさいって……。そうしたらどんなに暗い空でも、いつかきっと青空が見えますから、って……。だから……わたくし……いたしました……」


「……!」


 その言葉は、ずっと下を向いて生きていたフォーナインの胸に深く突き刺さる。

 しかし感傷に浸っている場合ではないと、フォーナインは鋭くつぶやいた。


「魔力枯渇を起こしている。さっき身体が浮いていたのはスキルの力で、それで魔力を使い果たしたんだろう。すぐに魔力を補給しないとまずいことになるな。この身なりからして、血液型はE型だろう」


 そうつぶやきながら少女の胸元に手をやりかけて、はたと思いとどまる。


「E型に接触補給をするのは、楽園のリンゴに手を伸ばすのと同じ。甘いのはひとときだけ……。となるとあとは、経口補給か……」


 フォーナインは自らの黒く汚れた人さし指と、少女の白く美しい顔を見比べる。

 わずかな逡巡ののち、その指をままよとばかりに少女の唇に差し入れた。


「1式は吸収が早すぎて、血中魔力が高くなりすぎるかもしれない。3式は吸収こそゆっくりだが、意識が朦朧としている状態だと喉に詰まらせるかも。……なら、2式だな」


 その言葉の終わりとともに指先から白い粘液が染み出し、少女の舌に落ちる。

 少女は「ん……」と眉根を寄せながらも、その粘液をこくりと飲み下した。


「ん……んっ……んんっ……」


 フォーナインの指先から出る粘液を喉を鳴らしながら受け入れていくうちに、終幕のように下りかけていた瞼が開いていく。


「よし、カーテコンコールは避けられたようだ」


 安堵するフォーナイン。やがて、少女の瞳は今宵の星空にも負けないほどの光をたたえはじめる。


「んっ……!? んんっ!? んんんっ!?」


 少女は勢いよく身体を起こすと、口に差し入れられていたフォーナインの手をガッとホールド。

 ミルク瓶をつかまえた子猫のように、ちゅぱちゅぱと吸いつきはじめた。


「んぐっ……! んぐっ……! んぐっ……!」


 少女はしばらくそうしていたが、青白かった頬に健康的な赤みが差したところでようやく口を離す。

「ぷはーっ!」と満足そうなため息をついてからフォーナインを見た。


「あ……あなたは命の恩人です! それにこんなおいしい魔力、初めていただきました! ごちそうさまでした、ありがとうございます!」


 その瞳は初めて親鳥を見た雛鳥のようにまっすぐで澄んでいて、憧れるようにキラキラと輝いていた。

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