4.アンシーの探求

 ウテナを探す物語。これは、言い換えれば、昔話の転倒であり、お姫様が王子様を探す物語である。ここには曖昧な点が多く含まれており、この転倒は誤りのある二つの解釈ができてしまう。


 一つには、元々王子様とは探される存在なのではないか、ということである。つまり、王子様なる存在とは翻って、現在の状況を説明するために人が作り出す虚構に過ぎないのだ、ということ。そして、アンシーはそういった虚構に自らもう一度飛び込もうとしているのだ、ということ。それは言い方を変えれば、「もう一度私たちは私たちを統治する虚構を再建しなければならない」というまるで保守的な「父権の復活」と重なる物語の決着である。


 二つ目は、アンシーは王子様としてのウテナを探しに行った、ということである。これは、虚構をもとにした小さな共依存関係の中に再度回収されようとする、従属的な物語という決着である。


 これらの解釈はあり得ない。


 アンシーの「今度はわたしが見つけるから、待っていてね、ウテナ」という言葉によって締め括られるラストの「今度は」という言葉が百万本の剣に突き刺され棺の中に捕えられたアンシーを救おうとしたウテナがアンシーの顔を見た際に言った「やっと会えた」に対応している。

 これは王子様になりたいウテナが放った言葉である。ならば、アンシーは、お姫様から王子様になろうというのか。それはおそらく違うだろう。その後、アンシーを救えなかったウテナは、学園から消えてしまう。しかしそれは、単に失敗したものとして学園から退場せざるを得なかったわけではない。学園という暁生の世界からいなくなっただけである。少なくとも、アンシーはそのように解して暁生のもとを去るのである。この世界からウテナがいなくなった、卵の殻を破り得たのはなぜか。それは「やっぱり、ぼくは王子様になれないんだ」というウテナの自覚を参照すべきだろう。アンシーもまた、それに倣った行動をとっているのである。

 成熟を拒否することによる成熟。不可能な成熟へと堕し、暁生と同じ立場に陥る危険を伴うアクロバティックなウテナの行いを解釈しなおす必要がある。そのためには、劇場版『少女革命ウテナ アドレッセンス黙示録』におけるアンシーを見る必要がある。

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