ハレやか、青春の残り香

 酷暑は未だ、収まる気配を見せない。お天道様は、相も変わらず加減を知らないらしい。

 身体を劈く光に、眩いほどに澄んだ青空。そこに入道雲がうずたかく立ち昇る。毎日同じ空模様に、辟易してくる夏盛り。

 ミンミンと蝉が猛り、花が心なしか項垂れているような気がする今日この頃。


「あづぅーい……」


 生徒会室のソファにもたれて項垂れているのは、佐藤塚高校の教師、佐藤であった。

 両腕を背もたれの上面に乗せ、佐藤はぐったりと天を仰ぐ。


 高校はとうに夏休み。

 そのため冷房がつかず、扇風機と窓から舞い込む風だけが頼りなのだ。

 帰るのがダルいからと普段(無許可で)ここで寝泊まりしているが、この暑さにはお手上げだ。


 友人御一行ごいっこうは隣町の海に旅行中。魚釣りや水遊び、さらには練乳たっぷりのかき氷を堪能しているのだろう。

 僕らも行けば良かったと、今更ながらに思う。


「こんなに暑いんだからさ。ちょっとぐらい多めに摂っても……」


 そう自分に言い聞かせ、上体を前に起こす。

 見ると小皿がちょこんと置かれ、白いブロックが積まれていた。

 照明に照らされ煌めく立体こそ、彼のオアシス——お砂糖様。


 縋るように手を伸ばし、しかしピタリと動きを止める。


「いないよね……」


 教室を見回す。

 ここに居るのは、彼だけ。


 よし。と小さく呟き、白い立体を一粒摘まむ。

 何個も取っては、バレてしまう。そう悪魔が囁いたのだ。

 すなわち、一粒ぐらいならバレやしない。

 だが、たった1つ初歩的な見落としをしていた。


「うぶっ、しおっ?!」


 これが、そもそも砂糖ではないという大前提を。


「ありゃーせんせー、つまみ食いしちゃったのね」


 テーブルに額を打って倒れる佐藤に、頭上から声がかかる。

 いつの間にか、彼女が入ってきていたようだ。

 風鈴のように心地よい音色が耳朶を打つ。


「生きてる?」

「死にそっ、しょっぱ……」

「その様子なら大丈夫だヨ。でも、流石にそのままは不評かなぁ?」


 塩を片手に、首を傾げる生徒が1人。

 否。実際は生徒でなく、人のカタチをした奇跡。

 一時期この学校を騒がせた、ポルターガイストのミドウだ。


「いてて……どうしてこんなもの」


 苦悶に眉を寄せ、額を擦る佐藤にミドウは言う。


「熱中症対策に用意してみたの。夏祭りで配ろうかと思って、色々模索してるんだヨ」

じかの塩は人を選ぶと思うけど、僕とか。市販のタブレットとかにしてみたら? 甘い方が喜ばれると思うけど、僕とかに」

「せんせーの主張はよーく分かったヨ。でも、確かに一理あるかも」


 頷いたミドウは、袖の先から手帳を取り出す。

 手のひらサイズの小さなメモ帳だ。青空色の表紙には、“夏祭りメモ”と書かれている。


「どんぐらい終わったの?」

「ほとんどバッチリ終わったヨ! ほらっ」


 ミドウに促され窓から見下ろした先には、祭りの身支度を終えた運動場があった。


 運動場の外周に沿うようにして屋台が並び。

 中央には、赤と白の櫓が鎮座し。

 客を誘導するための白線まで施されていた。


「こりゃすごい……」

「張り切っちゃったヨ!」


 ミドウは満足げに笑っている。

 見ているとつられてしまう、無垢な笑顔。

 ——僕にとっての、の貌だ。


 冷蔵庫からスポーツ飲料のペットボトルを取り出し、佐藤は再びソファに腰を下ろす。

 コップに並々注ぎながら、ミドウに問いかけた。


「あとは何が残ってるの?」

「今やってる熱中症対策と、提灯の設営だヨ」

「いよいよ大詰めってところだねぇ」


 しみじみ感慨に耽っていると、コップの中の透明な水面にミドウが映る。

 顔を上げると、案の定ジト目だった。


「せんせー、何にもしてないけど? ここまでやったの、もれなくアタシなんだヨ」

「段取りは僕がやっただろう? 監視役ってのは、前に出ないのがミソなんだよ」


 得意げに説く佐藤の傍に、ミドウが回り込む。彼が腕を置く背もたれへと、前のめりに寄りかかる。


「……動きたくないだけでしょ」

「バレちゃったか」

「あの時は協力してくれたのにー」


 そう言うミドウは、口を尖らせていた。

 ちなみに“あの時”とは、トキメキ探しのためにポルターガイストを起こした例の事件のことだ。


「協力って言ってもなぁ。噂を流して、郡たちを連れて来ただけだよ」

「それでも嬉しかったヨ! 今まで色んな人に声をかけてきたけど、ここまで協力してくれたのはせんせーが初めてだし」

「ふぅん」


 初耳だ。僕の前にも、誰かに手伝ってもらおうとしたのか。

 そう思っていると、ミドウが尋ねる。


「どうして、協力してくれたの?」


 その問いに、一瞬だけ身体が止まる。

 ……なんと言ったらいいだろう。

 コップに口をつけながら、視線が上へと向かう。

 そして、自分でも確かめるように言葉を紡ぐ。


「強いて言うなら、恩返し?」

「ほヨ? 何の? 覚えがないヨ」


 きょとんと首を傾げるミドウ。

 佐藤はむず痒そうに笑いながら続けた。

 手の行き場を求め、メガネを指で押し当てて。


「失ったモノを思い出させてくれたこと……かな」

「失ったモノ?」

「んー、青春とかそんなやつ。だいそれたものじゃなくて、ホントにの」


 それは、彼がずっと諦めていたことだから。

 ミドウが見せてくれる景色は、あまりにもありふれて、で。

 だからこそ、入れ込むのだ。


「ますます難しいヨ」


 ——この子には分からない。分からなくていい。

 コップの中のものを飲み干し、佐藤は穏やかに告げる。


「まぁややこしいことは置いといて。僕は今年のお祭り、楽しみだよ」


 それが、今の彼に言えること。


「アタシも!! よーっし。せんせーがときめく、特別な日にしてみせるヨっ!」


 一周くるりと回ってみせ、ミドウは応えた。

 佐藤のに映る彼女は、真夏の太陽のような笑みを浮かべていた。

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