第6話 視察の日

 一週間後の朝、授業を開始する前に、小世が校長とともに防空壕を視察する日にちを発表した。明日だった。授業を中断することはない、というのだから、視察は放課後に行われるのだろう。花は首を傾げる。

 たぶんあいつはあたしたちがまだ穴ぐらに行っていることを知ってる。まあ不思議じゃないけど。あたしだってどっちつかずの曖昧な言い方をしてあいつをやりこめたんだもん。

 でも不可解なのは、なんでそのことを事前にわざわざ発表するのか、ってことなんだよね。ぜったいに裏がある。視察なんて、そんなの抜き打ちでやってもいいんだし、よりによって前日に報告する必要もない。ていうか、前日に発表したのは、誰かが当日になってそのことをうっかり忘れてしまうのを防ぐためなのかな。

 だからこれは悠に、明日は行っちゃダメ、ということのサイン?

 ――違う。悔しいけど悠とは仲がいいんだから、直接はっきりと伝えればいいだけのこと。瞭ほどじゃないけど、悠は悠で抜けてるところがあるから、直接伝えたほうがリスクを避けることができるはずなんだ。

 なんか裏があるな。裏があるとして、それで罠にひっかかるのはたぶんあたしだ。あいつは防空壕のことを話した日の朝にその件を知ったはず。悠とあたしがいっしょに遊んでることもそのとき知ったんだ。

 あいつはあたしと悠がいっしょに遊んでいることが気にくわないってだけ。そのことはわかる。ひしひしとわかる。返ってくるテストの答案用紙の採点の字が目に見えて雑になったし、授業中に手をあげても、指されることがまったくなくなってしまった。どうしても話さなきゃいけないことがあって話すと、まるでドライアイスにじかに触わったみたいな感じ。めちゃくちゃきつい言い方してくる。まあこっちもきつい言い方してんのはわかってんだけど。――んもう。どんだけ子どもなんよ。

 もしこれがあいつの罠だとしたら、いったいどんな罠なんだろう。目を凝らして見ないとわかんないような壁の小さな亀裂を見つけだして、ほら、やっぱり危ないでしょ、とか言うつもりなのかな。勝ちほこった、いやったらしい顔して。

 校長先生と視察するから、あたしは校長先生の前で恥をかくことになる。防空壕の安全性であたしとあいつが口論になったのは、校長先生の耳にも入ってるはず。ていうか、その話の流れで校長先生が視察することになったはずなんだ。ひとりで視察に来たところで、またあたしに返りうちにあうって自分でもわかってんだろな。だから味方を連れてくる、と。

 でもあんなゆるい校長先生の前で恥かかされてもなんともないよ。お爺ちゃんだしさ。あたしのお爺ちゃんよりぜんぜん優しいくらいだもん。痛くもかゆくもない。あいつだって、生徒に校長先生がどう思われているかなんて、きちんと把握しているはずなんだ。そもそもあいつだってふだんからそんな感じで校長先生に接してるわけだしさ。だから、たぶん違うな。

 じゃあ、いったいなにがほんとうの狙いなんだろう。

 花は結論が出なかった。授業はそっちのけで、丸い目を細め、ひたすら爪を噛みつづける。


    *


「さすがに明日はここに来るのやめておこうぜ」

 穴ぐらで悠が眉をひそめて言った。

「ダメだよ。朝のあれ、先生の挑発なんだ」

「ちょうはつ?」

 聞きかえしてきた悠に、花はにっこり笑って答える。

「あたしたちにケンカ売ってるの、あのひと」

「挑発に乗るわけ」

 瞭が険しい表情で花に訊いた。花も険しい表情で頷く。

「勝算はあるんだよな」

「しょうさん?」

 悠が瞭に聞きかえしているのも無視して花は首を横に振る。

「ないよ、そんなの」

「せめて先生の意図ぐらいは読めてるんだよな」

 自分とはべつの生き物を見るような目で悠はふたりの顔を交互に見る。花は目を伏せて、首を横に振った。

「あたしにも裏が読めないんだ。だから、あえて挑発に乗ってやる」

 瞭は顔をしかめた。担任が花のこの強気な性格を計算に入れてなにかを仕組んでいるような気がするのだ。花がそれをわからず、まんまと罠におびき寄せられている気がするのである。

「そんなことに悠やぼくを巻きこむつもりなのか。やめてくれよな。そんなの、花のプライドの問題じゃないか」

「プライドって、なによそれ」

「先生から尻尾まいて逃げるのが悔しいだけだろ」

 斜めに首を傾けて、花は瞭をきっと睨む。

「どうして? ねえ、どうしてあたしが先生から尻尾まいて逃げるのが悔しいわけ?」

 花はあくまでとぼける。顔を少し赤くしているのを、悠は花が怒っているからと解釈する。瞭と花はしばらく睨みあった。悠が転校してくるまで見たことのない表情であるのが瞭は切ない。花がとつぜんそっぽを向いて言う。

「そんなに嫌なら、瞭は来なくていいよ」

「そういうわけにはいかないよ」

「だって瞭は先生と戦うのが怖いんでしょ」

「戦おう、って言ったのはぼくだよ。その時点でぼくは誰と戦うかなんてちゃんとわかってた」

 瞭は花をじっと見る。瞭の目つきにはどこか気迫がこもっている。その気迫に負けた花はつい目を伏せてしまった。花は思う。なんだよこいつ。どこにそんな度胸隠しもってた。ちょっと見直しちゃったんだけど。

「ひょっとしたら夜中までかかるかもしれない。悠も花もそのこと親に伝えとけよ。ぼくは家に帰ったら、明日の晩飯、三人ぶん買っておくから」

 悠と花は頷いた。

 日が暮れる前に家に帰った瞭は、二階の自分の部屋に駆けこむ。本棚に置いてある豚の貯金箱を手にとると、また急いで階段を駆けおりていった。

 縁側から裸足のまま庭におりて、豚の貯金箱を地面に叩きつける。派手な音とともに小銭が八方に転がっていく。そしてこの派手な音が、悠の心のまわりに築かれている壁を叩き割る音のように聞こえた。

 ほんとうにそうだったらいいんだけど――。瞭は心からそう思う。


    *


 翌日、防空壕を視察する時間になった頃、グラウンドを横ぎって校舎に歩いてくる数人の保護者たちの姿を校長室の窓から見つけて、校長は肝をつぶした。

 それと同時に、ドアを開け放してあった校長室に小世が入ってくる。

「中岡先生、なにかあったんですか」

 慌てふためいた校長に、小世は小首を傾げた。校長の視線のさきを辿って、窓ガラスの向こうを見る。

「ああ、保護者さんたちが来られたんですね。時間ぴったりです。わたしがお呼びしました」

 小世の顔を見つめたまま腕をかざし、まったく悪気のなさそうなその表情をしばし呆然と眺めてから、校長はようやく視線を落として腕時計を見る。

「これから私とふたりで防空壕の視察に行く予定ですよね」

「ええ。保護者さんたちと校長とわたしとで向かいます」

 校長の目が死んだ。本人の意思とは無関係に、両手が空中をもがく。

「なぜそんな勝手なことをするんですか」

「客観的な第三者の証人がどうしても必要なんです。わたしと校長だけで判断を下すと、あとから難癖つけられかねませんので。ぜひとも公平性を担保しておかなければならないんです。保護者さんは各学年の名簿のなかから無作為に選びました。うちのクラスの生徒の保護者さんもおられれば、他の学年の生徒の保護者さんもおられます」

「こんなおおぜいを引き連れて、もし今日も生徒たちが防空壕で遊んでいたらどうするんです。子どもたちにも人権というものがあってですね‥‥」

「それは大丈夫です。わたしたちはまだ生徒たちに禁止を申し渡していません。先週そのことについて生徒たちと話しあった際、禁止するかどうかはとりあえず保留というかたちになっています。つまり生徒たちは学校で禁止されている行為をやっていることにはならないんです。そのための、視察、なわけですからね」

 校長は低く呻いた。小世が少し論点をずらしているように思ったが、彼にはもう反論するだけの気力もなかった。

「せめて私に事前に相談しようとは思わなかったんですか」

「忘れていました」

 間断なく答えた小世に、校長はいささか悪意を感じる。そしてその悪意を隠そうともしない小世の露骨な態度に、校長は苛立つ。なにか言うかわりに、校長は溜め息をついた。小世は校長の革ベルトの古いカシオの腕時計を覗きかけ、すぐ気がついて頭をあげ、柱時計を細目で見た。そして平坦な声で言った。

「時間ですよ、校長」


    *


 こういう剣呑な日でさえ、空が晴れわたっているのが、花は許せない。天気までもが自分たちの味方でないような気がしてくるのである。天気というのは、ようするに神様のことだ。

 いつものように足早に歩いていく悠の遠い背中を、瞭と並んで眺めながら、花は天気と神様の関係性について、さらに深く考えてみた。もしこの世に神様がいるとしたら、天気を左右する力を持ってる。それは間違いない。だから晴れわたった空は、一見すると自分たちに味方してくれているようにも思える。

 でもあたしはいまのこの天気を受け入れる気分じゃないんだ。花は恨めしそうな顔で晴天の空を見あげる。気持ちよさそうに民家の隙間の道を闊歩している毛のふさふさした黒い三毛猫まで睨みつける。瞭が休んだ日みたいに、どっと雨が降ってほしい気分だよ。罠だとわかっていて、みすみすかかりにいくんだもん。どういう罠なのか見きわめもつかないまま。空ががらっと晴れていて、気分だけどんよりしてるのも、これはこれで辛い。――まあ沈んだ気分で傘をさしながら、森のぬかるんだ道を歩くのも、それはそれでかったるいんだけどさ。

 そうか。だから雨が降っていないのかも。それによく考えてみれば、どしゃ降りの雨のなかであの担任や校長先生と口論している光景なんて、想像するだけで気がめいってくるもんね。ふうん‥‥。神様ってやっぱりあれこれ考えて結論出してるのかな。花は感心したようにひとりで頷く。

 穴ぐらについた三人は腰をおろした。さすがに今日は悠もゲームをやろうとはしない。瞭がリュックからコンビニの袋を取り出して、おにぎりやお茶のペットボトルを悠と花に渡した。夜どおしの篭城のために確保していなければならなかったはずだが、悠が迷いもなく、おにぎりの包装のシュリンクを剥がして食べはじめた。結局は瞭と花もそれにつづいた。黙ったまま、おにぎり二個をたいらげると、花のひろげたコンビニの袋にゴミを入れた。三人とも地面に足を崩して穴ぐらの外をぼんやり見つめた。

「ちょっと川に行ってくるよ」

 瞭が立ちあがり、そそくさと穴ぐらを出ていった。

 おしっこだな、と花は思った。この秘密基地に悠が加わる前は、川で遊んでいてさえ、瞭はいったんこの場所に戻ってから、用を足しに川に戻ったものである。女子かよ。花はいつも思っていた。

 しかも瞭は用を足すのがながい。たぶんちょっと川上まで行って丹念に手を洗っているのだ。潔癖症というほどでもないけれど、瞭は無駄にそこらへんの意識が高い。あたしにはない部分。どうも瞭に女子の部分とられちゃったぽいんだよなあ。あたしなんか、学校でお手洗いに行っても、蛇口の水に手のさきを浸すくらいだもんね。他の女子に思いきり白い目で見られるけど。

 悠が指を一本つかって地面の蟻の行く手の前後を塞いでいる。蟻がずっと縦のラインを行き来するだけで、まるで横道へ逸れようとはしないのを面白がっていた。たぶんそういう発想は蟻の思考の外にあるのだ。

 花はまた神様のことについて考えてみた。もしこの時間が神様の与えてくれたものだとしたら、どうだろう。そこにはなにか意味があるのではなかろうか。ひょっとすると、チャンス。なのかもしれない。なんのチャンス? とぼけんな。

 花の目に力がはいる。こういうことはくよくよ考えていても駄目だ。考えれば考えるほど、臆病になるだけなのだから。当たって砕けてしまえ。花は思った。たとえ心が砕けても、悠にはそれだけの価値がある。花はとつぜん悠に向かって言う。

「ねえ、悠」

「うん?」

「悠って好きなひといるの」

「いるよ。母親とか、父親とか、あと瞭も花も」

「そういうんじゃなくてさ‥‥好きな女の子のことだよ」

「ああ。そういうのか」

 そのあとにつづく沈黙が悠の頭をこんと叩いた。てっきり花は瞭のことを好きだと思っていたので、悠は驚いた顔をする。

「あたし、悠のこと、好きなんだ」

 小学五年になったあたりくらいからだろうか、女子からのこの手の話がおおくなって、悠は辟易していた。とくに悠の転校が決まるとそのラッシュが始まる。春先の役所のように悠のもとに行列ができるのだ。都市部の、比較的生徒数のおおい学校では、一週間のあいだに五人の女子が来たこともある。

 しかし悠はこうしたことにまったく興味がなかった。友だち以上の関係になって、なにがどうなるのか、悠は想像もつかない。また、相手の女子が、そういうことを把握していそうな感じでもなかった。友だちとの関係の差がわからない。だから悠はいっさい断ることにしている。

「ごめん。そういうのおれ苦手なんだ。花がどうこうってことじゃなくて‥‥」

 花はとたんに顔が赤くなる。自分の大胆さが急に恥ずかしくなった。それでも目を伏せたまま、自分でもちゃんと発しているのかどうか疑わしいほどの小さな声で言う。

「うん。いいよ。でも‥‥ずっと友だちでいてね」

「わかった」

 心がひりひりするが、同時にすがすがしくもあった。隠れてしまいたいほど恥ずかしいのに、不思議な開放感がある。ずっとこの余韻に浸っていたいくらい。――たぶん家に帰ってからさんざん泣くんだろうけど。花はきれいに澄んだ瞳で天井を見あげた。

 そこに瞭が帰ってくる。たくもう。いいタイミングで帰ってきやがんな。花が睨みつけてくるのを、瞭は見えていない振りをして無視した。

 遠くから、けたたましい笑い声と話し声が聞こえてきて、しだいに近づいてくる。花にはすぐその笑い声の主が小世だとわかった。こんな耳ざわりな笑い声出すの、この世にあいつしかいないもん。でも他の話し声はいったい誰。花は凍りついた。あいつ、誰を連れてきたわけ。

 ひどくのんびりした感じでその集団は穴ぐらの入り口までやってきた。小世を先頭に、知らない顔の女性が三人、その後ろで校長が気のきかない落ち武者の背後霊のように、禿げ頭をちらつかせている。女性たち三人は、揃いも揃って、保護者参観で着るような黒いスーツを着て、それぞれ似たようなバッグを手に提げていた。

 よく見るとその顔のひとりに見おぼえがある。同じクラスの男子の母親だ。その女性が他の相手と、どこか距離を測るような喋りかたをしているところからすると、他の知らない顔の女性ふたりはたぶんうちのクラスの親じゃないな。花はそう判断した。

「ここがその防空壕ですね」

 小世が片手をあげて、バスガイドのような声で言う。保護者の女性たちが意味不明な感嘆の声をあげる。こいつほんとこういう切り替えがうまいな。花は小世を睨みつけながら思った。小世がそのままバスガイドの口調で言った。

「生徒の子たちがいますね」

 花は笑いそうになる。なんだ。この見たまんまの説明は。

「みんな、こんにちわ」

 まず悠が無言で頭を下げ、つぎに瞭、最後に渋々といった感じで、目線をあげたまま、ぶっきらぼうに花が頭を下げる。保護者の女性たちも同じように軽く頭を下げた。

「校長先生、どうですか」

 とつぜん呼ばれた校長はおずおずと前に進み出ると、いかにももうしわけなさそうに三人の生徒たちとすばやく視線を交わし、それから穴ぐらの内部にさっと視線を走らせた。

「ぱっと見には頑丈そうに見えるのですが」

 保護者たちも視線を滑らせながら、時間差でそれぞれ頷く。

「校長、ちゃんと見てください。天井が剥き出しじゃないですか」

「そうですねえ‥‥」

 校長はあくまで入り口に突っ立ったまま、天井に視線を走らせようとした。小世が鋭い声をあげる。

「なかに入って見てください。ほら、あなたたち、防空壕から出て」

 悠が腰をあげかけるのを、花が小世にも負けない鋭い声で制した。

「出たらダメだよ。いったん出たら、それで終わりだかんね。二度とあたしたちこのなかに入れないよ」

 悠が頷いて、ふたたび腰をおろした。小世が咳ばらいする。眉がぴくぴく動く。

「あなたたちが出てこないと、この防空壕が安全かどうか、確認することができないでしょ。あなたたちが居座ったまま、こんな狭い洞穴にわたしや校長先生がどうやって入ることができるの」

 悠が小世の顔を見あげたまま首を横に振る。ごめんね。とでも言いたげな弱々しい目つきに、花は複雑そうな表情を浮かべた。小世が悠のほうを向いて、にっこり微笑む。

「悠くん、どうなの。ここで遊んでいて、危ないな、って感じたことはない?」

 どうして悠に聞くのよ。あいつ、悠が女性に優しいの知ってて聞いてる。ほんとずるいやつだな。花はすかさず悠を見る。悠は首を傾げた。首を傾げたまま、壁にもたれかかって座っている瞭に視線を向ける。瞭の無表情な目に答えが書いてある。わざと瞭はそういう目をしている。悠にはそれがわかった。そして悠はその答えをたどたどしく読みあげた。

「ない、かな」

 顔に固定したままの小世の笑みが揺れる。少しずつ笑顔をほどいていき、生徒を叱るときの表情を丁寧につくった。

「あなたたち、とりあえず出てきなさい。そうしないと話が進まないから」

 誰も反応しなかった。小世はまた微笑む。身体をかがめ、今度は瞭に向かって言う。

「瞭くん、こんなにおおぜいのひとに迷惑かけてるんだよ」

 ちょっと。なんでこんな卑怯な言い方するわけ。花は苛立つ。それに、瞭だけじゃないでしょ。あたしたち三人じゃない。しかもあいつ、瞭に言ってるのに、最後のほうは悠の目をじっと見て喋ってる。なんなのあいつ。

「ねえ、瞭くん。わたしや校長先生はともかく、みなさんお忙しい時間を割いてわざわざここに来ていただいているんです。失礼だと思わないんですか」

 そう言ってから小世がぴたっと黙りこんだのは、もちろん計算ずくのことだ。花にはそれがわかる。受け答えしたら、そこから確実にこの担任のペースに引きずりこまれる。そのやりとりを審判するのは後ろの保護者たちだ。もちろんあたしたちの味方なんかしてくれない。親たちは子どもなんかより、だんぜん教師のほうを信じてるんだもの。ここからは根くらべなんだ。どっちが耐えられるかなんだ。さきに喋ったほうが負け。あたしは黙ってるからね。決着がつくまではぜったいぜったいひとことも発さないかんね。

 問題は瞭だ。こいつはこういうのが苦手だ。だからあいつは瞭に向かって話しかけてる。こういう駆け引きを瞭が苦手なことを知ってて――。花は瞭がいつなにを言い出すか怖くて目を開けていられない。ぎゅっと目を閉じた。しかし実際に口を開いたのは悠だった。

「もういいよ、瞭」

「なにがだよ」

「こんなばかばかしいこと、もうやめようぜ」

 悠はあっさり立ちあがって穴ぐらを出てしまった。小世や校長や保護者たちをかきわけて歩いていく。瞭も立ちあがって大声で言った。

「ばか、戻ってこいよ。おれたち、なんのために戦ったんだよ」

 ばかはお前だかんね。花は無言のまま、瞭の背中にその言葉を思いっきり投げつけてやる。悠はこんな穴ぐらなんかより瞭のことを守ったんだよ。それがどうしてわかんないのさ。ほんとにもう。どこまで鈍いんだよ。お前の頭はスイカかなんかなの。花は心のなかでわめきつづける。

 瞭が大人たちをかきわけて穴ぐらを出ていき、花もしばらくしてからそれにつづいた。――小世の顔を思いっきり睨みつけながら。

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