第22話
三十路にはきつい早朝。変な夢を見たせいで眠った気がしなかった。
「影丸ー、今日は退魔師の仕事が入ってるから今から行くぞー」
そう言うと影丸がびゅんと飛んで来て、俺の肩に張り付いた。
「仕事、楽しい。でも俺最近食べ過ぎてお腹出て来た。食う量減らす。ダイエットだ!」
「はいはい」
俺は洗顔、歯磨き、朝ご飯を手早く済ませると、駅に行き、新幹線に乗った。幸い、自由席が空いていたから座ることが出来た。
今日は視界を切り替えていないから、影があちらこちらにいることがわかる。空気も重苦しい。
だが、その度に影丸が心配してくれるから、なんとか普通の状態でいられた。
依頼人は静岡県にいる。ここは東京だから一時間半程、片道でそれだけ時間が掛かる。
しかし依頼人は困っているのだ。最近外出すら出来ないのだと聞いた。だから、俺が行かなければその依頼人はずっと外出が出来ないのだ。
影が見えて怖いという気持ちもわかる。俺もそう思ったし、テレビだって観るのが嫌になって壊した。
だからこそ、助けたいと思うのだ。
師匠達が教えてくれたように、気を巡らせ、視界のチャンネルを変える。ただそれだけで、この辛さから抜け出せるのだと教えたい。
静岡に着くと、割と都会的で、田舎のような感じがしなかった。
駅の改札を出て、教わった通りの家へと向かう。だが、どうにも遠そうだから、タクシーを使うことにした。
「すみません。この住所までお願いします」
「……はい。わかりました」
タクシーの運転手の首に、影がついていた。俺はそれを気で跳ね飛ばした。その途端、タクシーの運転手は「そういえばお客さん、どちらからお越しなんですか」と話し始めた。きっと話すことが好きな人なのだろう。
最初の暗い雰囲気ではなく、和やかで明るい雰囲気になったタクシーの運転手は、目的地に着くまでずっと静岡の自慢をしていた。その郷土愛はとても強いものだった。
「さあ、お客さん。着きましたよ。代金は千六百円です」
結構するなあと思いつつ、支払ってタクシーを見送る。
目の前の家の表札には「新藤」とあった。
間違いない。ここが依頼人の家だ。
外に居てもわかる。この家には、中級程度の影が住み着いている。
玄関のブザーを鳴らすと中から人が出て来た。
「はい……。どちらさま、ですか」
その人は男で、痩せ細り、目の下に隈が出来ていた。
「退魔師の川崎強です。ご依頼をお受けしたので、本日お伺い致しました」
「退魔師……! わかりました。中へどうぞ」
そしてリビングに通された。
「今お茶葉、切らせてるので、水ですみませんけど……」
「お構いなく」
ソファーに向かい合わせになって座る。
「それでは確認させていただきますね。あなたがご依頼人の新藤将司さんですね?」
「はい」
「何でも気分が悪く、影のようなものが見えて外に出られないとお聞きしましたが、間違いありませんね」
「はい」
「実は、影が見える人は見える人のことがわかるんですよ。目が金色に見えるんです。俺もあなたの目が金色に見えますが、新藤さんはどうですか? 俺の目、金色に見えますか?」
「……見えます」
「ちょっと失礼しますね。手をこちらへ延ばしてください」
「? ……はい」
延ばされた手を握り、俺の気を込めて新藤さんの身体中に巡らせた。
「あ……耳鳴りが聞こえない! 影も、見えない!」
「これ、自分で出来るようになりますからね。大丈夫ですよ」
「ありがとうございます」
「その代わり、交通費が勿体ないので今日中に出来るように相当スパルタでやらせていただきますね。それと、二階かなぁ。多分二階だと思うんですが、この家、不調の原因になる影がいるみたいなので、そちらを退治してから特訓に入りましょう。上がらせてもらいますね」
「え、あ、はい」
二階に上がる途中の階段の踊り場で、蹲っている影がいた。
黒く、目だけが白い。影はこちらをじっと見て、呪いの言葉を呟いている。
「悪いけど、俺にはそういうの無駄だから」
俺は万が一に備えて既に気を全身に巡らせ、防護壁を張っておいた。
影は呪いが聞かないことに気づくと歯のようなものを形成し、俺を食べようとしてきた。それをどうにか狭い踊り場で避け、影丸に協力を仰いだ。
「影丸。今から俺がこいつを斬る! そうしたら、再生しないように食べてくれ!」
「えー、あいつ不味そう」
影丸はそう言いつつも、機会を狙っていた。
「行くぞ!」
気で刀を作り、影を切り裂く。しかし回復力が通常の影よりも早いため、影丸は少ししか影を食べることが出来なかった。
「クソッ。影丸、もっと食べられないか?」
「これ、精一杯。こいつ戻るの早すぎる」
「どうしたら……。あ、そうだ。影丸、俺の負の感情を食べるんだ」
「何」
「そうして、大きくなって丸呑みするんだよ! 大丈夫! お前なら出来る!」
「そんな根性論、今時流行ってないが、やってやる」
影丸は俺の負の感情を食べ始めた。身体が重くなり、心が病んでいくのを感じる。
しかし、効果はあった。
影丸の大きさは人一人分ほどまでに成長した。
「よし、影丸。もう一度行くぞ!」
「わかった!」
もう一度、刀を振り、影を霧散させる。それを影丸は大きく吸い込んだ。見る見る内に小さくなっていく影は、悔しそうにこちらを睨んでいる。
「もう、斬っても再生出来ないだろう。影丸、もういいぞ」
「わかった」
影丸は影を吸うのをやめた。そして俺は、刀で影を二、三度斬り、霧散させることに成功した。
物音がしなくなったからか、新藤さんが階段を上って来た。
「あの、もう影、とかいうのはいなくなったんですか?」
「ええ。もう大丈夫です。安心してください」
「……ありがとうございます!」
「では、一息入れたら特訓を開始しましょうか」
「はい。あ、さっき戸棚から紅茶の茶葉が出て来たので、それを淹れますね」
「ええ。ありがとうございます」
そして再びリビングのソファーに腰を落ち着かせた。
「種類はよくわからないんですけどね、これが紅茶です。砂糖入れますか? ミルクは?」
「あ、ストレートで飲みます」
「わかりました。ところで特訓とは、何をするんですか?」
「まずは自分の気を全身に巡らせること。そして次は視界のチャンネルを切り替えること。この二つです。視界のチャンネルというのは頭で影のいない世界と、いる世界の二つのことを言います。これを交互にやれるようになったら、特訓は終了です」
「はあ、それって、どのくらい時間が掛かるでしょうか」
「それは人それぞれですね。では、やっていきますよ。まずは俺の気を巡らせます。気が巡っているのを感じてください」
さあ、スパルタ教育の始まりだ。
手を握って新藤さんに俺の気を巡らせた。
「なんだかぽかぽかする」
「そうなんです。気って温かいんですよ。では、今度は自分の気を自分に巡らせてみましょう。お腹に力を入れて、お腹から全身に気が巡っていくのをイメージしてください」
「……こうですか?」
弱弱しいが、確かに気は巡っていた。
「そうです! それをもう少し強くすることは出来ますか?」
「やってみます」
自信がついたのか、先程よりも明るく返事をしてくれた。
気が巡り、それは徐々に大きくなっていく。
「新藤さん、筋が良いですね。そのくらいで大丈夫です。ありがとう」
「ふう。これって結構疲れますね」
「でもこれが出来ると余程の影でない限り寄ってこないので、便利なんですよ。今やったのを一日一回は必ずやってください。やらないと忘れてしまいますからね」
「はい」
「次は視界のチャンネルを切り替えること。こいつ、見えます?」
影丸を隣に座らせる。
新藤さんは目を細め、「うーん、あ、なんとなく。形が見えます」と言った。
「じゃあ、こいつを見えなくしてみてください。頭の中で、クリアな視界をイメージするんです。影なんて最初からいない、そんな世界をイメージしてください」
これには時間が掛かった。新藤さんがどうしても視界のチャンネルを切り替える方法がわからないらしいし、俺も俺で早くに出来るようになったものだから、上手くいかない時、どうしたらいいのかわからなかったのだ。
「切り替えるってどんなイメージなんですか?」
俺は少し考えて答える。
「眼鏡かサングラスはお持ちですか? それで視界が変わるのと同じです」
「ああ、なるほど! わかりやすいです。もう一度やってみますね」
既に時刻は午後六時を回っていた。
何度も失敗し、その度に落ち込んでいく新藤さんに、俺は何と言ってあげればいいのか考えていた。その時だった。
「あ! 出来ました!」
ついに、影を見えなくすることが出来たのだという!
俺は感動し、新藤さんの手を握って一緒に喜びを分かち合った。
「ありがとうございます! これも、一日一回やればいいんですか?」
「いや、これは一日に出来る限りやっていてください。そして継続出来る時間を延ばしていくようにすると生活も楽になっていきますから」
「では、今日はこれで終わりですか?」
「はい。お疲れ様でした!」
「あ、そうだ。交通費おいくらでしたか? 確か東京から来られていたんですよね」
「往復で一万三千円になります」
「わかりました。お支払いいたします。こんなに楽になるなんて、本当、凄い方なんですね。退魔師というのは」
「ありがとうございます」
俺は受け取った金額を数えた。すると一万円多く入っているではないか。
「あの、この一万円は」
「ほんの気持ちです。どうか受け取ってください」
「……ありがとうございます」
「それはこちらのセリフですよ」
俺は頭を深々と下げ、交通費と一万円を貰って新藤さんの家を出た。見送ってくれる新藤さんは、「あ」と声を出す。俺は足を止めて振り返ると新藤さんが近寄ってきてこう言った。
「もし、何かまたあったら、よろしくお願いしますね。では、お気をつけて」
「はい。ありがとうございました」
俺は新幹線で東京に帰る。
東京に着いたのは午後八時頃だった。
そういえば静岡の土産を買うのを忘れていた。少し残念に思いながら、自宅に帰った。
自宅に着いたら鍵を閉めてソファーに体を投げ出した。それを見て、俺の上に影丸が乗っかかってくる。
「おいおい、疲れたって言ってるのに何してるんだよ」
「抱っこー。今日俺いっぱい頑張った。報酬欲しい」
「おお、わかったわかった」
俺は影丸を抱き締めた。何度抱き締めてもこの気持ち悪さには慣れないな。
「覚えてるか。俺達の出会い」
影は突然そんなことを言い出した。
「ああ、最初はお前女の人についてたんだよな。で、俺に乗り換えた」
「そう。あの時がなかったら、今はなかった。だから、俺はあの時の名も知らない女に感謝している。影が人に感謝するなんて、変な話だ」
「そうだな。でもいつの間にやら、友達になってたんだよな。俺達」
「友達じゃない。親友だ」
俺はそういえばそうだなと思ってこくりと頷いて応える。
「俺達は親友だ」
「最初は食ってやろうと思ってたのに、お前、意外と面白いやつだった。俺、お前のことが好きだ。もちろん親友としてな」
影丸は照れたように笑ってそう言っていた。
「奇妙な友情だよな。最初は食って食われる関係だったのに」
「うん。うん」
「仕事の相棒でもあるしな」
「影食うの、飽きてきたから人間食いたい」
「冗談でもそんなこと言うなよ」
「ブラックジョーク」
「本当にブラックジョークだな」
「影だけに」
「うるさいわ!」
こんなにも楽しい日々が来るなんて、目が見えて影が見えるようになってから思ったことはなかった。
「お前になら命を預けてもいいよ」
「じゃあ、死んだら食うからな」
「俺も影になろうかな」
「意外と退屈、それでもいいなら」
「ジョークだよ」
そう。こんなジョークさえも言える親友が出来て、俺は幸せだ。
その日はそう思いながら、気が付けばベッドに入って眠っていた。
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