第21話
カランカランと音を鳴らしてドアを開閉する。
カフェに行くとユウカさんがカウンター内で煙草を吸っていた。
「いらっしゃい。あら」
ユウカさんは煙草を灰皿に押し付け、俺に手招きした。
近寄って行くと「ちょっとぐるっと回ってみなさいよ」と言われ、言われた通り回った。
するとユウカさんは「芋みたいだったのがすっかり格好良くなっちゃって。一体どういう心境の変化なの?」
流石ユウカさん。ユウカさんならわかってくれると思っていた。
「さっき買って来たんです」
「これ、店員にコーディネートして貰ったでしょう。見ればわかるわ。あなたにはまだそんなにファッションに興味ないものね」
「ああ、バレましたか」
「バレバレよ。さ、ハーブティーでもいかが?」
「もちろん飲みます」
「はあい。丁度今淹れたところなのよ。……はい。今回はブルーマロウよ。青くて綺麗でしょう」
「凄く綺麗です。味は……まあ、美味しいです」
「あら、お気に召さなかったかしら。でもね、マロウブルーの魅力は何と言っても色なのよ。レモン汁を加えると、ピンクになるの。試してみる?」
「いえ、今はいいです」
「あらそう。残念。なんてね」
ユウカさんといろいろと話したいことがあった。でも、何から話せばいいのかわからず、手元のマロウブルーをちまちまと飲んでは、意味もなくスマホを弄んでいた。
「そういえば、葛ちゃんが店に影がいたって言ってたわねぇ。よかったら行ってあげてくれない?」
「あ、それ今朝行きましたよ」
「そうだったの。仕事が早いわねー。偉いわ」
なんだかむず痒いような、そんな感覚を味わった。
時々話したり、黙って時間が過ぎるのを待つと、午後二時になった。師匠との待ち合わせの時間だ。
カランとドアのベルが鳴り、師匠が入って来た。
「いらっしゃい」とユウカさんが言う。
「待たせたか。悪い」
「いえ、大丈夫ですよ」
「……」
師匠はじっと俺を、正しくは俺の肩を見ている。
ああ、そういえばカフェに着いたら見えるようにすると影丸に言ってあったなと思い出し、影が見えるように頭の中で視点のチャンネルを切り替えた。
「お前のせいで、俺、こんなに小さくなった!」
影丸は文句を言っていた。
「確かに……、これは君の影だね。他の影に騙されたりしているのかもしれないと思ったが、そんな心配無用だったようだな」
「ええ。ご心配ありがとうございます。影丸ももういいだろ。師匠がいなかったら俺達は友達になってないんだから」
「もっともっと言い足りない! でも、お前が言うなら、今日はこの辺にしてやる!」
師匠は「ふふっ」と珍しく笑った。
「いいなぁ。君達みたいな人間と影の友情! 私も友達が欲しくなったよ」
「作ればいいじゃないですか」
「君の影みたいに知能が高くて会話も出来る影なんて、そうそういないさ。今まで、仕事で出会ってた影を見て知ってるだろう? 影によっては話しが出来ても人を食らう者もいるからな。なかなか君達みたいになれはしないのさ」
「そっか……。それで、共闘する人は少ないってことに行きつくんですね。そもそも会話が成り立たないから、という理由で」
「そう。それに見返りを求める者ばかりだからね、人も、影も」
「影丸は負の感情を食べさせてやるだけですよ。あと、たまに仕事の影を食べさせてます」
「影丸? この影は影丸という名前なのかい?」
「はい。昨日、名付けました」
影丸はぴょんぴょんと跳ねる。
「俺、影丸! いい名前だろう! 強が決めた! 格好いい!」
「そうかい」
「良いだろう」
「そうだね」
「……お前、テキトー言ってるな」
師匠は「テキトーじゃなくて適当は言ってる」と、カウンター席にどかりと座り込んだ。
相変わらず、師匠はマフィアみたいな恰好だ。
「そういえば強君、今日はなんだか格好いいじゃないか。どんな心境の変化だい?」
「いやー、以前ユウカさんに見た目も大事って言われたことを思い出してウィンドウショッピングついでに一式買ったんです」
「高かっただろう」
「はい。びっくりしましたよ」
「だろうね。ユウカさん、私にもハーブティーを」
「はあい。……はい、ブルーマロウよ」
「ユウカさん、ありがとう」
師匠はブルーマロウを一口飲み、さらに「軽食も頼むよ」と注文していた。
「サンドウィッチでいいかしら?」
「ああ、いいよ」
「そう。すぐ作っちゃうわね」
ユウカさんはサンドウィッチを作りながら、こんなことを話し始めた。
「強君ってばね、今日の朝に葛ちゃんのお店の影を退治したんですって」
「下手したら私よりも退魔師として働いていることになるな。だが、報酬とかは基本出ないしなぁ。その辺りは考えたことあるのか?」
「え、俺は別に人の役に立てたらいいし、目が見えて、影が見えるようになったのもきっと退魔師になるための、運命だったんだと感じているんです。だから、苦痛ではありませんし、報酬も少しほしいけれど、基本はそんなにいりませんね」
「そうか。だが、取れる時は取っておいた方が良いぞ。下手したら遠方まで呼んでおいて交通費すら出さないなんてこともあるからな」
「それ、師匠の実体験ですか?」
「そうだ」
「ちなみにおいくらくらいでした?」
「往復二万円」
「そんなに……! 酷い話ですね!」
「退魔師というのはサービス業か何かと勘違いされているんじゃないかと、私は思うわけだよ。流石にその時は言ったけれどもね。交通費二万円、お支払いいただけますよね、と。そうしたら運よく払ってくれたが、これが面倒な人だと話がこじれて仕事やらされるだけやらせておいて何もないからな」
「それはきついですね」
「ああ、そうだ。雫にはもう渡したんだが、強君にはまだ渡していなかったね」
師匠は鞄から封筒を取り出した。
「この前の仕事の報酬だよ」
俺はそれを両手で突っぱねて拒んだ。
「いえ、俺そんなに凄いことやってないですから」
「これは仕事に対する正当な対価だ。貰ってくれないと私も困るし、これからのこともあるからね。受け取ってほしい」
「そこまで仰るなら……。ありがたく、頂戴します」
封筒を鞄に仕舞おうとしたら、師匠は「その場で開けてみて、中を確認してくれと言った。
目の前でお金を数えるなんて、と思ったが、師匠がそう言うのであれば確認しなくてはならない。
封筒からは一万円札が二十四枚、入っていた。
「ずっと危険な仕事に付いてきてもらったし、大分助けられたからね。多少色を付けてあるが、貰ってくれ」
「はい。ありがとうございます」
「その代わりと言っては何だが、また仕事を一緒にやったりしてほしい。頼んだよ」
「はい。わかりました!」
「いい返事だ」
そこへユウカさんが現れて「お話終わった? はい、これ軽食のサンドウィッチよ。美味しいから、早く食べて頂戴」と師匠の前に出した。
「ありがとう。ユウカさん」
「ふふ、おまけで甘い卵サンドも作っておいたわよ。そうだ。少し余ってるから、強君にも出してあげるわね」
そう言って、食器にサンドウィッチを乗せて俺の前に出した。
「ありがとうございます。いただきます」
俺はそれをぱくりと口に入れる。甘い卵のサンドウィッチなんて初めて食べたが、凄く美味しい。
「ユウカさん。美味しいです!」
「そう。それは良かったわ。こちらこそありがとう」
和やかな空気が漂う中、師匠は「仕事で店から出なければならない」と会計をし、店から出て行った。
俺はすることもないからのんびりとカウンターで物思いに更けていた。
俺もいつかは師匠のようになれるだろうか。そんな夢を、持ってしまってもいいんだろうか。なんて、らしくないことを思っていた。
すると肩にいる影が「お前ならなれるさ」と耳障りな声で囁いてくれた。
なれるように、努力をしよう。そう思えた。
そんな退魔師として、普通の一般男性として生きるようになってから今日で五年が経った。
師匠は相変わらず昼は普通の仕事をし、夜には全国を飛び回って弟子を作ったり影を退治したりしている。
雫さんは、「私はそんなに器用じゃないから」と言って、以前依頼人として出会った当時女子高生だった花見京子さんを弟子にとってマンツーマンで教えているらしい。
俺はというと、弟子はいないし、影丸と一緒に仕事をしている。大きく変わったことと言えば、俺も社会を知るために会社員になったことだろうか。
カフェのユウカさんは相割らず美しいし、小原さんともたまに会う。
葛さんは仕事を辞めて結婚したというのを、雫さんから聞いた。
皆、それぞれの道を歩んでいる。俺も、影丸と共に歩んでいきたい。退魔師として、一人の人間として。
そんなある日のことだった。
変な夢を見た。
「俺、お前食べたくない。でもお腹空いた。だから、もう、さようならをすると決めた」
影丸がそう言って、俺の元から去ろうとしている。
「今までだって上手くいってたじゃないか。大丈夫だよ。影を食べればいいだろう」
影丸は首を横に振る。
「影だけじゃ、物足りなくなった。俺、人間食いたくない。山に行って、静かに暮らす。その方が、お互いのため」
俺は影丸の背中を追いかけ、抱き締める。
もうこの気持ち悪さなど気にならない。俺達は、俺達だからいいんだ。
「二人だから、強いんだ!」
そう言うと、影丸は笑って「そうだといいな」と言った。
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